秋の夜長の風の音

オボロツキーヨ

松之助と夕霧丸 


(一)


「秋の夜長とは、わびしいものだな」

月を相手に愚痴ぐちを言う。


夜中の庭でうたげを催すことがある。

月とわしとわしの影の三人だけだ。

月明りの下で着流しの小袖姿のわしが舞えば、影も舞う。

影が舞えば、わしも舞う。

どちらが上手く舞うのかと、見物するのは月というわけだ。

かたい絆で結ばれた我ら三人。

李白の詩「月下獨酌げっかどくしゃく」を真似てみたが、酒が飲めないわしにとって、あまり楽しくない宴だ。


 敬愛する兄から放っておかれて気がふさぐ。

この九州の芦屋あしやを治める一族に生まれた五つ歳上の兄の秋重あきしげは、父上が亡くなると若くして領主となった。

わしは領主一族の遠縁の者で十五で猶子ゆうしとなった。

兄とはすぐにうちとけて、何処へ行くのも何をするのも一緒だった。

そして衆道の契りを結んだ。

詩歌や武術、男同士の情愛を兄は手取り足取り教えてくれた。

背はさほど高くないが武術で鍛えた逞しい体つきで、太い眉がきりりとした美丈夫。

いつもその姿を追っていた。

それはそれは楽しい日々だったが、数年前から領地をめぐっていさかいが絶えず、兄はそのことを将軍に訴えるために都へ向かった。

 

 しかし、兄が都へ行ってから、もう三年が過ぎたぞ。

わしは二十歳だが、まだ髪の長い若衆姿のままで元服をしていない。

ひたすら兄の帰りを待ちわびている。

兄がでてくれたこの黒髪を、兄にことわりもなく落とすことだけはできない。

昼間は雑事に追われて忙しくしているが、夜はいつも一人。

酒の席は好まぬから、大勢の騒々しい宴も苦手だ。

訪ねてくる友も無い。

 

 兄へふみを送っても返事は来ない。

お忙しいのだろうが、せめて兄からの文が欲しい。

兄さえ帰ってきてくれたなら、この古くひなびた館は光り輝く御殿になる。

これほどに離ればなれがつらいとは。

無理にでもついて行けばよかったのだが、兄弟そろって京の都へ行くことは許されない。

兄の代役として、しっかりと留守を守るのが弟の勤め。



(二)


「松之助様、お久しぶりでございます。ただいま京より戻りました。夕霧丸です。秋重様は今年の暮れには、こちらに帰郷されるとのことです」

まぶしく輝く大きな目が真っ直ぐにわしを捕らえる。


初秋のある日、待ちに待った都からの使者がやって来た。

夕霧丸ゆうぎりまるは、わしのまた従兄弟いとこで兄の太刀持ちとして京の都へ行ったのだった。

あと二月ふたつきほど待てば兄に会える。

夕霧丸の言伝ことづては何よりも嬉しい。

わしは嬉し泣きしそうになったが、耐えた。


「ご苦労であった。道中無事で何より。この地を出た時はまだあどけないわらべだったおまえも三年も経つと、やはり変わるものだな。もう十七か。その直垂ひたたれも良く似合っている。さすがに都帰りは違うな。ふははは」

卑屈な笑い声を上げながら、己の地味な深緑色の直垂と見比べてしまう。


 悔しいほど美しい若衆となって帰ってきた。

あかね色の直垂が華やかで、都の夕焼けを連れてきたようだ。

都はさぞや楽しかったに違いない。

いつも裸で野山を駆けまわり、泥だらけになっていた悪童が都の水に洗われると、かくも美しくなれるものなのかと驚くばかりだ。


 兄と毎夜、床入りしていた頃のわしはもういない。

筑前一の美少年とうたわれたわしだが、ひげが生えて声も低く太くなった。

手足も毛深くなってきた。

三年の間に容姿はすっかり変わってしまった。

若衆にとっての三年は三十年にあたる。

なのに、いつまでも兄を恋しく思う気持ちだけは変わらない。

だから、若衆盛りの夕霧丸を見るのはいささかつらい。

「かつては美しかったのだ」と心の中で何度も叫ぶおのれがいる。

京の若衆はみやびで美しいと聞く。



(三)

 

 毎夜、わしは兄の部屋へ行き、二人でむつみ合った慣れ親しんだしとねの上で、きぬた打ちをすることが楽しみとなっている。

兄の冬のころもにする厚い布地を砧に巻きつけ、筒形の木槌きづちで打つ。

砧は布を打ちやすいように、布を巻いた木の棒を横にして、しっかりと木製の台にはめ込むように作られている。

たやすく持ち運びもできる使いやすい道具だ。

砧で打つと、ごわごわした布が柔らかくなり、しわも伸びて光沢も出て着心地良く温かい衣になるそうだ。

わしは砧など見たこともなかったのだが、ある夜どこからともなく風に乗って聞こえて来た物悲しい「こーん」という音に心奪われた。

下男に「あれは何の音か」とたずねると「砧」だという。

以来わしは、離ればなれになった夫を恋しく思う、悲しみに暮れる里の女たちに共感して、夜な夜な砧を打つようになったのだ。


 そんなわしを見た夕霧丸は驚いていた。


「それは卑賎ひせんな女の仕事です。何故、そのようなことをなさるのですか」

夕霧丸の奴め、呆れ顔で言いおったから教えてやった。


「昔、唐土に蘇武そぶという偉い人物がいたが、北方の胡国ここくに捕らわれてしまった。故郷の妻は遠く離れた蘇武が、北国の寒さで夜も眠れないのではと心を痛めた。そして高楼に登り砧を打った。その夫を思う、ひたむきな心で打った砧の音は、万里を超えて蘇武の耳に届いたという。

だから、わしも砧の音を秋風に乗せたいと思う。ここ九州芦屋のやかたから東へ吹く風が様々な地の松葉の間をすり抜けて、都の兄の元に届くやもしれぬ」


「なるほど、そういうことでしたか。この夕霧丸、感銘を受けました。お願いがあります。こちらの館にしばらく住まわせてください。そして、わたしにも砧を打つお手伝いをさせてください」


夕霧丸があまりにも神妙な顔をして言うから、気は進まなかったが、明晩から二人で砧を打つこととなった。

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