第21話(第4章)

 一ヶ月が過ぎた。この一ヶ月は、今までほど長くは感じなかった。むしろ、短い気がした。

 始めは外界とソフィアのアパートを往復していたが、やがて夜もシェルターの外で過ごすことが多くなり、そのうち野宿が当たり前になった。強くなったからではない。要は慣れだ。まず見晴らしのいい草原は危険。すると遮蔽物の多い森となるが、そこにもゴブリンだのオークだのが巣食っている。行き着いたのは木の上である。そこは連中の視野にはなく、安全なのである。太古の人類もこうやって住居を確保していたのかもと、跡永賀は思わぬところで感慨を覚えた。


 アトエカの朝は早い。

 早朝というのは、狩場が昼間よりすいている。つまり、狩ることが出来るモンスターの数は増え、取り合いによるトラブルの数は減る。ゆえに縄張り争いに負けるか、あるいはそのテリトリーに執着があるプレイヤーは、その時間帯を狙う。


「今日も収穫なしかな」

 シェルター近くに生えた木の上、双眼鏡を目から外した跡永賀はため息を吐く。視覚系アビリティである〝透視〟を磨いたおかげで、プレイヤーの名前が対象の頭上や足元に表示されるようになった。これに道具屋で買った双眼鏡を組み合わせることにより、安全かつ確実な人探しができるようになったのだ。もっとも、戦闘はまったくやっておらず、そのための訓練もしていないため、そっち方面のステータスはからっきしだが。プレイヤーはもちろん、モンスターすら一体も倒していない。


 バトルとは無縁。かといってやりたい目標――倒したい相手、鍛えたい理由があるわけでもない。

「何してんだろ、俺」

 何がしたいんだろう。何をすればいいんだろう。


 健康な体さえ手に入れば、何かが変わると――充実した人生が送れると思っていた。しかし、実際は何もない。できることは増えても、やることは変わらなかった。

 どうにか立ち直って、やっていることといえばリアルなら五分で会える恋人を探すのに一ヶ月……


「会えても愛想尽かされるかもな」

 ははは、と自嘲しながら食料を齧る。支給されている携行食はまたブロックタイプのものに戻っていた。

 それに加えて、ここにいるのは新兵級。下の下、雑魚中の雑魚だ。

 ……まるで自分じゃないか。跡永賀は自己嫌悪した。


「……お前は一向に逃げないな」

「ぷるる?」

 そばで自分と同じ携行食を食べていたモモは首を傾げる――体を傾けるが正しいか――。ひょんなことからシェルター内に入ってしまって、帰れなくなったから跡永賀の世話になった可能性を考えたのだが、どうやらそうではないらしい。


 このまま自然に返すのも手ではある。しかし、ここも危険なのである。かといって、もっと遠くには強いモンスターがいて、そこにあっては駆逐されるのが必定……

「改めて考えると、俺以上に逃げ場がないんだな、お前は」

 どうやっても踏みつけられる側にいる。

 不憫より先に、親近感があった。


「こういう気持ちになるから、狩れないんだろうなぁ」

 普通なら――出会った当初とは違い、それなりに力がある今なら、ここでこのプルルンを狩るのだ。それがゲームの王道というものだ。

 けれど、やはりそういう気にはなれない。戦って、戦って――それこそ無双したところで、自分に快楽はないだろう。きっと、ただ虚しいだけだ。


 この世界はリアルすぎるのだ。木や草だけの話ではない。モンスターにしてもNPCにしても、ここのすべてが命を持っている。

 それをどうにかしようだなんて、おこがましい。


「俺は戦闘士には向いてないな」

 ぽりぽりこめかみを掻いた跡永賀は、父からチャット申請がきたことに気づく。承認すると、目の前に相手の立体映像が展開された。これは話し相手にしか見えないらしい。たとえば地域型チャットなら現地にいるプレイヤーにも見えるが、この場合はささやき型。対象である跡永賀にしか見えない。


「どうかした?」

『冬窓床がうちに来てるんだ』

「そっか。そっちが先か」

『彼女さんはまだ見つからないのか』

「うん……」

『冬窓床がいる以上、その方がよかったかもな』

「ま、まぁね」

 最後に見た二人のやりとりを思い出した跡永賀は同意せざるを得なかった。


「じゃあひとまずそっちへ行くよ」

『おう。父さんたちが使ってる家があるだろ? そっちに待たせておく。じゃあな』

 チャットを終了させたらしく、タローの姿は消えた。下にモンスターがいないことを確認し、木を降りた跡永賀。

「ぷるる~」

 それに躊躇なくついてくるモモ。

「そうか」

 自然に帰らず、こっちに来るか。

「よし、シェルターまで競争だ」

 跡永賀は走りだす。その足取りは軽い。

 



【タロー・ファクトリーに隣接する住居スペース】

 肩にかかる程に伸びた髪、白いマントに赤いアーマー。強い心を見え隠れさせるきりりとした瞳。

 まるで別人だ。

 跡永賀はまず、そう思った。


 工員や弟子のためにと用意された家屋群、両親が使っているその一つに、跡永賀は来ていた。気を利かせたつもりなのか、ここには自分と彼女しかいない。

「姉さん」

 まず跡永賀が口を開く。椅子に腰掛けていた彼女が立ち上がる。


「ひさしぶ」

「遅いっ」

 ビシッと指をさして、冬窓床がそう言った。あの冬窓床が、である。


「待たせすぎよバカ!」

「あ、あの……いや……ごめん」

 これがあの冬窓床だろうか。跡永賀は動揺するばかりである。


「姉さん……」

 相当溜め込んでいたんだね……。跡永賀はみなまで言わなかった。

 姉は変わった。今までは飲み込んで終いだった姉は、ついに吐き出すようになった――吐き出せるようになった。

 それは喜ぶべきこと、称えるべきこと。

 しかし……

「どうしてこうなった」

 幼なじみとしては、この急な変わり様にそう言わざるを得なかった。


「女には色々あるのよ」

 遅れてやってきた母はそう言い、

「驚いたろ? 父さんも驚いた」

 母の後に続く父はそう言い、

「いるんだよね。リアルとキャラが全然違う人って」

 最後に入ってきたソフィアはそう言った。

「そんなもんかね」

 自分でいれた茶を啜った跡永賀は、その渋さに顔をしかめる。


「そのちっちゃいのは誰」

 冬窓床はソフィアを見た。

「ソフィアだよ☆」

「ああ、そうか。ま、ならどうでもいいか」

 何かを納得したらしい冬窓床が興味を失ったようにソフィアから視線を外す。


「ソフィアを知ってるの?」

「知るも何も、だいたいの察しはつくわよ」

「?」説明されてもわからず、跡永賀は首をひねるばかり。

「なんにせよ、これで家族勢揃いじゃないか」

 父の言葉に、ちょっと待ったと跡永賀。


「まだあの馬鹿がいないだろ」

「それってお兄ちゃんのお兄ちゃんのこと?」

「ああ、そうだ」

 跡永賀が肯定するとソフィア以外が驚いた声を上げた。

「まさか」

「まだ気づいていないとは」

「冗談でしょ?」

 何をそんなに驚いているのか。跡永賀はわからず、なんとはなしに湯のみを傾ける。


「ソフィアがその初無敵だよ、お兄ちゃん☆」

「ブーッ」

 吐き出される茶。咳き込む弟。


「いやーすぐ気づくと思ったんだけど、これが中々どうして――ポピィ!」

「忘れろ! 俺と会ってから今までのことすべて忘れろ!」

 ソフィア=初無敵を殴り倒した跡永賀は、そのまま馬乗りになって鉄拳の乱打。恥ずかしさと情けなさで頭がどうにかなりそうだった。




「ネカマ……リアルが男でも女キャラ使うってのはよくある話だよ☆」

「その媚びた話し方やめろ気色悪い」

 殴り疲れた跡永賀は椅子に体を預けている。結局、どれだけ殴っても自分のステータスじゃ大したダメージを与えられず、回復魔法ですぐに元通り。疲れるばかりであった。


「え~今までは気にしなかったくせに~」

「うるせえよ」

 すっと立ち上がった跡永賀は扉に手をかける。「また彼女探し?」

「ああ」

「止めはしないけど、見つかったらどうなるかは察してるよね?」

「……考えたくない」

「そう。だよね」初無敵の言葉を背に受け、跡永賀は家を出て行った。母は昼寝、父は姉と一緒に彼女専用の装備の相談。ゆえに跡永賀を引き止める者はない。


 あの姉がああいう性格になったのは、おそらくはあかりあってのことだろう。生来の消極的な自分ではどうにもならないから、あそこまで自分を変えたようだ。もしこのままいって、自分があかりと再会できたとすれば、それは彼女が冬窓床と再会することも意味するわけで……

 あかりがリアルの性格のままでいるなら、今の姉と出会えばどうなるか……


 ほぼ確実に激突する。

「俺が仲裁するべきなんだろうが、どうもな」

 言って止まるものではあるまい。

 ならばいっそ、と思わないでもない。

 中途半端に水をさして後を引かせるより、徹底的にやってはっきりさせた方がいいのではないだろうか。どっちが勝つにしても、その方が長い目で見ればお互いのためではないか。

 本音を言えば、穏便に済ませてほしいのだが。


「そんなことにはならんよな」

 世の中、思い通りにならないことばかりだ。

 リアルはもとより、ゲームにしても、それは変わらないらしい。


 どうなるか――悪い方向に事が進むとわかっているのに、引き継ぎ彼女探しをするのは愚かか強かか。

 すっかり拠点と化した木の上に登り、どこにいると知れない彼女を思い浮かべなから、跡永賀は双眼鏡を取り出す。

「遅いな」

 視線を向こうの景色に向けたまま、跡永賀は呟く。そろそろモモが追いついてくる頃なのだが。どうかしたのだろうか。心配になってきた。タロー・ファクトリーに預けた方が安全なのだが、当人もとい当スライムはついていくと聞かないし、母にも『飼い主の責任でしょ。親に頼らないで自分で面倒見なさい』と言われれば反論の余地はない。


「変な話だけどな」

 どうしてプレイヤーがモンスターに気を遣うのか。プレイヤーとモンスターは、もっと殺伐とした――食うか食われるかの関係であるものだろうに。

「俺はつくづく主人公に向いてないな」

 もっとも、そうなるつもりはないが。そういう役回りは母や姉にあるだろう。


「あとあいつかな」

 言いつつ、双眼鏡から目を離した跡永賀は眼下を見回す。

 …………。

 見なきゃよかったかも。

 数秒後、跡永賀は痛感した。

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