第106話 悪魔の所業

「熊に抱かれて、生きたまま食べられたい」と彼女は言った。


 誰かがひっと短い悲鳴をあげた。蜘蛛の子を散らすように、彼女の周囲からは人がいなくなった。


 気が付けば、彼女はコワい毛に覆われた熊の腕に抱かれている。

 大きな熊だ。

 後足で立てば、二メートルを超えるだろうか。

 獣の臭いに圧倒されて、彼女の呼吸は止まる。ぐるぐると喉が鳴る音がする。生温かい液体が彼女の顔に降り注ぐ。

 涎だ。

 熊は彼女の顔面に齧りついた。牙が彼女の柔らかい右目に突き刺さり、顔面の皮が剥ぎ取られる。無事だった左目が、剥き出しにされた眼窩からぎょろりと熊に向けられる。頑丈な獣の顎と牙は、彼女の頬を下顎ごと噛み砕き、同時に、前足の鋭い爪が、彼女の柔らかな腹を裂いて内臓がずるりと引き出される。


 こんな死に方を何故選ぶのか。


 生きたまま熊に食われている同胞から少し距離を取って囲み見守る女たちは皆そう考えている。


「どんな死に方でもいい。望み通りの死を迎えさせてやろう」とそいつは彼女たちに約束した。

「ただし、楽な死に方はできない。それなりに苦痛を味わってもらわないといけないけどね」

 なぜならここは、罪人が送り込まれるところだから。そいつはそう言って、残忍な笑みを浮かべた。


 ある程度の苦痛は味わうが、なるべく平和的な死に方。彼女たちは、震えながら麻痺した頭をどうにか振り絞って、考える。

 しかし、そのアイデアが気に入らないと、そいつに容赦なく跳ね付けられる。


「ダメだ。生易しすぎる。願いを出せるのは三つまでだ。三つ目で合格できなかったら、こちらで決めさせてもらう」


 生きながら熊に抱かれて食われることを望んだ女は、元獣医だった。その奇妙な夢は、どうやら子供のころから彼女の心に住み着いていたらしい。

 凄まじい悲鳴を上げ続けていた女が、静かに体を痙攣させるだけになった。夢がかなって幸せだったのかどうかは、もう聞くことができない。


 獣医の女の前、まだあどけなさの残る女は、すっかり怯えてしまって結局どんな願いも捻り出すことができず、残忍な笑みを顔に張り付けた男から「じっくり火炙りの刑」を言い渡された。まずは片足、ふくらはぎの部分から焚火でローストされる。じゅうじゅうと肉汁が垂れる絶妙な焼き加減に仕上がったら、その肉をナイフでこそげとり、焼かれている女の口にねじこんで無理やり嚥下させる。そして、今度は更に上の部位が、じっくりとローストされる。両足ともに骨になったら、次は腕だ。

 その長く苦痛に満ちた死を見届けた女たちは、半ば狂ったように、自ら残忍極まりない処刑方法を考案した。


 振り返ってみれば、熊に生きたまま食われるなどというのは、かなり生易しい死に様だったと言える。

 彼女たちは順に非業の最期を遂げる。


 なぜこんな目に遭うのか。


 果敢に問うてみた娘もいたが、その罰なのか、娘が誰よりも酷い死に方をさせられたのを見て、もう誰も、その疑問は口にしなくなった。



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この短編をもとにした長編『死と乙女』を現在連載中です:

https://kakuyomu.jp/works/16817330655083327391

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