第13話

【翌日――休日の午後:初無敵の部屋】

「それで結局、ただ寝ただけでございと」

「眠れなかったけどな」

 隈の浮いた顔で跡永賀は嘆く。昔のようにはいかなかった。姉の方は安らかな顔をして眠っていたが。


「要するに姉さんにとって、あかりは不穏分子ってところか」

「左様。しかし、同時にインセンティブにもなったようで」

「らしいな」

 事実、姉は動き出した。今までの家族の形が崩れてしまった。


「しかしあれだな、家族ってのも存外面倒なのかもな」

「家族、ええじゃないか。何もしなくても養ってくれて! いいぞぉ!」

「お前はそうでも、俺や姉さんはいつか自分で家庭を作る時がくるだろ。現状の家族……集団にこだわりすぎてもしかたないだろ」

「アットはこの家族は必要ないとな?」

「必要ないとは言わないが、そこまでこだわってはいない。いなくなってもうまく立ち回れるさ」

「ほほう」

 初無敵は意味深に笑い、「そういえば、こういうものがあるでございよ」


 跡永賀に渡されたのは、一見何の変哲もない腕時計であった。デジタル式のよくある電波時計。

「そりゃ、よくあるけど。これがどうしたんだよ」

「まあ、つけてみるでござい。その方が話は早いでござる」

「…………」

 そう言うのなら。

 跡永賀は何がなんだかわからないまま――何がなんだかわかるため、自身の腕にそれを巻く。変化という変化はなし。やはり、何も起こらないではないか、と跡永賀はまばたき。


 そして世界は変わる。




【????】

 見晴らしのいい、どこまでも続く草原に、気がつけば跡永賀は立っていた。抜けるような青い空を、巨大な怪鳥が優雅に飛翔する。

 頬を撫でる風が運ぶ、土や草の匂い。そこには、確かなる大自然があった。

 深く息を吸う。澄んだ空気ゆえか、いつものような肺の痛みはない。


 まさかと思い、跡永賀は地を蹴る。

 走った。

 走れた。


 どこまでも続く青空の下を、跡永賀は走り続けた。大地の上を、跡永賀はいつまでも走り続けられた。

 今までの世界ではできなかったことが、そこではできたのだ。




「アットにも〝視えた〟でございか? あの世界が」

 元の世界に戻ってきたのは、何度目のまばたきであったか。

「今のはこいつのおかげか……?」

 巻かれた腕時計を見上げる跡永賀に、初無敵は「左様」

「それを装着すると数分だけ異世界に居られるのでござい。それに――覚えているでござろう? その間の記憶――ここにいた感覚が」

「……っ」


 跡永賀は額に手をやる。たしかに、覚えている。あの世界にいたはずの数分間、自分は同時にここにいた。ここで、兄とつまらん雑談をした覚えがある。

 自分はたしかにあそこにいたし、ここにもいたのだ。

 これは矛盾か。


「これはいったい……」

「すごいでございろう?」

「なんだこれは」

「こういうものでござい」



 〈テスタメント〉



 ガサゴソ取り出された書類の最初には、そう書かれていた。ぱっと見は腕時計のカタログのようだが……

「新しく出るゲームでございよ。今のはサービス開始前のお試し――体験版でございな。ちなみに二度目はなし、時計を替えても同じだそうな」

「ゲームという割には腕時計の記事ばかりだな」

 パラパラとページをめくる跡永賀に、初無敵は「これの面白いところは、既存のハード――ゲーム機やPCを使わないところでござい」

「まさか、腕時計がコントローラーなんて言うんじゃないだろうな」

「そこまではわからぬ。ただ、アットならもうわかるでございろう? これはそういう次元のものではない」

「まぁ、な」

 あれはゲーム機――ハードがどうのこうのというレベルではない。そこはある種の現実――ヘタしたらそれ以上のリアル感――があった。最近のモーションセンサ―など比較にならないし、マンガによくある脳に繋いでどうのこうのでもない。


「公式サイトによると、キーアイテムはこれだけなのでござるよ。サービス開始までに、この中の――提携先の腕時計メーカーから好きな腕時計を選んでつけていれば、参加できるそうな。オープンβテストゆえ、費用は一切無料」

「これだけやって無料……赤字じゃないのか」

「おそらくは、需要が先細りしている腕時計メーカーをうまく抱き込んだでございろうな」

「ケータイあればそこまで必要じゃないからな」

 日時を知るにも、携帯電話があれば充分。最近は腕時計をしている人間は以前より少なくなっている。跡永賀もその一人で、使うにしても、何かの試験の時くらいだ。普段は面倒で着けていないし、探さなければ見つからない程度の代物だ。


「そうそう。だからこれを契機に景気をよく――ハッ」

「いや、そんなにうまいこと言ってないから。それはそうとしても、どういう仕組みで作動してるんだよこれ」

「さぁ」

「さぁってお前……」

 そんな訳の分からないものを勧めるなよ。跡永賀は心で不満を吐いた。


「質問に質問で返すでございが、アットは現行のゲームの動作をきちんと理解できてるでございか?」

「…………」

「そういうものでございよ。事は面白ければ、便利であれば、後はどうでもいいのでござい」

「仮に説明されても理解できるとは限らないしな……」

「左様。自動車の原理なんてわからなくても、運転はできるでござる」

 結局、跡永賀はその資料を受け取ることにした。やると決めたわけではないが、それなりの興味はあったのだ。今までとはまったく違う、新しいゲームに。

 新世界に。

「いや、でも俺はオタクじゃないから」

「誰もそんなこと聞いてないでござるよ」




 昼食を食べた後、跡永賀は自室に戻る。休日といえど、両親の姿は家にない。今頃母親はゲームセンターでやりたい放題やっているだろう。父親はその付添だ。子供が成長し、手が掛からなくなってからは、こうして休みの日も家を出ていることが多い。そこにある種の虚しさや寂しさを覚えないではないが、かといって家族揃ってどこかへ行こうにも、上の二人はインドア派で、出かけることに興味がない。


 そして、一番のネックは自分なのだ。

 この体では、あまり遠出はできない。

 皆、口にはしないが、そういった配慮が水面下ではあるように感じる。


「『新しい自分になれる』、か。何か化粧か整形のキャッチコピーだな」

 横になって〈テスタメント〉の資料を改めて読んでみる。そこには公式サイトの情報から、それを取材した記事、果てはネット上の憶測や眉唾まで印刷されていた。

「あいつ、まさかこれを俺に見せたくて……?」


 自分用にしては、あまりにも客観視された――体裁の整ったものだ。

 最後のページに到達すると、それは確信になった。

 そのページには、達筆な筆致があるだけだった。

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