第34話 野良くだん

 野良くだんが社会問題になっているということは、私もニュースで知っていた。

 しかし、自分がそれに遭遇した時はやはり驚いた。実物のくだんを目にしたのもそれが初めてで、第一印象はやはり


 キモ! 


であった。なにしろ、頭が人間で体が牛なのだから、当然だ。


 くだんは元々とても高価であり、大抵は一週間以内に死んでしまうというから、本当なら捨てられたくだんが町のあちこちで発見されるなどということはありえないはずなのだが、少し前にくだんが登場するアニメが爆発的人気になったせいで需要が爆上がり、値段は更に高騰、無理な交配などしたせいで、寿命が一週間どころか一年二年経っても死なない、しかも予言を全然しない、しても当たらない等の問題が発生し、面倒が見られなくなって野に放す者が続出したというから酷い話だ。


 野良くだんを発見したのは、学校からの帰り道だった。車の往来が激しい表通りをちょっと脇道に逸れると、田んぼが広がる田舎の風景になる。私は四季折々の田んぼの状態を観察するのが好きだった。


 その四本足の大きな動物は、最初尻尾をこちらに向けて田んぼの傍らに佇んでいたので、私はてっきり牛が居ると思い、驚いて足を止めた。いくらなんでも、牛がその辺を自由に闊歩するほどの田舎ではないのだ。温厚な生き物なのかもしれないが、何しろサイズがでかいので恐ろしかった。赤い服を着ていなければ大丈夫だっけ? などと考えながら、牛に気付かれないように迂回するためじりじり後退していると、路傍の草を食んでいた牛が、ひょいとこちらに顔を向けた。


 キモ! 


 震え上がると同時に、「先輩!」と思わず叫んでしまった。くだんの顔が、私の片思いの相手、中学の一年上の先輩にそっくりだったのだ。



 予想通り、家族はくだんを飼うことに大反対だった。


「この先何年生きるかわからないんでしょう? 誰が面倒みるのよ」

「気持ち悪ーい。本当に顔は人間なんだあ」

「捨てられていたということは、そいつは予言をしないんだろう。何の役にも立たないじゃないか。第一、餌はどうするんだ?」


 私は、先にネットで調べておいたので、最後の父からの質問にだけは答えることができた。


「雑食だから、餌はなんでもいいらしいよ。さっき、道端の草食べてたし。私が毎日散歩に連れて行って雑草を食べさせればいいでしょ」


 私は、捨てられたのではなく逃げ出してきたのかもしれないこと、捨てられたのだとしたら、ペットブームという後先考えない人間の身勝手な行動の犠牲となった同情すべき存在であること、まずは警察に落とし物の届けを出し、しばらく様子をみようと提案した。私があまりにもしつこく頼むので、しまいには両親が根負けし、渋々承諾した。


 妹はにやにやしながら「ねえ、このくだん、お姉ちゃんの好きなセンパイに似てない?」と言ったが、私は聞こえなかったふりをした。



 数日が経過しても、落とし主(くだんの元の飼い主)は現れなかった。残念ながら父の予想通り予言めいたことは一切口にしなかった。それどころか、くだんは一言も言葉を発しない。これが意外と母には評判がよかった。狭い庭に静かに佇むくだんに、洗濯物を干しながら日頃の愚痴などを語っていると気分が落ち着くのだそうだ。それに野菜の皮でも卵の殻でもなんでも食べてくれるので、生ごみが発生しなくなったと喜んでいた。父は休みの日には進んで散歩に連れて行くようになった。妹だけは、相変わらず「キモい」と言って近寄ろうとしなかった。


 二週間が経過した。相変わらず、警察に落とし主からの連絡はなかった。

「保健所に連れて行くのは可哀想だ」と父が言い、母も同意したので、くだんは正式に我が家の一員となった。



 おかしなことが起き始めたのは、くだんが我が家にやって来てから一ヶ月が経過したころだ。初めは、何がおかしいのかわからなかった。ただ、近所の奥さんたちが、以前よりも頻繁に我が家を訪問するようになり、その回数が徐々に増えていった。彼女たちは必ず手土産を持参するのだが


「これ、よかったらお宅のくだんちゃんにどうぞ」


そう言い添えて置いていく。雑食で主食は草、残飯、昆虫や蛇だって食べるくだんに、高級な果物やお菓子、高いお酒まで持って来るのだから、まったく理解に苦しむ。彼女たちはうるんだ瞳で、無表情に庭の草を食んでいるくだんの頭や体を嬉しそうに撫でまわして帰っていく。


 私も家族も誰もくだんに名前をつけようとしなかったので、彼は未だにくだんと呼ばれ、それが名前になってしまっていた。以前の飼い主につけられた名前をまだ憶えているのかもしれず、勝手に名前を付けることがためらわれたのだ。最近では母はくだんを買い物に連れて行くようになった。


「お姉ちゃん、やばいよ」と妹が深刻な顔をして私の部屋に来たのは、さらに二ヶ月ほど経ってからだ。

「なにがやばいの?」

「くだん」

「あの子がどうかした?」

「塾の帰りに、変なやつにしつこくつきまとわれて、半泣きでどうしよう、って思ってたら、そこにくだんが現れたの」

「うちのくだんが? あの子、いつの間に抜け出したんだろ」

「うちのくだんちゃん、その変なやつに頭突きを食らわせて追い払ってくれたんだ。やばくない?」


 私は妹の目の輝きをみて、確かにやばいと思った。それはまるで、恋する者の目だった。

 妹曰く、近所の奥さんたちがくだん詣でにやってくるようになったのも、くだんがあちこちで誰彼構わず親切にして惚れさせてしまうからだそうだ。


「そんなバカな」

「ほんとだってば。くだんちゃん、すごいモテるんだよ。元々顔はいいしね。お姉ちゃんだって、憧れの先輩そっくりだから、くだんちゃんを拾って来たんでしょ?」



 くだんが我が家に来てから半年以上が経過した。最近では、くだんを訪ねてくる女性は、近所の奥さん連中だけでなく、老いも若きもあらゆる年代に渡っていた。大勢の女性が鈴なりになってうちの庭の垣根にずらりと並んで、ワーキャー言いながらくだんのを眺めているので、母は「気持ちが落ち着かない」と立腹していたが、どうも腹を立てている理由はそれだけではないようだった。


「私のくだんちゃんに近寄らないでほしいわ、図々しい女たち」


 そんなことを忌々しそうに口にするようになった母に、私は不安を覚えた。

 その不安は見事的中した。

 まず庭の垣根の前にたむろしている女性たちが小競り合いを始めた。それに苛立った母が「私のくだんちゃんよ、いい加減にしなさい」と割って入り大騒ぎとなった。もっと悪いことに、彼女達の嫉妬した夫や恋人達がえらい剣幕で家に怒鳴り込んでくるようになった。そういう場合はくだんとは相変わらず友好関係を保っている父が玄関に出て対応していたが、あまりにも回数が多くなり、父も困り果てていた。


「おかしなことになったもんだなあ」


 朝まだ暗いうちに私と一緒に散歩に出た父が弱音を吐く。近頃ではくだんを連れ歩くとグルーピーがぞろぞろついて来るので、夜間や早朝に出るようにしてた。


「わけがわかんない。くだんは確かに大人しくて誰にでも紳士的だけど……みんなの惚れ方、異常じゃない?」

「こいつに罪はないんだが……最近では家に居ても落ち着かなくてなあ」


 そこはちょうど、私がくだんと出会った場所だった。くだんは呑気そうに草を食べていたが、ふと顔をあげた。


「私を捨てないと、ご家族に大変な迷惑が掛かります」


 私と父は仰天した。今まで黙りこくっていたくだんが喋ったのだ。口をぱくぱくさせて言葉が出ない我々に対し、くだんはさらに言う。


「できるだけ遠くに捨ててください」


 それ以降は、私と父が何をどう尋ねても口を利かなかった。



 自宅に戻った私たちは、そのままくだんを家のワゴン車にどうにか乗せて、できるだけ人里離れた山奥に捨てに行った。そして、昼過ぎに家に戻って来たときには、雰囲気が一転していた。

 くだんを捨ててきたことはまだ誰も知らないはずなのに、連日朝早くから垣根に陣取っていたグルーピー達が、その日からぱたりと来なくなった。奥さんたちからの貢ぎ物もなくなった。母と妹などは、くだんが家にいたことさえ覚えていないようだった。


「一体、どうなっているんだろう」

 私は父と二人きりの時にそっと尋ねてみた。

「さあねえ」と父も首を捻った。

「あのままではいずれ暴動が起きかねなかった。くだんは彼なりに私たちの身を案じて、最初で最後の予言をしたんだろう」

「そうかあ」

「まあ少なくとも、あんなに大人しくて気立ての優しいくだんが捨てられていた理由はわかっただろう」


 それでは、私たちが捨て置いてきた遠くの土地でも、人とかかわるようになったら、また追い出されてしまうのだろうか。

 そう考えると私は悲しい思いで胸が苦しくなったが、父は

「一度でいいから俺もあんな風にモテてみたいなあ」

 と呑気なことをつぶやいた。

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