座敷牢の姫ぎみ ~あやかし斬り~

岫まりも

 なんとはなしに怪しい――。

 土蔵が見えてきたとき、それがの受けた印象であった。


 は、あやかしの気配を感じとることができる。もしも向こうに見える土蔵にあやかしがひそんでいるのであれば、強烈な気配が漂ってくるはずである。


 いま、そこまでの気配は感じない。

 かといって、まったくなにも感じないというわけでもない。

 かすかな風のなか、ほのかにくらい、じっとりとした匂いをかいだように思う。なのに、その気になって、匂いの正体を見極めようと意識を集中させると、とたんに匂いのようなものは雲散うさん霧消むしょうしてしまう。

 やはり、なんとはなしに怪しい、としか表現できないのである。


 ときの数歩先を、父の土門どもん鬼一郎きいちろうが歩いている。古びたはかまをはき、腰には太刀を一本だけ差した、ひと目で浪人とわかる姿だ。


 父のさらに数歩先を、小柄な武士が行く。先ほど、近藤こんどう左馬之介さまのすけと名のった武士だ。黒沼くろぬま藩十二万石、麻宮あさみや家の、この下屋敷しもやしきの管理をまかされているという。


 三人はいま、雑草におおわれ、手入れの行き届かない木が立ならぶ広い庭を、隅にある土蔵に向かって歩いていた。空は一面の雲におおわれ、昼下がりというのに、あたりは薄暗い。


 土蔵のそばにたどり着いた。

 近くで見ると、かなり年季の入った建物である。ところどころ漆喰しっくいがはがれ、病人のようにうらさびしい姿をさらけ出している。


「ここが先ほど話した土蔵じゃ。いかがなものであろう?」

 近藤左馬之介はおうへいな口調で鬼一郎に問う。

 鬼一郎はその問いを、目で、娘のときへと投げかける。

 それにつられて、左馬之介はちらりとときを見やったが、すぐに目線をはずした。


 ときは十七の娘だが、いまは髪を総髪そうはつに結い、小袖こそでを着て、はかまをはき、腰に太刀を一本差しにしている。それだけならば、若武者のなりをした変わった娘、ということですむ。問題は顔だ。

 ときは面をかぶっているのである。能に使う、薄く笑ったような、若い女の面である。ときの顔の左半分には、ひどいやけどの跡がある。それを隠すための面である。他人から見ると、その面がひどくまがまがしく感じられるらしい。


 ときは父の問いに少し首をひねって答えた。

「なにやら、少しばかり怪しい気配はするのです。ただ、あやかしがいるとも、いないとも、なんともつかみどころがありません」

「そうか」

 と、鬼一郎がうなずくと、たちまち左馬之介がいらだった声をあげた。

「それよ、それ。おぬしら祈祷師きとうしどもは、みな同じことを言う。なんとはなしに怪しい、とな。もそっとはっきりしたことを聞きたいから、おぬしらを呼んだというのに」


 左馬之介は五十がらみの、顔も体も貧相な男である。役方やくかた(事務担当者)の仕事を、ただ実直に、可もなく不可もなく務めてきた、という印象がある。上の者にはび、下の者には強くあたる。これまでもそうしてきたのだろう。

 ときも鬼一郎も、これまでいくつもの武家を相手にして、そんな態度には慣れたものである。われらは祈祷師ではない、などと、つっかかったりはしない。


「まあまあ、近藤どの」

 と、鬼一郎がなだめに入る。「先ほども申した通り、わたくしども、お役に立たなければ、お代はいただきませぬ。ともかく、土蔵のなかを拝見させていただけませんか」


 鬼一郎は以前、手習い(寺子屋)の師匠をしていた。物腰はきわめて柔らかい。

 左馬之介は舌を小さく打ったが、それ以上は文句を言わず、観音扉の錠を開けはじめる。

 それを見ながら、ときは、あやかし退治をなりわいとする自分たちが、ここに呼ばれた理由をふり返っていた。


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