初夏の背骨

河原日羽

初夏の背骨

塚本が死んだらしいと聞いたとき、ああ初夏か、と最初に考えた。


同窓会には一度も出たことがなかったから、連絡が来たこと自体にも驚きだった。

ましてや、塚本についての連絡だとは。


「塚本が死んだ?……塚本葵?」

「そう、今週末葬儀らしい。お前、けっこう仲良かっただろ」

いや別に、と言いかけてやめた。

「……脳梗塞で、突然死、らしい。お母さんが見つけた時にはもう手遅れだったと」

「ずっと連絡とってたのか」

まあね、と電話先の相手が笑った。

「あいつずっと地元だし、変な奴だったけど、ファンっていうか、まあ人気者だったしな」

「嘘つきだけど」

電話先で、笑うように声がゆるむのがわかった。

「嘘っていうかファンタジーだろ。誰も信じちゃいなかったし、あれはああいうもの、って楽しんでたんだよ。宇宙人だなんて」

塚本葵は宇宙人と名乗っていた。小学四年生のころだ。


塚本の話をすべて鵜呑みにしていたわけではなかった。

実際、全部嘘なのではないかと思っていたし、今だってそう思う。

ただ、あの色素の薄い目を細めたようにするとき、何かを見定めるように一点を見つめるとき、そこには何か真に迫るものがあった。


塚本葵とはじめて話したのは、あれも初夏だった。

彼は、そう、その半年前ほどに転校してきた。


「知ってた?宇宙人って、ほんとうにいるんだよ」

放課後、ランドセルに「宇宙のひみつ」という本をしまっていたら、塚本が声をかけてきたのだ。

塚本は髪の色がちょっと薄く、長いまつ毛をして、目を伏せると女の子みたいに見えた。

「何それ。宇宙人って」

塚本は目線をちょっと伏せるようにしてから、こくりと頷いてつづけた。

「まあ嘘みたいなものなんだけど。太陽系って広くてね。地球出身じゃない、地球の常識じゃ測れない生き物なんてそこかしこにいっぱいいるんだよ」

「たとえば?」

塚本はちょっと肩をすくめた。

「僕とか。あと、木とか」

僕は思わずランドセルを背負おうとした手を止め、塚本を見た。

塚本は再び目を伏せてから、意を決したように言った。

「……あのさ、一緒に帰らない?君んち僕の家と方向同じなんだ」



塚本は帰り道、宇宙がいかに巨大か、地球がいかにちっぽけであるか、そして地球外に生命体が存在できると考えられる星がいくつもあるということをまくしたてた。

だから自分のような宇宙人が地球にいても不思議ではないと。

僕はばかばかしいと思いつつも、塚本の妙な熱意に気おされていた。帰り道分くらい付き合ってやってもいいだろう。


「いや、言うのは簡単だけどさ。なんか証拠がないの。長い触覚とか、タコみたいな足とかさ」

僕が言うと、塚本は腕を組んだ。どう見ても普通の長さに思えた。


「証拠ねえ。正直、僕は地球人とほぼ変わらない見た目だから。

重力のあるところで脳を発達させるにはこういう二足歩行が一番いいんだよ、地球でもそうでなくとも……」

ふん、と鼻で笑った僕を横目で見やって、塚本はつづけた。

「ただ、一つ教えてあげると、僕は僕みたいな地球外生命体のことがわかるよ。せっかくだから見せてあげる」

ほら、あれ。塚本が手で指し示した。

そこには大きな樹があった。


「あれは背骨なんだ」

誰の所有かよくわからない空き地が家一軒分くらいあり、そこに見事なケヤキの樹が植えてあるのが見えた。


大きな樹は葉を茂らせ、巨大な生き物のように緑の葉をざわめかせていた。

そしてその葉の向こうに、ごつごつした骨のように木の枝が、幹が、走っていた。

木のそばにいると、葉の音が心臓を滑っていくのを感じた。


「人間たちは知らないと思うけど。この木はもともと地球外生物の背骨なんだ。僕みたいに地球に落ちてきて、元に戻れなくて、ここで朽ち果てた」

塚本の言っていることは僕の理解を大分超えていたが、塚本はじつに真剣な顔でその背骨を眺めていた。

「お前、小説家みたいだな」

「事実だよ」

塚本は、きっぱりと言い切り、花開いたように笑った。

長いまつ毛に光がきらめいて、天使のような顔だった。



それから、僕と塚本はなんとなく一緒に帰るようになり、一緒に遊ぶようになった。

遊ぶ場所はお互いの家のこともあったけど、”背骨”の下がいちばん多かった。

僕たちは、”背骨”がどんな生き物だったか、”背骨”がどんな星に住んでいたかを議論した。

話は塚本の故郷や、宇宙人としての自覚などに及ぶこともあった。

ただ、塚本は自分が宇宙人であることはわかっても、地球外にいたころの記憶はないのだという。

「なにしろ地球に来たときは、赤ちゃんだったから」

「そうなると、ほとんど地球人と同じじゃないか」

釈然としない僕の顔を見ると、塚本はちょっと目を伏せるようにした。でもそうなんだ。事実なんだよ。



塚本が宇宙人と名乗っていたのは僕相手だけではなかった。

クラスメートにも、上級生にも、担任にも、控えめではあったが、ごくきっぱりと、自分を宇宙人と称した。

その言いようはあまりにもごく当然で、淡々としていた。

宇宙人であることは、塚本にとってごく自然なアイデンティティであるかのようだった。

もともと整った顔立ちをしていた上に、どことなく(というか明らかに)ミステリアスな塚本のふるまいは、奇妙にも人気を博した。

特にある種の女子に、塚本はヒーローのように崇められていた。

塚本はというと、全くそれらには興味がないようだった。

学校ではいつもあの伏せた目だった。宇宙。銀河。星雲。塚本にはそれだけだったのだ。

僕が将来天文台で一緒に働こう、宇宙人であることはきっとアドバンテージになるに違いない、というと、嘘みたいな笑顔を見せた。



あれも初夏だった―最後に塚本と長く会話した日だ。

僕たちは六年生になっていた。

塚本は非常に困った顔をして僕に話しかけてきた。

「女の子が、君と来てほしいって言うんだ」

いつものやつだ。塚本は六年生、卒業の年になって、とにかく告白をされつづけていた。

そのたび、彼は控えめに、かつきっぱりと断っていたのだが、今度の相手はやっかいだった。しつこいのだ。

付き合ってほしい、付き合わなくていいから連絡先だけを交換してほしい、付き合わなくていいから一度だけ手をつないでほしい

……三回目のそれとない告白で、ついに塚本は伝家の宝刀を取り出した。

「僕は宇宙人だから。地球の人と付き合うつもりはないんだ」

女の子側も戸惑って、”翻訳係”として僕を召喚したい、と言ってきたようだ。


「そんなの無視すればいいじゃんか」

「あんまり目立ちたくないんだよ。地球で遺恨を残すと宇宙人全体の名誉にかかわるだろ」

長い付き合いで、塚本は非常に繊細な一面を持っているらしい、とわかっていた。

とにかく他人を傷つけないようにと行動するのだ。宇宙にはそのような規律でもあるのだろうか。


女の子は学校の屋上で、これまた友達らしい別の女の子を引き連れて立っていた。

それなりに可愛らしい子のようだったが、すでに泣いている。最悪だ。

「……あのね、もうわかってるの。でも宇宙人っていうのはどういうことかなって、それだけわかりたくて。本当にごめんね」

塚本の困った顔は、こちらも泣き出しそうだった。

「宇宙人っていうのは、事実だよ。それ以上でもそれ以下でもないよ」

「あのね、わけわかんないこと言わないでよ。あんた折角付いてきたんだから、塚本がどういう意味で言ってるか教えてくれない。ミホ、泣いてるんだけど」

友達の女の子が仁王立ちで喚いた。

泣いていようと泣いてまいと知ったことか。

「いや、宇宙人っていうのはそういうことだろ。俺にもよくわからんけど、塚本がそういうならそうなんだよ」

「ばっかじゃないの!?」

友達は、泣いているミホの肩を抱き、憎々しげに叫んだ。

「お前なんかミホに似合わない。そっちの男とずっと付き合ってなよ!」

塚本はうっ、と言葉に詰まった。

十二万光年のような時間が流れた。「そうだね」

「僕、彼のこと好きなんだ」

塚本はあの、ちょっと目を伏せてから笑うやり方をした。



それきりほとんど塚本は宇宙人の話をせず、僕を避けるようになった。

僕と塚本は卒業するとき、連絡先を交換しなかった。



塚本葵のことを思い出すとき、記憶の中の季節はいつも初夏だ。

決まって僕らは背骨の下で会話をしている。

「……もし、塚本が、地球から宇宙に戻りたくなったらどうするわけ」

「それがねえ。宇宙船がどこにあるかもうわかんないんだ、なにせここへ来たとき僕はまだ赤ちゃんだったわけだから。

この背骨の生き物と一緒で、僕の肉体は地球に還るしかないよ」

塚本は背骨をじっと見やった。

「あるいは、肉体がなくなったら、光と同じ速さで動けるようになるかもね」

目を伏せた顔に、葉が影を落とす。

「そしたら故郷へ帰れる。長い旅になると思うけど」



塚本は元の星に還れただろうか。


記憶の中で、大きなケヤキは、遥か銀河系に手を伸ばすように、立ち尽くしている。

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初夏の背骨 河原日羽 @kawarahiwa

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