第29話

 瞬きをした次の瞬間、やはりというか、そこにあるのは別の世界――元の世界だった。

 そして、すぐに舞い込んでくるズレの情報――過ごしていないはずの一日の記憶――が跡永賀にここでの無事を確認させた。本当に、何事も無く一日を過ごしたようである。起床から始まり、いつもの生活、そして就寝と、何の落ち度もない。完璧な自分の姿。

 現在の自分は、昼食にしようと自宅の一階リビングに移動したところだった。


「アットおかえり」

 最初に跡永賀のもとにやってきたのは、兄だった。

「ああ、ただいま」

「無事戻ってこれたかい?」

「多分な」

「そう。ならいいんだ」


 次にリビングへ続く扉を開いたのは、

「やっぱり、ここにいた僕らも向こうのことは知っているから、家にいたんじゃないかな。確認のために。日曜で会社もないしね」

「みたいね。そんな覚えがあるもん」

 両親だった。「あら、一人いないわね」

「そのうち来ると思うよ。あと別にもう一人」

 太郎の言葉を肯定するように、階段からドタドタ、ここにある庭へ続く窓からトントンという音が。


『跡永賀ー』

 期待感満載といった顔でノックするあかり。

『あ、何すんのよ』

 それを勢い良くカーテンで隠す冬窓床である。

「跡永賀は私の」

『ふざけんなコラー!』

「ボクティンの弟の彼女と幼なじみが修羅場すぎるでござい……これをラノベにすればアニメ化も狙えることは確定的で明らか」

「勝手にやってろ……いや、やるな。やめろ」


 跡永賀が窓の鍵を開けると、あかりがガラリと開けて跡永賀の腕に絡みついた。「うんうん、これが正常、これでこそリアルに帰ってきたっていうものよ」

 いつの間にか靴を脱いでいたあかりは、跡永賀の腕を引いてリビングのソファに座る。

「跡永賀……」

 その逆サイドには冬窓床がぴったり。あっちであれだけハジけていた姉は、こっちでは元に戻るらしい。ネット弁慶というやつだろうか。


「皆、無事に戻ってきたみたいね」

「皆……?」

 母の言葉に、跡永賀は首を左右に振って見回すが、やはりここには家族と恋人だけだ。ほかに誰かが来る気配はない。


 これで全員なんだ。

 自身の手を――離さないと掴んでいた手を見る。

 何もなかった。


「なんで……」

 わかっていた。わかっていたことなのに、言わずにはいられない。 

 どうしてここにいないのか。

 どうして向こうにいたままなのか。


「あ……ああ……」

 改めて感じる喪失。

 その痛みにうめき、涙は止まることなくあふれる。

 嗚咽する跡永賀に、ここにいるすべての者は何も言わなかった。その悲しみを察しない者は誰もいなかったのだ。

 この涙を跡永賀は知っている。会えなくなったことに流す涙。失った絆を悔いる涙。

 ただそばにいる。

 それだけでも尊いのだと知った涙だ。

 会いたい。

 願うことは、ただそれだけ。

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