第96話 家族

 朝の食卓には父と姉が先についていた。

 昔懐かしい、丸いちゃぶ台。


「おはようございます」と彼は挨拶し、ちゃぶ台のいつもの位置に正座する。いつもの位置とは、父と姉の間。

「おはよう、タロウ」

「おはよう」


 父は胡坐をかいて新聞を読んでおり、おさげ髪の姉は背筋がピンと伸びた姿勢で、やはり正座している。


 やがて母が、ご飯の入ったおひつを下げて居間に入って来る。


「おはようございます」と彼は母にも挨拶をする。

「おはよう、タロウ」母はそう言って、皆の茶碗にご飯をよそう。


 ご飯に香の物、味噌汁と焼き魚。そんなものが丸い座卓の上に並べられている。

 いただきます、と四人揃って手を合わせた一家は、それぞれ面を被っている。父は天狗、母は能の女面、姉はおかめ、そしてタロウは――

 タロウは自分の面を知らない。誰も、自分の面は見ることはできないものだ。面を被ったままで、粛々と食事は続く。

 小さな子供用のご飯茶碗は、タロウが三四回箸を運んだだけで空になる。姉と父の間に座る母が反対側から手を伸ばしてきて彼の茶碗をとる。

「いらないよ」

 彼は少し不機嫌そうに言う。

「もう、お腹いっぱいだから」

 それでも母は、タロウの茶碗に山盛りのご飯を盛りつけて、彼の前に置く。

「育ち盛りなんだから」と母。

「いらないったら」

 タロウは癇癪を起しかけている。目の前の山盛りのご飯と、半分食べた焼き魚、一口啜っただけの味噌汁などを見て、半泣きだ。

「お母さんなんか、死んでしまえ」

 タロウは握りしめていた箸を投げつけた。箸はちゃぶ台の上で跳ね返り、一本は黙々と箸を動かしていた姉の額に命中し、もう一本は父の味噌汁の椀に飛び込んで、飛沫をまき散らした。

 父の被っていた天狗の面が、はらりと落ちた。現れたのは、新たなお面。タロウはそれを見て体を固くする。姉が、お新香を咀嚼するしゃくしゃくという音だけが響き渡る。

 

 ぱん


 大きな音がして、母がもんどりうって後ろに倒れた。

 父は、既に天狗の面を付け直している。

「早く食べてしまいなさい」

 父はタロウに言い、タロウは泣きながら山盛りのご飯に乱暴に箸を突き立てる。大きな米粒の塊は、口に運ぶまでにぼろぼろとこぼれる。タロウの隣で姉が小さく溜息をついた。

 父は空になっていた自身のご飯茶碗を掴むと、姉にめがけて投げつけた。茶碗は姉の付けているおかめの面より上、額の生え際の辺りに命中し、つ、と赤い筋が流れる。

 姉の細い首が衝撃のためにがくんと後ろにのけぞるのを目撃したタロウはすっかり機嫌がよくなり、食事を再開する。

 後ろに倒れていた母は起き上がって居住まいを正す。打たれた方の頬をさすりもしない。お面は、少しもずれていない。


 一昔前の、ありふれた朝の食卓の風景である。


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