第31話 剥製の館

 森の中のお屋敷には近づいてはならないといつも言われていた。


 もうどうなってもいい、とグレタは泣きながら思った。父の再婚相手――継母は、彼女にそれは辛く当たるのだ。結婚当初から継子の扱いは酷いものだったが、継母が妊娠してからは、それこそ手がつけられないほど情け容赦なく冷酷な仕打ちをするようになった。グレタの父は、初めのうちはグレタを庇ってくれたが、後妻の懐妊を知ると、態度を一変させた。


 お父さんは、私が森でオオカミにでも食べられてしまえばいいと思っているんだわ。最近では、私の頬が腫れていようが、体に痣ができていようが、知らんぷりだ。私がいなくなれば、生まれてくる赤ちゃんと、三人だけで幸せに暮らせるから……


 グレタは泣きながら、どんどん森の奥に入りこみ、とうとう帰り道がわからなくなって夜を迎えた。こんもりと茂った木々のせいで、月も星も見えない夜だった。フクロウの鳴き声や葉擦れの音にいちいちびくつきながら、それでもグレタは家には帰りたくないと思った。このままどんどん森の奥深くに入って、獣に食べられて死んでしまいたかった。


 森の中の大きな屋敷を見つけた時は、疲れ果ててお腹がぺこぺこだった。ぶ厚そうなカーテンの向こうに明かりの灯っている部屋があった。グレタは背伸びをして、ドアのノッカーを力いっぱい叩いた。


 ドアが開いて顔を覗かせたのは、グレタと同い年ぐらいのメイドだった。



 早く家に戻りなさい、とメイドは言った。旦那様が戻られたら、大変なことになる。この屋敷の噂を聞いたことがないのか、と。


 グレタは暖かく清潔なキッチンでメイドが温めてくれた残り物のスープでお腹がいっぱいになり眠くなってきたところだった。帰る家がないの、とグレタは言った。もうどこにも行くところがないから、このお屋敷で雇ってもらえないだろうか。


 メイドは、とんでもない。このお屋敷の旦那様は、とても気難しく、残酷なお方だ。悪いことは言わないから自分の家に帰りなさい、とメイドは辛抱強く言った。


 グレタは、ここを追い出されたら行くところがないから、森で獣に食べられて朽ち果てるしかない、とメイドに懇願した。旦那様に何をされても構わないから、一度合わせてほしい、と。


 キッチンの外で馬車の音がして、メイドは顔色を変えた。もう遅い。手遅れだ。仕方がないからついてくるように、と彼女は言った。旦那様を出迎えに玄関に向かうメイドにグレタはついて行った。


 メイドがドアを開けると、背の高い恰幅のいい紳士が立っていた。男はメイドに帽子を渡しながら、その子は誰か、とグレタをじろじろ見ながら尋ねた。


 仕事を探している村の娘で、家に帰りたくないと言うのです。メイドは男の脱いだコートを受け取りながら言う。


 ほう


 男に促されて、グレタは書斎に連れていかれた。メイドの少女はついてこなかった。暖炉には赤々と火が燃えていた。


 何でもすると言うのだね。何をされても構わないと。


 男はソファーに身を沈めると、そう言った。グレタが頷くと、男は着ているものを脱ぐように指示した。身に着けているものを、全部とるのだと。


 グレタが服を脱ぎ、下着や靴まですっかり脱いでしまうと、男はしばらく暖炉の炎に照らされた彼女の一糸まとわぬ姿を見つめていたが、やがて首を振ると、言った。


 だめだ。お前は痩せすぎているし、顔も美しくない。剥製にする気も起こらない。


 男はベルを鳴らしてメイドを呼ぶと、こう言った。


 今夜はもう遅いから、お前の部屋に泊めてやることだ。明日はわしが目を覚ます前に出て行かせるんだ。でないと、お前も娘も皮を剥いでスープにしてやるからな。


 メイドは衣類をかき集めて胸を覆い泣きじゃくるグレタを連れて、屋根裏の自分の部屋へ連れて行った。


 あなたは幸運だったのよ。このお屋敷がどんなところだか、聞いたことがあるでしょう。美しい少女や少年、女性や青年なら、旦那様は皮を剥いで剥製にしてしまうのよ。明日は、言われた通り朝早くにこの家から立ち去るのよ。私がお弁当をこしらえてあげるから、二度と戻って来ては駄目。


 グレタは真夜中にこっそり少女のベッドを抜け出して、下の階へ行ってみた。真っ暗な廊下にいくつもドアが並んでいたが、どれも鍵がかかっていた。


 しかし、一つだけかちりと音がしてノブが回転した部屋があった。できるだけ音を立てないようにドアを開け中に滑りこんだが、室内は暗く、グレタは手探りで窓までたどり着いた。重いカーテンの端をめくると、月の光がさっと差し込んだ。それで十分だった。それは、旦那様ご自慢の剥製を陳列した部屋だった。



 翌日、屋敷の主は昼近くに起き出した。食堂に入っていくと、メイド服を着たグレタが待っていた。


 おはようございます、旦那様。とグレタはうやうやしく頭を下げた。


 わしのメイドは一体どうしたのかね。と男は眉をしかめて尋ねた。


 私にはこの仕事がどうしても必要だったのです。とグレタは男の目をまっすぐ見返して言った。


 わしのメイドを、どうしたんだ。


 男はもう一度訪ねたが、グレタは黙って朝食をテーブルに並べた。昨晩メイドの喉をかき切る前に、旦那様の好みは聞き出してあった。

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