隣の良子さんは終末を手招きする

真田宗治

第1話 一線を越える事は、世界を壊すこと。




 

 人々は、本物の魔女を知らない。

 それがどんなに危険な存在なのかも。

 人々は、本当の魔術を知らない。

 その代償がどれ程重く、取り返しがつかないのかってことも。

 僕の隣人は魔女だ。例えではない。彼女はクラスメイトだった。


 ★ ★ ★


 締尾しめお良子りょうこが転校してきたのは、二学期の初め頃だった。

 彼女は背が高く、眼は、猫みたいにつり上がっていた。童顔でいて、高校生とは思えない妖艶な色気をまとっていた。立居振る舞いや言葉遣いには気品があり、彼女が放つ言葉の一つ一つが、高い知性の輝きを孕んでいた。誰が見ても、異質で特別な存在だと感るだろう。


 突然引っ越して来た美少女に、クラスの男子生徒は舞い上がった。彼女は休み時間の度にクラスメイトに囲まれて、にこやかに対応していた。大勢のクラスメイトの中、彼女の存在は特に際立っていた。


 まるで、僕とは別世界の存在だった。


 僕には一人の友人もいなかった。

 友達面をしている奴らは大勢いた。彼らは、僕が金を払った日は良い友人だ。それ以外の日には友人ではなかった。僕はちょくちょく、彼らから小遣いを巻き上げられた。勿論、金を払いたくなんかない。だが、気が狂った連中の数と暴力に勝てる筈もない。連中は他人の優しさにつけ込んで、どこまでも甘えて傷つけて笑い者にする。それを恥とも思わない人達だ。

 金がないと作って来いと言われる。そんな金、どうやって作る?


 僕に出来たのは、母親の財布からこっそり金を抜くことぐらいだった。

 僕の家は母子家庭だ。決して、裕福ではない。その金も、母が必死で稼いだものだ。僕はその大切なお金を盗み、友達面をした連中に払った。


「少ねえな」


 そんな事をいう奴もいた。連中はその金を、自身の下らない欲望を満たすためだけに使った。

 僕は、金の無い日には連中によく殴られた。彼らは僕の事をいつも嘲笑い、嫌がらせを繰り返した。服をはぎ取られて、裸の写真をクラス中に送信されたこともある。

 翌日、生徒達の顔に張り付いていたのは嘲笑と侮蔑。それだけだった。弱者に寄り添う者は誰もいない。彼らにとって、僕は生きていても死んでいても関係のない存在だ。否、寧ろ害悪だった。

 彼等の口癖は「キモい」だった。それはなんの躊躇もなく、僕に向けられた。彼らにとって、僕は存在その物が気持ちが悪い、取るに足らないゴミムシであるらしい。


 ★


 ある日、母が死んだ。どう考えても過労死だった。


 母の葬儀には、クラスメイトは一人しか顔を出さなかった。

 来たのは、田辺たなべ伊織いおりという、女子生徒だった。僕は彼女とは、あまり口を利いたことがなかった。それ程親しいわけではない彼女が、何故、葬儀に来てくれたのか?

 疑問を口にしてみた。


「ごめんなさい。私、本当は……」


 伊織さんは泣き崩れて、それ以上は何も言わなかった。

 葬儀が終わり、僕は伊織さんを玄関先まで送っていった。


「ごめんなさい」


 去り際に、伊織さんが震えながら呟いた。


「どうして謝るの?」

「私は、卑怯者だから」

「卑怯者? 僕は、君から何もされてない」

「こんな事になるまで、怖くて何も出来なかったから」

「君は、僕を嘲笑った事はないよ」

「ううん。私は無力だった。きっと神さまに嫌われる」

「伊織さんは神様を信じてるんだね」

「ええ。貴方は信じないの?」

「もう、どっちでも良いよ。でも……」

「でも?」

「もし居たら、必ず殺してやる」


 僕は、どんな声でそれを言ったのだろう。伊織さんはぽろぽろ泣きながら、ごめんなさい、ごめんなさい。と、繰り返した。


 その晩、僕は一晩中、携帯端末を弄って過ごした。本当に疲れ切った人間は、それ以外のことが出来なくなるらしい。

 端末には、母親の写真がいくつかあった。疲れた顔をしているが、全部笑顔だった。僕は散々母を裏切ったのに、笑顔だったんだ。

 僕が痛めつけられる動画もあった。

 クラスメイトが寄ってたかって僕を床に押さえつけ、一人が机の上から飛び降りて、僕の鳩尾に肘鉄を落とす。僕が呻き声を上げると、教室に、どっと笑いが起こる。みんな、みんな、笑っていた。馬鹿どもは次々と机に登り、順番に、僕の胸や鳩尾に肘や膝を落とす。僕はガマ蛙みたいな滑稽な呻き声を上げ、連中の笑い声は加速する。僕が服を剥ぎ取られて、やめてくれと懇願しても、みんな笑っていた。

 動画を見ていると、端末に不良からメッセージが来た。


『明日、また金を持って来い』ってさ。


 僕が壊れなかったかって? 壊れるに決まってるだろ。


 ★


 翌日、僕は放課後に、クラスの不良から屋上に呼びつけられた。金を要求されたのだ。

 試しに僕は、いつも通り、そいつに金を渡してみた。


「なんだよ。しけてるな」


 そいつは金を懐にしまった。それがどんな金なのか、知っている筈だ。

 僕は、夕暮れの屋上で、金槌でそいつの後頭部を砕いた。手に伝わる感触は、植木鉢を割った時のそれに似ていた。

 そいつは這いつくばって、あー、あー。と、感情のない、壊れた声を絞り出す。僕はそいつを羽交い締めにして、屋上から突き落とした。クズはアスファルトに落下して、潰れたトマトみたいな染みが広がった。もう、ピクリとも動かなかった。

 随分、あっけないと感じた。同時に、強い悔しさと後悔とが押し寄せてくる。

 罪を悔やんだ訳じゃない。

 僕と母親のこれまでの苦しみは、こんなものじゃない。最初に頭を狙うべきじゃなかった。もっとずっと苦しめて、徹底的に恐怖と苦痛と絶望を味合わせてやるべきだった。


 ★


 翌日、学校は蜂の巣を突いたような騒ぎとなった。警察が来て、現場には規制線が張られた。学校にはマスコミが押し寄せて、校門の外で僕らを待ち構えている。

 全校集会では生徒に緘口令かんこうれいが出された。

 勿論、僕にも疑いの目が向けられた。放課後に教師に呼びつけられて、教師から尋問されたのだ。

 どうして僕を疑う? それはつまり、。と、いう事に他ならなかった。

 知っていて見殺しにしていたのか。そうか、教えてくれてありがとう。じゃあ、お前らも覚悟しろよ。

 僕は内心呟いて、教師に微笑みを向けてやる。それがどんな微笑みかも知らず、教師は見当違いな説教を続けた。


 結局、事件は、転落事故死とされた。


 ★


 僕は学校に通うのをやめた。

 教師に疑いを向けられて、クラスメイトからは距離を置かれている。学校を休む丁度良い口実だった。それからは、僕は一人きりで何もせず、ひたすら窓の外を眺めて過ごした。

 頭の中は、次の復讐計画で一杯だった。次に狙う奴からは、携帯端末を奪ってやろう。そいつの端末から、連中がやらかした全てをネットに流してやる。連中の家族の情報だって集めた。職場や住所、電話番号、全部公表してやる。そうすれば、奴らは無事では済まない。


 もう、誰一人逃がさない。


 そうやって過ごす内に、僕は気が付いた。

 隣の大きな一軒家には、締尾しめお良子りょうこが住んでいたのだ。登校時間と下校時間に良子を見かけ、なんとなく目で追っていたら、良子は隣の豪邸へと入って行った。

 そして今日、彼女は学校帰りに、ゆるりと、僕の部屋の窓を見上げた。

 眼が合った時、良子はふわりと微笑した。


 ★


 その夜のことだった。

 夜中に、玄関のドアが開いた。確かに鍵をかけた筈なのに──良子は当たり前に扉を開け、アパートの部屋に上がり込んで来たのだ。


「あら。それって美味しいのかしら?」

 良子は僕の晩飯を見て言う。


 僕はその時、レトルトのカレーライスを食していた。


「何? 鍵をかけた筈なんだけどな」

 僕は良子を睨むようにして言う。


「ねえ。知ってる? 傍観者は、傍観するという方法で暴力に加担しているの。貴方にとって、この世界の全てが敵なのよ。それって許せないわよね」


 良子は勝手に僕の正面に座り、真剣な眼差しを向ける。微動だにしない瞳には、これまで学校では見せたことがない、仄暗い闇があった。


「知ってるよ。それがどうかしたの?」

「貴方のことが気に入ったのよ。だから誘いに来たの。世界を、終わらせたくはない?」


 良子はそう言って、指をパチリと鳴らす。

 すると、突然、スプーンがふわりと浮かび上がった。

 スプーンは空中でくるくる回転して、やがて、ぐにゃりと折れ曲がる。僕が言葉を失っていると、次は、グラスが浮かび上がり、割れる。破片はテーブルに落ちたのに、グラスの水は、球状になって、まだ空中に浮かんだままだった。

 超能力を見たのは、初めてのことだった。


「それも悪くないね。でも、どうして僕を?」

「あら。世界を終わらせるのは簡単よ。でも、一人ではつまらないの。どう? 家にいらっしゃいよ。どうせここには、あと何か月も住めないでしょう?」


 提案を受けて、僕は少々思案する。

 良子の言う通りだった。貯金なんて無いに等しい。このアパートも、近い内に追い出されるだろう。

 僕はすぐに荷物を纏めた。


 ★


 良子の家には、家族らしき人々がいた。僕は暖かく迎えられて、特に何も聞かれなかった。家族構成は、父親に、母親に、祖母。だが、それは見た目だけだった。家族と思しき人々は何処かよそよそしくて、皆、良子に対して敬意を払っていた。全員が良子の言いなりで、誰も、逆らわなかったのだ。

 理由はすぐに解った。


「さて。じゃあ、今日からは家族ね。この家では、貴方は私の弟。今日からは、私をお姉ちゃんって呼びなさい」


 良子は冷たく微笑する。

 そうか、この家の家族は皆、僕と同じなのだ。理解して、僕も微笑を返した。





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