第35話 詩人の恋



 青年の名は、セグ。


 金貨3枚で一晩買われる、男娼だ。ちなみに前世日本の物価に換算すると、金貨1枚が10万円弱。金貨3枚となると、俺の月給(各種手当、残業代込み)と大差ない。手取りなら、完全に負けていた。いや、そもそも日給と月給を比べてる時点で勝負になっていないのだが。


 端正な顔立ちに浮かぶ憔悴は、今夜の疲れからだけだろうか。セグの物腰からは、賤業に身をやつしても抜けきれぬ育ちの良さとでも呼ぶべきものが感じられた。はっきりと、気品と呼んでしまっても構わないだろう。


 そんなところが、ボエルッタに寵愛されたのだろうか?

 セグは言った。


「いつも私を先に眠らせて、ご自身は書き物をされていました――」


 ボエルッタが部屋に残した荷物は、残らず警邏隊の建物に運び込まれている。そのほとんどは、紙だった。大量の紙。1枚1枚に日付が書かれ、ひと月分ごとに束になっている。月ごとに束の厚みが違うのは、同じ日付で何枚も書かれてる場合もあるからだ。


 紙に書かれてるのは、詩だった。


 俺も何枚か手にとって見てみたが、テーマは恋に政治、人生や季節の移り変わり、旅先で見た景色、そこで得た旅情、街で暮らすことの楽しさに憂鬱と、多岐に渡っている。印象として一番近いのは、佐野元春の歌詞だった。中でも印象深かったのは、こんな、たった2行だけの詩だ。


『友達が死んだ。

 冬の日の、埃のように』


 ともあれ俺がボエルッタに予感した知性は、想像以上だったみたいだ。前世日本であれば、大したサブカルクソ野郎になってたに違いない。もちろん、これは褒め言葉である。


「8ヶ月前……作風が変わってるわね」


 言いながらイゼルダが並べた紙を見てみると、8ヶ月前のある日を堺に、紙に詰まってる文字の密度や、字体が変化しているのが分かった。そして内容の変化は、もっと顕著だった。


『水の中から見上げる空/いくつもの青/まるで俺たちみたいに揺れてる/ギブアンドテイクの世界から/ひとつだけはみ出してるぜ/愛ってやつが/いつまでも終わらぬ世界で/繰り返そう/君を愛している/君を愛している』


 みたいなのだったのが、


『赤黒い舌みたいな噂が俺の胸を舐めあげる/地獄の皇太子が空っぽのアタマをノックしてやがるぜ/ドコドコドコドコ/煉獄の酒場/カーテンに揺れる人影/ムズ痒さにに足を踏み鳴らしながら/それでも俺は繰り返そう/オマエを愛している/ああ、俺はオマエを愛しているさ』


 と、まるでシティポップがデスメタルになったような大変化だ。


「あ、逆だわ逆。こっちの方が先だった」


 逆? ああ、殺伐としてるのが8ヶ月より前で、おしゃれっぽいのがそれ以降ってことか。


「おや? この詩は……」

「あれ? この詩は……」


 別々の詩を手にとってたウィルバーとアドニスが、同時に声をあげた。

 どちらも、8ヶ月より前の詩だった。


「「ジンジャーバロン、ですか」なんじゃないか?」


 それを聞いて、イゼルダも言った。


「ジンジャーバロン……会ったことあるわ。ああ、あいつかあ」


 突然名前が出た、ジンジャーバロン。王都でもそこそこ名の知られた詩人で、イゼルダの友人がパトロンの1人となっていたらしい。その関係で、イゼルダもパーティーで顔を合わせたことがあったのだとか。


「ジンジャーバロンとボエルッタが同一人物だとしたら、似ても似つかぬどころの話じゃないわね。あんな大男じゃなかった。優男で、上手にモテてたわよ。女より男が好きなのは分かってたけど……だって、そういう男ならではの色気があったから。それがあるから、女も安心してちやほやしていたのよ。ああ、ちなみにね、クサリちゃん。ジンジャーバロンは『スネイル』の幹部としてマークされてたから。ここ半年ばかり消息不明になってたからどうしたのかと思ったら、こういうことになってたのね……」


 というわけで色々明らかになり、俺の立てた『ボエルッタはスネイルに改造された』という説は、かなり真実味のあるものとなった。8ヶ月前、スネイルによりボエルッタは身体能力を強化され、それが彼の外見や精神にまで変化をもたらしたのだ。


「顔を変えたのは、王都に忍び込むため? 王都では顔を知られてるから、その目を逃れるため――」


 イゼルダの推理に、俺は口を挟まない。変わってしまったから、新しい場所へと向かう。以前の自分と、新しい自分を切り離すため。そうすることで以前の自分を守り、だからこそ、新しい自分も肯定できる。だが、そういう感じ方を理解できるかどうかは、人によって違う。


 ボエルッタについて、最後にセグはこう言っていた。


「優しかったです」と。


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