第8話 ギルマスは雌の顔
『鎧を交換しよう』という『お嬢さん』の提案。
それをミシェールが断らなかったのは、どんなに些細なことだとしても『お嬢さん』に勘ぐられ、その後の襲撃に支障を来す可能性を恐れたからなのか……
しかし本当に不可解なのは、鎧を交換したことをミシェールが男――ジョルダンに伝えず、ジョルダンもまた土壇場で明かされるまで気付かなかったことだ。
土壇場とは、襲撃の直前。
取り調べによると、襲撃予定地に着いたと同時に、『お嬢さん』がジョルダンに囁いたのだという。
「とうとう気付きませんでしたわね。私が『
最後まで聞き終えず――その声が耳に届いた時点で、ジョルダンは計画の失敗を確信していた。襲撃予定地を過ぎてもジョルダンは足を止めず『お嬢さん』とミシェールも、変わらずその後についていく。
ジョルダンと襲撃犯は、最低限の連絡しか取り合っておらず、『お嬢さん』については鎧の外見だけで見分けて襲うよう、実行部隊の男たちに伝えていたのだという。
つまり、そのまま襲撃予定地に留まっていたなら、『お嬢さん』でなくミシェールが襲われていたことになる。仮に襲撃犯に鎧の入れ替わりを伝えられたとしても、それで計画に生じるだろう綻びは、ジョルダンにとって許容できないものだったに違いない。
そして計画を中断し、予定にないルートに足を踏み入れ、ゴブリンに襲われ、結果、ミシェールだけがその場に残されることになったというわけだ。
ジョルダンがシェルターに助けを求めたのは、体裁を整え、襲撃計画があったことを隠蔽するためだろう。『お嬢さん』とミシェールの鎧の色を逆に――本来あるべき通りに伝えたのも、『お嬢さん』がゴブリンに殺されてたなら、保身として成り立つ。
分からないのは、『お嬢さん』がミシェールから離れて襲撃場所から移動した
「なお、そこへオーガが現れた理由は不明――というのが、本件についての私――すなわち当ギルドの、現時点での見解なわけだが」
説明を終え、足を組み替えると、ギルマスが訊ねた。
「さてムート殿。あなたが現場に着いた時、男たちは――まだ生きていたか?」
この質問の意味。
男たちを
「…………」
爺さんは無言だ。
俺がオーガを斃して着いた時、死体だらけのあの場所にいたのは、3人だった。
爺さん、『お嬢さん』、それから……『お嬢さん』の執事。
「しつ、じ……」
「ああ。あのイヤミ野郎か。『騎士学校出のプレイボーイ』って感じのいけ好かない小僧だ――はん。ベルモートのタイピンなんて着けて、たいした洒落者でいらっしゃるよ」
ベルモートというのが何なのかは俺にも分からないが、ギルマスが結構毒を吐くタイプなのはお分かり頂けたかと思う。
「あの男が着いたのは、ムート殿より後だ。転移の魔術で跳んだらしい。表には出てこないが、ゴーマン家にはかなりの腕前の魔術師が付いてるみたいでな。実は『
それは、秘密保持の観点から?
「あのイヤミ野郎のイヤミな面とイヤミな物言いを思い出しただけでムカついて、息が荒くなって、さっきも呼吸困難になりかけてしまったんだ」
そういう
俺が呆れていると――
「昨日の件については以上なんだが、もう1つ話があって――これも『
――というわけで、俺はギルマスの部屋を後にすることとなった。
爺さんの話が終わるまでは、1階で待機だ。
こういうのは、今日が初めてじゃなかった。
1階に降りると、まずはバーカウンターのおばさんが話しかけてくる。
「いつものかい?」
「い、づも……の」
「へえ。じゃあ、長くなるね。ほら、これ持ってきな」
芋が山盛りになった皿を渡されると、今度はテーブルの方から声がかかった。
「おーい。クサリ、こっち来い!」
「馬鹿野郎。こっちだよこっち!」
テーブルの間の、うまく中間辺りに出された椅子に座るやいなや「ほら、食え」「これもだ。美味いぞ」明らかにバーで扱ってるのとは異なる種類の果汁水が差し出され、ソーセージの刺されたフォークや、シチューをすくったスプーンが向けられてきた。それを俺は、どれも一口で頂いていく。
「「「おお、食ったっ食った!」」」
こんな感じで、
爺さんが離れて一人になった途端、いつもこうなのである。
冒険者の中には、妻子と離れて暮らしてるやつも多いだろうし、なにより爺さんの保護者としての不適格っぷりに
「ほら。これも……ほら」
おっかなびっくりな様子で串焼きを差し出してきたのは、さっき爺さんに絡んでた若者だ。
そうこうしてるうち――
「そういうことか~。道理でギルマスもめかしこんでると思ったらさあ」
――そう言って笑う声が聞こえてきた。
基本的に、前世の記憶を取り戻す前の俺と、取り戻した後の俺との間に断絶はない。知識も意識も戦闘技術も、すべて現在の俺に引き継がれている。
そして現在の俺には、前世で得た大人としての知識、経験、洞察力があった。
これがどういうことかというと、分かってしまうのだ。これまでの俺が、子供であるがゆえに見逃してたり、見ても意味が分からなかったりしてたあれやこれやについて、もうばっちりと。
ぶっちゃけていうと。
いまギルマスの部屋で、何が行われているのかが。
今日のギルマスは、昨日の冒険服よりもっと堅苦しい、執務用の、前世でいえばビジネススーツにあたるような服装だった。しかし絶妙に開かれた胸元とか、アップにした髪とか、首筋にはたかれた粉とか、貝がら色に塗られた爪とか、ふくらはぎを美しく見せるボトムスとかが、あからさまに物語っていた。
一言で言うなら、雌だった。
俺と爺さんが町のギルドに来るのは、月に1度だ。日付や曜日は定まっていない。だから俺たちがいつ来るか、ギルドでは誰も正確な予測が出来ない。
俺たちがギルドに来る時、ギルマスがいたら、必ず2階の部屋に呼ばれる。そして俺だけが先に1階に降ろされ、爺さんはしばらく出てこない。毎回、毎回だ。しかし、ギルマスが気付く前に爺さんが帰ってしまうこともあって、そんな時は、さっきみたく呼び止めるギルマスの悲鳴が、背後から追っかけて来る。
そういう状況証拠から、分かってしまったのだ。いま爺さんとギルマスが、何を行っているのかが――大人の記憶を取り戻した、俺には。
いま、ギルドの1階では。
飲んだくれたちが、息を呑み、凝視している。
テーブルの上の、コップを。
そのどれもが、水面に波紋を生じさせていた。
2階のギルマスの部屋は、魔術で遮音が施され、音を外に漏らさないようになってるのだという。しかし、それでも封じきれない振動が、床からテーブルを伝わり、コップの酒を揺らしているのだった。
飲んだくれの一人が、コップをテーブルに置いたまま、その縁に耳をあてた。
糸電話や、壁にコップをあてて盗聴するのと理屈は同じだ。一体、どんな音が伝わってきたのだろう。飲んだくれが、それまで酒で赤くなってた顔を、更に赤くして呻いた。
「すげえ……『ウー!』『オー!』って……まるで、獣が戦ってるみたいだ」
他の飲んだくれたちも。
「おいおい。あの人殺しみたいなギルマスが、泣いて許しを乞うてるぜ」
「今度は子供みたいに甘えて、おねだりし始めたぞ」
「うわあ。俺も、こんないやらしい『お掃除』ならされてみたいぜ」
「俺、ちょっとトイレ行ってくるわ」
俺もコップに耳をあててみようと思ったのだが。
「駄目だ。子供がこんなの聞いちゃ駄目だ」
と、件の若者に遠ざけられてしまった。
ちぇ。
そんなこんなで、1時間ちょっとは経っただろうか。
2階から降りてくる爺さんを見て、誰もがほっとしたような表情になった。
その時は、まだ俺は予感すらしてなかった。
自分が、王都の学校へ通うことになるだなんて。
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