第68話 俺の葬式

 ジョー・マンデル刑事が死亡したというニュースは、たちまち市中を駆け巡った。


 殺人課の敏腕刑事にして、人情家、不正と悪を憎み、弱者に優しい、そんなTVドラマのヒーローのような熱血刑事だった彼が、死んだ。


 ギャング達は躍り上がって喜んだ。一般市民は、暗黒時代の再来を予感し、絶望の涙を流した。


 警察関係者の多くがこの正義感溢れる仲間の死を悼んだ。彼は身内の腐敗にも一切の忖度なく対応した。上層部からの圧力にも決して屈しなかった。現在のクリーンな警察のイメージを作りあげたのも、ジョー・マンデルその人だった。


 そして、最も驚きを隠せなかったのが、ジョー・マンデル本人だった。


「俺は、死んだのか?」


 いつものように、カフェでテイクアウトしたコーヒーカップを手に殺人課に出勤してきた彼は、他部署の者や部長、署長までが抱き合って泣いているのを呆然と見つめながら、言った。


「ジョー!」


 彼に気付いて、皆が駆け寄って来た。大勢の涙と鼻水に濡れた情けない顔を見まわして、ジョーは幾分冷静さを取り戻した。


「もう聞いたのか?」刑事部長が問う。

「ええ、まあ。入口でセキュリティーの連中がこの世の終わりみたいに泣いているんで、しっかりしろ、と激を飛ばしたら……」ジョーは語尾を濁した。

「お前の死亡通知を、今朝早くに受け取ったんだ」部長は悲痛な面持ちで言った。

「そうですか。困ったもんですねえ。それじゃあ、もう手の打ちようがないわけだ」ジョーは他人事のように言った。


「俺は、死んだんだな」


       ⚘   ⚘   ⚘


 ジョー・マンデル刑事の葬儀は盛大に行われた。ヒーローが殉職した――ようなものであったから、警察の上層部は勿論、同僚、一般市民、果ては彼が更生させたかつての悪党や不良たちまでが、泣きながら参列した。


 棺に入るのは最後の最後にしたいという本人の意向を汲み、ジョーは文字通り生死を共にして悪党の逮捕に励んできた殺人課の同僚達に担がれた棺の横を歩いて墓場まで赴いた。


 棺が墓穴におろされると、ジョーは身軽に飛び降りて、蓋を開けた。


 影のように付き添っていた執行人が進み出て、ジョーに何かを放って寄越した。器用に左手で受け止めた彼は、掌の青いカプセルを見つめた。


「本当に、噂通りの即効性で、痛みも苦しみもないんだろうな?」

「わたしは、試してみたことがありませんので」


 執行役はけんもほろろに答える。


「何だと、この野郎」殺人課でも一番血の気の多いケンが執行役の胸ぐらを掴んだ。

「元はと言えば、お前んとこの糞システムのバグだろうが! 『ジョー・マンデル死亡』だぁ? 見ろよ、ぴんぴんしてるじゃねえか。それをよ、ミスをミスだって意地でも認めねえお上が、バグで死亡したことにされた人間を本当に死亡させて辻褄を合わせるって、お前ら馬鹿か!」


「やめろ、ケン!」


 ジョーは墓穴の底から叫んだ。


「おい、今のはなかったことにしろ。ケンに万一のことがあったら、俺はともかく、仲間が黙っちゃいねえぜ。こっちは警察だ。その気になれば、お前がどこの誰かなんて、すぐに突き止められるんだからな。だいたい、ケンの言う通りだ、俺がこうなったのも、お前ら役人の怠慢のせいだろうが」


 執行役は無表情にケンの手を振りほどくと、「わかりました、しかし、次は容赦しませんよ」と大勢の手で取り押さえられたケンに一瞥をくれて言い放った。


「ご親切に、どうも」


 ジョーは皮肉たっぷりに礼を述べた。こんなクズでも、まだましな方なのだ。権威主義の役人に正論を解いても、事態が改善することはまずない。


「それじゃあ、みんな、忙しいのに俺の葬式に来てくれてありがとう。あんたらと一緒に仕事ができたのは俺の誇りだ。俺が死んでも――いや、ペーパー上はもう死んでるんだが、俺がいなくなっても、しっかりやってくれ。後は任せたからな」


 滅多に感情を露わにしない警察署長ですら、堪えきれず嗚咽を漏らした。彼はジョーがまだ制服警官だった頃からの知り合いだった。


「じゃあな」


 明るくそう言って、ジョーは棺の中に横たわり、自ら蓋を閉めた。その際ざらざらと穴の側面が崩れ、棺の中にいくらか土が入ったが、彼は気にしなかった。どうせ、腐り果てて朽ちるのだから、式典の時にしか着ない警官のユニフォームが汚れたところで、何も問題はない。


 カプセルを服用しても秒殺、というわけにはいかないらしいので、棺の中は、数時間は明かりが灯るようになっている。ぶ厚い蓋の上に、最初の砂がぱらぱらと落とされる音がした。後は墓掘り人が、機械的に土を被せていくだけだ。


 全く、酷いことになった、と改めてジョーは考える。


 一言でいうなら、これはお役所仕事上の手違い、ケンの言う通り、システム上のバグだ。まだ生きている人間が死亡したとシステムに登録されてしまう。大抵の場合、調べればすぐにわかることなのだから、間違いを正し、なぜそのようなバグが発生するのか調べて、システムを改修すればよい、はずだった。


 ところが、この国ではいつしか、役人は間違いが発生しても謝罪は勿論、ミスの発生を認めもせず暗黙裡に処理するようになっていた。今回のようなバグでは、誤って「死亡」と見做された者を、本当に葬って死亡させる、というのが、役人達が最終的に辿りついた解決策だった。


 そもそもは、役人達、国家公務員のトップ、政治家の腐敗が発端だった。長期政権を担う与党の政治家が、昔ならば辞職ものだったはずの失言や贈収賄や脱税、公選挙法違反、公文書改竄等々、いかなる悪事が発覚しようとも、「ご指摘は当たらない」「誤解を与えたのなら申しわけない」「説明責任は既に果たしたと考える」等々、子供でも詭弁だとわかりそうな言いわけを述べるだけで、誰も責任をとらなくなって久しい。


 本来政治家の腐敗を暴き出し追及するはずのメディアが権力を掌握した政党の広報と化し、為政者に都合のいいプロパガンダを垂れ流し始め、検察トップや最高裁の裁判官、果ては警察のトップまでもが、巧妙なやり方で現政権の息のかかった連中にげ替えられてしまった。


 頼みの綱の野党も、与党のプロパガンダに誘導された国民に「野党は批判ばかり」と批判されると、与党の悪行を追及するのをやめてしまった。こうなっては、与党はやりたい放題だ。


 公共事業は全て、莫大な金額で与党のお抱え企業に業務委託し、何段階もの中抜きを経て、安値で下請け(正確には、下請けの下請けの下請けの下請けの……と十ぐらい間を経た下請け)企業に受注させる。安かろう悪かろうは当然のことで、公的に導入された新システムやアプリは大抵バグだらけで使い物にならず、そのくせ一向に改善されない。どのようなミスが起きようとも誰も責任を取らなくて済むのだから、まあ当然だ。そのしわ寄せは、全て一般の国民が受ける。今回のジョーのように。


 しかも今回の件は、殺人の捜査となれば、上からの圧力など無視して突っ走るタイプのジョーを排除するために、わざとシステム・エラーを捏造したのではないかという疑いを持つ者が少なくなかった。ジョー自身も含めて。


 彼は「死刑執行人」と巷では呼ばれている、行政のシステム・エラーのせいで死亡とされた人々が間違いなく死んだことを確認するハゲタカから受け取った青いカプセルを目の前に翳して、口に含んだ。奥歯で噛んでから飲み下したが、味はしなかった。


 勿論、システム・エラーの尻拭いのために無実の国民を死なせているなんてことは、公的には認められていないのだが、既に広く知れ渡っていた。この青いカプセルも、せめて苦痛を味わうことなく穏やかに死んでいく効果が速やかに発揮される、という評判だった。


 しかし、しばらく待っても、何事も起きなかった。気持ちが高ぶっているせいで薬が効きにくくなっているのかもしれないと、狭苦しい棺の中で腕時計を確認してみたが、十分、十五分、三十分と経過しても、何も起こらない。


 彼は舌打ちをした。


 遺体を荼毘に付す習慣の国だったら、どうしてくれるんだ。生きたまま焼かれるのも勿論嫌だが、地中深く生き埋めにされてじわじわと酸素がなくなり窒息死するなど、おぞましい!


 勿論、役人には心がないから、彼らは気にしないのであろう。ただ、システムの記録にマッチした結果、該当者の死亡という結末さえ達成できれば。そう遠くない昔には、政治家の悪行を隠蔽するために上司から文書の改竄を命じられた役人が自ら命を絶ったことがあったというが、かつて良心を持った役人がいたなんて話はもはやフェアリーテールと見做されている。


 彼は狭い棺桶の中で苦労して、足首にテーピングして隠しておいた小型拳銃を取り出した。万一の時のためにと、彼の仲間が押収物の保管庫からくすねてきてくれたもので、後日発見されたとしても、絶対に足はつかない。


 彼はさらに一時間待った。かなり息苦しさも感じてきたし、さすがに葬列客も家時についただろうと思い、こめかみに銃口を当てた。


 熱血敏腕刑事ジョー・マンデルの墓標が建てられた地表から深さ約二メートルに埋められた棺の中で発せられた小型銃の発射音は、たった一人で辛抱強く待っていた執行役の耳に微かに捕えられた。


 執行人は舌打ちをすると、革手袋をしていても凍え切った両手をこすり合わせ、足早に墓地から立ち去った。

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