第67話 夜道でシャープペンシルを握りしめる子
結局、「大人しそう」、それに尽きるのだろう。「ブスではない」を付け加えてもいい。特に美人というわけではないが、そこそこのルックス、そして地味。子供の頃から変質者との遭遇率が高かった彼女は、そのように分析している。さらに平均的な身長と華奢な体形(長身であるとかがっちりした体形等、強そうな見た目ではない)ということも加えてよいと思う。
結局、抵抗しなさそうな非力な女子供なら誰でもよいのだろう。変質者の多くが子供をターゲットにするというのも、性的嗜好以前に、子供ならいかようにもあしらえるという考えが根底にあるからに違いない。「誰でもよかった」とのたまう無差別殺傷事件の犯人が男性に刃物を向けることが滅多にないように。
彼女が芯を二ミリほど出したシャープペンシルを握りしめながら夜道を歩くようになるのは小学校四年生の頃。一撃で壊れてしまいそうな頼りない文房具だが、力いっぱい突き刺せばそれ相当のダメージを与えられるのではないかと、子供ながらに考えるのだ。まさか包丁を持ち歩くわけにもいかない――鞄から取り出すのに手間取っているうちに手遅れになる――という彼女なりの判断だ。カチカチと親指でノックし細長い金具の先から出てくる芯を見つめながら、せめて体に突き刺さったこの黒色が刺青みたいに皮膚にいつまでも残ればいいのに、と願う。
自宅付近まで来たら、まずつけられていないか、必ず後ろを確認するという習慣も、シャーペンによる武装とほぼ同時に身に着ける。そもそも、背後に誰も歩かせないよう心掛けることも。信号待ちで自分以外にも人がいたら、必ず彼等全員を先に行かせること。
彼女は鍵っ子だ。自宅がどこかということは勿論、帰宅した際には大抵家に誰もいないなどということは、変質者に最も知られたくない情報の一つだ。アパートに到着したら、その辺に隠れていて飛び出して来そうな者がいないことを確認し、左手にシャープペンシルを持ち替えて、右手で素早く鍵を取り出して解錠、速やかにドアを開け――彼女が滑り込める分だけ細く開く。無駄なスペースと時間を費やさないこと――暗い玄関内に滑り込む。一連の動作を行う時、彼女は無意識に呼吸を止めている。内側から鍵をかけて息を吐き出すが、それでもまだ安心とはいえない。侵入者がいないか、押し入れトイレ風呂場寝室、スペースのある所は全て調べる。それだけやって、彼女はようやく一息つけるのだ。
用心の甲斐あって、彼女は比較的無傷のまま大人になる。用心深い彼女は、信号が青になってもなかなか歩き出そうとしない中年の男を先に行かせるために、しゃがんで靴紐を直しているふりをずっと続けるのだし、その中年男は渋々といった感じで横断歩道を渡りはじめ、適度な距離をとって背後を歩き出す彼女が苛立つほどゆっくりと歩くのだが、彼女は距離を縮めないよう心掛け、決して男を追い越そうとはしない。
やがて中年男は角を左に折れていき、彼女は直進する。ひとまずほっとするが、それでも彼女は用心を怠らないので、アパートまでもう少しのところで背後を振り返る。すると、先ほど左折していったはずの中年男が後ろからやって来るのが見える。彼女は立ち止まり、シャーペンを握る手に力を入れる。
男は彼女が立ち止まり自分を見ていることに気づき、少し慌てた様子ですぐ近くのマンションの入り口に消える。しかし彼女は辛抱強く待つのだ。他には人影のない夜道である。ほどなく、男はマンションの入り口から出てくるが、彼女の方に歩き出し、彼女がまだそこに立っているのを見てあからさまな狼狽を示し、踵を返して速足に遠ざかっていく。後ろは振り返らない。
彼女は、男が十分に遠ざかったと思えるまで注意深く待つ。そして、速足に歩き始める。アパートに到着しても、はやる気持ちを抑え、いつもの儀式を繰り返し、完全に安全だと思えるまではドアには近寄らないし、鍵も開けない。
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