ULI 都市伝説調査会
平野真咲
プロローグ
カラスが鳴いている。
あと数週間もすれば大学生になるという僕も、カラスの鳴き声にせかされるように家路につく。吐いた白い息の向こうには、夕焼けの空が広がっていた。
夕暮れ時の冷え込みを忘れていた僕は、よくないとは思いつつも、上着のポケットに手を入れた。背中を丸めて、店の照明が漏れ出る通りをのそのそ歩く。新生活応援、と掲げられた看板の前を、気にもとめずに素通りした。
色とりどりの防寒具で着ぶくれした子どもたちが、ほぼ全身黒ずくめの僕を追い抜いていく。彼らは走ってきたのか顔を赤らめて、甲高い声を上げながら通りを走って行った。
集団が通り過ぎると、赤いものが落ちているのに気づいた。拾ってみると、小さな毛糸の手袋だった。
前方にはおしくらまんじゅうのようにくっついておしゃべりをしている小学生くらいの子どもたちがいる。どうやら信号待ちをしているらしい。よく見ると見覚えのある服装の子どもがいるので、僕を追い抜かした子たちも合流しているようだ。迷ったものの声だけはかけてみた。
手袋を見せると、モスグリーンのジャンパーの、赤々とした顔の子が名乗り出た。彼は元気な声でお礼を言って、集団のおしゃべりに戻っていった。
子どもたちと同じ信号を待っている間、聞こえてくる会話からは、宿題やテストという単語が飛び交っていた。この交差点を渡った先に小さな塾があるのをぼんやりと思い出す。彼らは話題がつきたのか、学校で流行っているらしき噂話を始めた。
「4時44分のヨツジの少女って知ってる?」
「聞いたことある」
「何それー」
四のゾロ目という、小学生が好きそうな怖い話にありがちな設定だ。
「ヨツジに4時44分になると現れるっていう女の子。その子に話しかけると不幸になるらしいよ」
「へー」
「ヨツジって?」
特段意味のある話でもなく、盗み聞きしているようにも思えたので、小学生集団から意識をそらすため信号を確認した。電子音がやみ、ちょうど青に変わったところだった。
信号を待っていた人々とともに、横断歩道を渡ろうとしたときだった。
夕日に照らされた人の影が伸びる。どこから伸びているのだろうと不思議に思って影をたどると、車が行き交う十字路のど真ん中に、人の姿があった。
見間違えかと思って車が横切る隙間から十字路の中心を凝視すると、やはりそこには人がいた。背格好からして中学生くらいの女の子だろうか。かぶっている帽子を押さえることもなく背筋を伸ばし、前を向いてぽつんと立っている。
前方からも後方からも車が途絶えない。声をかけようにも、車のエンジン音と信号の電子音でかき消されてしまいそうだ。下手に動いて車と衝突事故を起こすのはなんとしてでも避けたかった。幸い左折する車はなく、右折車も来られないので、横断歩道の真ん中で立ちすくんでいても、とがめられることはなかった。
青信号が点滅し、電子音が止む。
右折車用の矢印信号を見上げた。
自動車の直進の信号が赤になったのを見て、すぐに十字路の中心へ駆け出した。
女の子の方へ手を伸ばし、彼女の右腕をつかんだ。
「こっち!」
彼女の不思議がるような表情を見たのもつかの間、彼女とともに歩道へ避難することだけを考える。彼女の腕を引っ張って、全力で歩道まで走った。
急ブレーキ音もクラクションも聞こえないくらいまで、鳴っていなければいいと願うけれども、歩道を走る。息が上がったところで彼女の手を離した。
息を整えながら女の子の方を見ると、前屈みになったせいで目線があった僕に向かってにっこりと微笑んだ。髪すら乱れておらず、左手には大きなトランクを持っていた。
そのまま回れ右をしてどこかに行こうとするものだから、さすがに彼女を呼び止めた。
「ちょっと待て」
荒い息づかいのままの僕に、彼女は振り向いて、意味ありげにスマイルを見せた。
今度は彼女に連れられて、少し先の小さな児童公園に入っていった。公園にたどり着いた時には、一番星が輝き出していた。
彼女はベンチを見つけるとすぐさま腰を下ろしたので、僕もそれに倣って隣に腰掛けた。
かの信号のある十字路からは距離もあるし、何もこんなところまで来なくても、と思うが、彼女の方が落ち着いて話をしたい事情でもあるのかもしれない。そうなると住宅街のど真ん中、金網のフェンスで囲まれたこの公園くらいだろう。
入り口の街灯が滑り台とブランコと砂場、すべての遊具を照らしている。
彼女の方を向くと、悪い意味の素直さを持つ目で見つめ返してくるものだから、僕から先にいうことにした。
「危ないよ。さっきのは。
車に轢かれてしまうかもしれないじゃないか」
当初に感じたよりも幼い顔つきをした彼女は、素直に僕の話を聞いていた。
「話はそれだけ?」
彼女の第一声はこうだった。鈴のように高い、ころころした声だった。
「あのねえ」
僕がため息をついても朗らかに笑うところを見るに、反省はしてないようだ。戻って確かめる勇気もないが、下手したら悲惨な事故が起こっていたかもしれないというのに。
あれだけ通行量の多い交差点の中心にどうやって行ったのだろうとか、あんなところに突っ立って何をしていたんだとか、聞きたいことは山ほどあるけれど、とりあえずはケガの有無を確認した。へーきへーき、と言って彼女は立ち上がった。
「そうだ」
彼女はベンチの脇に置いたカバンを漁り、何かを取り出した。
「これあげる」
手のひらに載せて見せたのは、小型の懐中電灯だった。彼女は懐中電灯を空に向けて、点灯してみせた。星が見え始めた空に、一筋だけ光が灯った。
「暗闇でも真実でも、何でも照らしてくれるよ」
そう言って、懐中電灯の明かりを消した。
「お礼ならいいよ」
「違うよ。運命」
あまりに真剣な目で見てくるものだから、夢想的なセリフと笑うこともしなかった。
「肌身離さず持っているといいよ。現に暗くなってきたわけだし。もちろん品質は保証するから」
握った懐中電灯を差し出してきたので、手のひらを差し出す。小さな懐中電灯の重みがかかった。手に取っていろいろな角度から観察してみると、何の変哲もない、普通の懐中電灯だった。
「ありがとう」
お礼を言って前を見ると、彼女はもうそこにはいなかった。ベンチから立ち上がって周囲を見回しても、姿も見えない。
夜風の寒さに気づくまで、狐につままれたように立ち尽くしていた。
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