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「そうだろうな」ようやく、ジンが耕太の顔を見た。その目が、じっと耕太を見つめるが、何を考えているのかはわからなかった。「私の仲間はときに人間から悪魔と呼ばれることもある。きっと私は――悪魔なのだろうな」


 そう言って、ジンはふいと背を向けた。そして離れを出ていく。耕太だけが残された。手は天ぷらの乗った小皿を持ったままだ。この天ぷら、どうしよう、とどうでもいいことが頭に浮かんだ。


 耕太はしばらくの間、そこに立ち尽くしていた。




――――




 いつまでも立ったままでは仕方がない。耕太は動き出した。


 怒りと苛立ちにまかせて、天ぷらをばりばり食べる。空になったお皿を台所に持っていき、それから祖母の部屋へと向かった。


 昨日とおんなじことをしてる、と耕太は思う。昨日とおんなじ……昨日もおばあちゃんの部屋に行った。そしてひいおじいちゃんのことを聞いたんだ。


 祖母の話が本当だったということがわかった。そのことをまず、祖母と話したい。そして、ジンのことを……彼の目的を、ずっと自分の胸に閉まっておくわけにはいかない。


 昨日と同じように、祖母は座椅子に座って本を読んでいた。そしてやはり昨日と同じようにそばにフカシギが伸びている。


 祖母が、環が目を上げて耕太を見た。耕太は口を開いた。


「ひいおじいちゃんのことなんだけど……」


 そう、昨日もこんな風に話始めた。けれども今日は違う。今日は昨日だけど――でも僕にとっては違う日で、もはや、あの時の僕ではない。


「ひいおじいちゃんが……」声が詰まってしまった。どう話していいかわからない。どっと、混乱と悲しみが押し寄せてきた。涙が、にじんでくる。「……死んじゃうんだよ」


 涙が転がり落ちた。僕のせいで。僕があんな魔物を家に入れてしまったせいで。芽衣が正しかったんだ。追い出せばよかった。窓を閉めて玄関の扉を閉めて、ジンを中に入らせないように……。


 でもそうしたところで、ジンは曾祖父の施設に行って、その命を奪うことができるのだ。そこまで考えたとき、耕太の頭にぞっとした光景が思い浮かんだ。


 曾祖父は――生きているのだろうか。


 だって、祐希兄さんの話がある。ジンは兄さんに言ったんだ。もう、もらった、って。それはひいおじいちゃんの体内にあるという魔力のことではないか。だったら――だったら、ひいおじいちゃんはもう生きてはいない……。


 ううん、でも、施設からは何も連絡がない。祐希兄さんがジンと話したのは昨日の夕方。夕方にはもうひいおじいちゃんが亡くなっているのだとしたら、夜までにはたぶん連絡があるはず。それとも、施設の人たちは何も気づいてないのだろうか。


 わからない。ただ、何かがおかしいのではないか、という気持ちが耕太の中にわきあがってきた。いつの間にか涙が止まっている。耕太は慌てて顔をぬぐい、祖母を見た。


「ひいおじいちゃんは……魔法使いだったんだよね」

「そうよ」


 祖母が微笑んで頷く。耕太はさらに勢い込んで尋ねた。


「魔法使いで、それでひいおじいちゃんが若い頃、この家に魔物がやってきたんだよね!」

「そう。……私、この話したことあるかしら」

「おばあちゃん!」


 耕太は詰め寄らんばかりに祖母の環に近寄った。「魔物がいるんだよ! ほんとにいるの! この世界にやってきて、今もいて、その魔物はひいおじいちゃんが出会った魔物の息子で、それで、それで――」


 どう続けていいのかわからない。言いたいことがたくさんあって、それがいっせいに喉元にせりあがってきて、どの順番でどんなふうに言えばいいのかわからない。耕太はいったん、言葉を切った。


「耕太。誰かが盗み聞きをしているわ」

「え?」


 環にそう言われ、耕太は廊下のほうを見た。けれどもそこには誰もいそうにない。


「違うわ。そっちじゃない。この部屋の中にいるの」


 そう言って、環はいたずらっぽく笑った。そしてフカシギに声をかけた。


「フカシギ。侵入者を捕まえなさい」

「にゃん」


 フカシギが一声鳴いて立ち上がった。そして、部屋の隅に行く。そこで目を疑うようなことが起きた。


 突如として大きくなったのだ。


 フカシギが、何の変哲もない、尻尾の短い三毛猫が、むくむくと巨大化していく。それはトラほどの大きさになり、そこで止まった。大きくなったフカシギは後ろ足で立ちあがり、前足を虚空に伸ばす。その途端、悲鳴が聞こえた。


 悲鳴の主はわからない。何も見えないのだ。続けて何かが落ちる音。やはり何も見えない。


 けれどもフカシギが、何かを、落っこちてきたものを前足で抑えつけた。するとそこに人の姿が現れたのだ。


 白い顔をしたスーツ姿の男。謎の男がフカシギに抑えつけられて呻いている。




――――




 耕太はまじまじと男の顔を見た。知らない人だ。というか、一体どこからやってきたのだろう、この人は。


 そして続けて、目を上げた。のしかかるようにして男を抑えつけているのは巨大な猫だ。この猫は……知ってる。フカシギだ。おばあちゃんの飼ってる猫だ。でもフカシギってこんなに大きくなかったと思うんだけど……。


 いや、絶対、こんなに大きくなかったよ!

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