魔王の選択
原ねずみ
第一章 夏色マジック
1
これは結局、愛の話だったんだ。
振り返ってみて、そう思う。渦中にいるときはよくわからなかった。だって、次から次へと不思議なことが起こっていたのだし。それについていくのが精一杯だった。
でもすごく楽しかった。
怒りもしたし、ショックなこともあったけど。でもとても素敵な夏休みだったんだ。夏休みの不思議な出来事。日にちにすればわずかなんだけど、でも、一生忘れることができない。
ある日突然、魔界から魔物がやってきたんだ。
そんなことあるわけない、って思うだろ? でも実際あったんだよ。僕らも驚き、混乱した。けれども魔物を受け入れ、仲良くなった。けれども……うん、その先はいろいろあったんだ。
これは愛の話。そして――王になるべく定めづけられた生き物が、一つの選択をする話。
――――
どこにでもいる中学二年生。小柄で眼鏡をかけている。可もなく不可もない顔立ちで、印象に残りづらいので、周りからは「眼鏡の子」として認識されている。運動は苦手だが、勉強はそこそこ。けれどもとびぬけてよくできるというほどでもない。
性格はおっとりとしており、なおかつ夢見がちだった。現在もひっくり返りながら、夢の世界に遊んでいた。
季節は夏で、夏休みだった。父の実家であり、現在は祖母と、伯父一家が住んでいる家に滞在中なのだ。家は田舎にあり、古くて広かった。十分な部屋数のある母屋に、さらに離れ。離れの窓が開いており、そこから涼しい風が入ってきた。
緑豊かな田舎とはいえ、真夏の昼間はさすがに暑い。けれども、風がわずかに、淀んだ暑さを和らげてくれる。耕太はそんな中にあって、ぼんやりと考え事をしていたのだった。
離れの隣には、物置として使っている部屋がある。そこから古い本を持ってきて、読んだところだったのだ。『アラビアンナイト』。子どものときからこの家にある本で、今日、久々にまた目を通したのだった。
アラビアの夜が、美しいタイルの宮殿が、背の高いヤシの木が、天に散る星々が、丸屋根とターバンが、絹のベールをつけた細い腰をした女性が、耕太の脳内に次々に現れ、くるくると舞っていた。イメージの世界に遊びながら耕太は思った。
(いいなあ、魔法の世界は)
魔法の世界は憧れだ。そこはこことは全く違う世界のはずだ。そこには壮大なドラマや愛や友情や葛藤がある。ううん、愛や友情や葛藤なら現実世界にでもあるだろうけど……でもどうも、僕の周りには壮大なドラマがない。それはよいことでもあるのだろうけど。
それに――魔法の世界でだったら、僕ももっと違うものになれるんじゃないかと、耕太は考える。今みたいな冴えない少年じゃなくてさ。僕は――結局、逃避したいだけなのだろうか。
ともかく、魔法はよいものだ。それに本の世界というのもいい。耕太は本が好きだった。ときおり自分でも書きたくなる。たとえば、ファンタジー世界の冒険ものとか。けれども書けるかどうかわからない。
設定だけはあれこれ思い浮かぶのだけど、それをきちんとまとめることができないのだ。
でもいつかは書いてみたいな、と思うのだった。書いてみて――それを誰かに読んでもらえたらもっといいかも。そうだなあ、本を書いてそれを売って生きていくことができれば、もっともっといいかも。でも恥ずかしいし、そんな才能があるかわからないし、高望みはしない――。
無謀な将来の夢は置いておいて、耕太は別のことを考え始めた。曾祖父のことだ。
この家にいるのは、祖母、伯父、伯母、いとこの四人。でも曾祖父もいる。ただ、ここに住んでいるわけではなく、高齢なので施設にいるのだ。耕太が小さい頃から曾祖父はかなりの高齢だったので、あまり話したことがない。穏やかで優しいおじいさんだ。
その曾祖父が、魔法使いだったという話があるのだ。
誰が言ってたんだっけ? と耕太は思った。そうだ、おばあちゃんだ。祖母の環。曾祖父の娘にあたる。あなたのひいおじいさんは、私のお父さんは、魔法使いだったのよ、って。祖母はお茶目な人で、物語を作って孫たちに披露することも好きだった。その際にふざけて言ったのかもしれない。。
でも曾祖父が魔法使いだったら――僕は魔法使いのひ孫だ。僕にだって、魔法の力が受け継がれているかもしれないな。
ぼんやりと期待に身をゆだね、目を閉じていると、足音が聞こえてきた。離れの部屋へと近づく足音だ。そして開いたままのふすまから小さな顔がのぞいた。
少女だ。耕太とほぼ同じくらいの年齢で、背の高さも変わらない。くりくりとした目をしたショートボブの、かわいらしい少女だった。
耕太は身を起こした。少女が部屋に入ってくる。シンプルなシャツにシンプルなショートパンツ。少女は耕太の近くに座った。いとこの
砂原芽衣は耕太と同い年のいとこだった。ただ、芽衣が言うには、私は四月生まれであんたは三月生まれなので、私はあんたよりほとんど一つ上、ということになる。芽衣は勝気な性格で、耕太はなかなか頭が上がらなかった。
「昼寝してたの?」
芽衣が尋ねる。耕太は言った。
「ううん。本読んで、それから少し考え事してただけ」
「『アラビアンナイト』」
耕太の横に置かれた本を見て、芽衣が言った。「懐かしいな。この本私も何度か読んだ」
「隣の部屋にあったんだよ。あの部屋面白いね。いろんなものがあって」
「うちの家族は捨てるということをあんまりしないから……」
苦々しく芽衣が言った。
と、その時だった。
声がしたのだ。窓の向こうから。人の声。若い男の声だった。
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