小麦に滴る

二条橋終咲

それは万物よりも冷たく

 小学校を卒業して中学生になる時、僕は友達を失いました。


 別に死んだとかじゃないです。僕の進学した中学校に、それまで通っていた小学校の知り合いが一人もいなかっただけです。


 それだけとはいえ、僕は新しい環境で友達をぽんぽん量産できるような、そんな明るい性格でもないので、中学校入学当初は心を病むほどに一人悲しく絶望していました。


 しかも新しく英語の授業とか始まったりして、特に勉強が得意ではない僕は、もう何にもわからない誰にも頼れない消えたい消えたい死にたい死にたい、と、日々思っていました。


 この孤独が、悲痛が、地獄が一生続いていくんだ……。


 来る日も来る日も、そう思っていました。



 ❇︎



 そんな中学生時代の中、ある日、憂鬱ゆううつな気分で朝のニュース番組を見ていると、そこで可愛らしいハムスターの特集を目にしたのです。


 もふっとしたフォルムにちまっとした手足。そしてとことこ歩く愛らしさ。


 それは、鬱屈うっくつとした心の闇に差す光明こうみょうのように見え、画面の向こうのハムスターに、いわゆるをしました。

 

 思えばあれが、僕のだったのかもしれません。


 どうでもいいですね。はい。


 と言うわけで、僕は交渉に移りました。


「ねぇ……」


 あの姿を見て、瞬間的に、衝動的に、僕はキッチンにいる母に言いました。


「ハムスター、欲しい……」


 孤独からの脱出を期待してそう口にしてみるも、命に関することなので、もちろん二つ返事などもらえません。


 母は眉をひそめながら僕に言います。


「え〜。ちゃんとお世話する?」


「する」


「毎日ご飯とお水あげられる?」


「あげれる」


「ケージのお掃除ちゃんとできる?」


「できる」


 母からの問いに、僕は首を縦に振り続けました。


 正直この時は、ハムスターの世話の方法なんて知らないし、食べるものなんてひまわりの種だけだと思っていたし、掃除なんてめんどそうと思っていました。

(ハムちゃんはドライフルーツとかペレットとか、結構色々食べます)


 ですが当時の僕に選択肢はありません。




 本当に、孤独が辛かったから……。




「だめ?」


 恐る恐る、僕は母の言葉を待ちました。


「ん〜、そうね〜……。じゃあ、今度の日曜日、お店に見に行ってみようか」


 その言葉を聞き、僕はフローリングの上で飛び跳ねるようにして喜びました。


 優しいお母さんが、僕は大好き(敬愛)です。



 ❇︎



 というような経緯けいいで、僕は二匹のハムスターと、生活を共にすることになったのです。


 種類はジャンガリアン。小麦のような体毛で背中を覆い、お腹はふわふわもっこもこ真っ白な、黒目の可愛いハムスターです。

(色合いはハ○太郎が近いかも?)


 性別はそれぞれ男の子と女の子。


 男の子の方はハムスターの『はむさん』で、女の子はジャンガリアンの『アンちゃん』と呼ぶことにしました。

(中学一年生レベルのネーミングセンスなので、あしからず)


 そしてなんやかんやあり、買ってきたケージを組み立て、その中に巣箱などを置き、この子達を解き放ちました。


「……」


 そして、彼らがもふもふちまちまとことこ生活する様子を、僕は無言で一時間も二時間もずーーーっと眺めていました。


「……♡」


 それも毎日。


 気持ち悪いですね。はい。


 でも、孤独な中学校生活を経る中で生まれた、僕の心の深い傷と暗闇は、ただ傍観ぼうかんするだけでは解消されません。




 触れたい……。




 僕はそんなことを思いました。


 気持ち悪いですね。はい。


 すみません。



 ❇︎



「はいっ。ご飯だよー」


 いつものように、彼らへひまわりの種を提供したときのことです。


 小さなひまわりの種を大事そうに両手でぎゅっと持ち、カリカリと頑張って頬張る二匹のハムたち。


 そんな愛しい小麦色の背中に僕は触れようと思い、狭いケージの中に手を伸ばしたのです。




「ギィィィッ!」




 すると、僕が手を差し伸べた途端とたん、彼らはその鋭利な歯を剥き出し、聞いたこともないような奇声で僕を威嚇いかくし、巣箱へと帰って行きました。


「……」


 僕は泣きました。


 瞳から滴る大粒の涙で、履いていた紺色こんいろのジーパンを濡らしたことを今でも鮮明せんめいに覚えています。

(ハムスターに泣かされる中学一年生男子。死ぬほどみっともないですね)


 そして僕はこの時、中学一年生ながらに加えの辛さも体験したのです。


 まぁ、これも冷静に考えてみれば、自分の体の何十倍もあるバケモノが手を出してきたら怖いに決まってます。誰だって威嚇いかくせずにはいられないでしょう。



 ❇︎



 そして僕は、一週間ほど寝込みました。学校に行くどころか、自分の部屋の布団からもろくに出ない始末。


「はぁ……」


 それでも当時の僕は、彼らの主としての責任はちゃんと持っていたらしく、毎日のご飯と飲み水の入れ替えとケージの掃除は、怯えながらも欠かさずに行いました。


 孤独に怯えた愚かな人間の身勝手で、こんな狭いおりに閉じ込められた二匹のため、せめてものつぐないとして自分にできることを全力で続けました。


 癒しを求めて迎え入れたハムスターに怯える日々。


 やっぱり自分は一生辛い思いをして生きていくんだ、と再び心を病み始めていました。


「はい……。ご飯だよー……」


 そんな、気力も希望も何もかも失いつつあった、ある日のことです。


 いつも通りに、ひまわりの種の入ったお皿を怯えながら置き、なるべく迷惑にならないように去ろうと、手をケージの中から退こうとした時……。


「え?」


 僕の手のひらの上に、はむさんがぴょんと飛び乗ってきたのです。


 そして少し遅れて、アンちゃんもひまわりの種には目もくれずに僕の手のひらの上へと乗り込みました。


 彼らはそこで、頬袋ほおぶくろに溜め込んでいたご飯を取り出し、のんびりとくつろぎながらそれを食べ始めたのです。


 警戒心の強いハムスターが、人間の手のひらの上で食事をする。


 これは、その人間に対して『心を開き、懐いている』という何よりのサインです。


「……」


 僕は泣きました。


 別に、彼らが何かをしてくれたわけではないのです。言葉も話さなければ表情も変化することはない。ただただ無心でひまわりの種を頬張っているだけ。


 それでも、自分を認めてくれたような、自分を必要としてくれたような、そんな暖かさを感じたのです。


 心の傷が癒え、くすぶっていた闇が晴れたかのように思えました。



 ❇︎



 そして、その翌日から僕は学校に行くことができるようになり、少ないながらも次第に友達もでき、結果的には周りとはそれほど遜色のない学校生活を送ることができました。


 本当に、はむさんとアンちゃんの二匹には、感謝してもしきれません。


 あの二匹との出会いがなければ、僕はこの世界線で生きていられなかったことでしょう。


 まじで感謝感激雨霰かんしゃかんげきあめあられですね〜。











 そんな彼らも、中学校の卒業式の日に、この世界を去りました。


「っ……。……」


 僕は、また泣きました。


 人間って、本当に悲しいと、涙だけボロボロ出て声はこれっぽっちも出なくなるんですよね。


 喉が詰まると言うか、口が動かないというか、そんな感じでした。


「……」


 で、式を終えて家に帰り、ケージを見ると、そこで二匹が力なく静かに倒れていたのです。


 そっと手に抱いた小麦色の亡骸に滴る涙を、今でも鮮明に、痛々しいほどに覚えています。


 ちなみにですけど……。


 みなさんは知ってますか?




 【】って、めっちゃ冷たいんですよね。




 すぐそこにいるのに、目を閉じてて、ピクリとも動かなくて、怖い威嚇いかくもしなければエサも食べない。


 なーーーんにもしてくれない。


 今まで心に傷を負ったり、暗闇を抱いたりしたことはありましたが、ぽっかりとのは初めてのことでした。


「……」


 本当に、僕は何回この子達に泣かせられたんだろうと思いつつ、もう二度と、この子達に笑うこともなくこともないのだと、残酷な現実を知りました。


 で、19歳になった今でも、このことを思い出すとツラくて泣きそうになります。


 もう二度と会えない【死別】の悲しみと、再び襲い掛かる【孤独】のツラさ。


 それに加え『自分への慰め』という究極の身勝手で飼い始めてしまったことに対しての【懺悔】と『もっともっと大切にしてあげればよかった』という【後悔】が、今も心にべったりと張り付いています。




 それでも、あの子達が認めて、信じてくれた日のことを胸に秘め、僕はなんとか今日も生きています。

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