7.ろっくなかいだん
「ときにスエたん、そいつぁ手編みかね?」
編みぐるみの山に首まで埋まって動けなくなったいまりが、また妹に絡んでいく。
編み物を含め洋裁全般が趣味で特技のいまりだ。興味を持たないはずもなかったが、一度離れたはずのマフラーの話題が戻ってきてわたしはギクリとした。
「あ、はい。手編みです」
妹は特に警戒した風もなく素直に答える。手もとには、再婚して子供が増えたカラフルキツネ一家が並んでいる。計画性のない家族構成は怖いので五人までにさせておいた。増えすぎた分はいまりに
「むっほ! 家庭的アピールだね! 抜け目ないジャン、パーフェクトジャン! あたしの目に狂いはなかった!」
「あ、編んだのはお姉ちゃんで……」
「ぬぁんと!?」
グリンッ、と音が鳴りそうな勢いで首だけのいまりがこちらを向く。目がらんらんと輝いている。また嫌な予感がする。今までの殺伐とした不安よりははるかにマシだが、今度は非常に面倒くさい。
「完璧にオカン……や、おばあちゃんやないですか」
「うぅ、うるさいな。あんたにだけは言われたくないんだけど」
「いやいや別でしょー。こんなかっわゆいシスターだから目に刺さっても痛くねえずらってキモチで編み編みすんのと、あっしの編み散らしの道楽とはねえ。終始のろけて自慢したくもなるってもんすよ。んねぇ?」
「は、はい!? わたしがいつ妹の自慢なんかしたのよ!」
「してるよぉ~。一日三回は教室でうちの妹が~うちの妹は~って詠唱してるくせにぃ。ありゃ完全にのろけ話だよぉ。ねー、チョコたんさん?」
「いつもたらふくいただいています」
「聞いてたの!?」
「ス~ェたぁ~ん、あたしらスエたんとは初対面なのに、スエたんのこといろいろ知ってんのよぉん? こないだ蜂に刺されそうになってコップ割っちゃったとか~、五年ぶりに再発したおねしょが三日も止まらなかったとか~」
「お姉ちゃん……?」
「いいいいってない! それ言った覚えないから! 言った覚え……え? ない、よね? なんで知ってるの? ホントに言ってないわよ?」
「言ってないってことは事実ではあるってことなのかね?」
「お姉ちゃん……」
「うぇえ!? うそうそ! 言ったとしても冗談だったって意味だから! 言った覚えないけど作り話だから!」
「そんなうそつく姉もどうかと思いますよあたしゃ」
「お姉ちゃん、今日から一人で寝るね」
「わぁぁぁぁぁぁごめんなさいごめんなさい! わたしが悪かったから! 謝るから! 物理的に距離を取らないで! 帰ってきてすえちゃん!」
「つーか姉妹で
「どきん?」
「わああああしてないしてないッ! いまりこらぁああ!!」
絶叫するわたしをよそに、妹は目を白黒させる。
彼女の世界の内壁はことごとく塗装をはがされつつあった。わたしが母から教育係を一任されているのをいいことに、わたしにとって都合のいいものも混ぜ込んだ《常識》の塗装だ。
「マフラーを外さないといえば」
唐突に蝶子が、なぜかまたマフラーの話を蒸し返す。致命的に空気が読めないのか、奇跡的に読んでいるのかもはやさっぱりだが、わたしは話題が逸れてくれるなら何でもよくなっていた。とっさに蝶子の話へ聞き入るフリをする。
「《赤いマフラーの女の子》という怪談を思い出します」
「あ、赤いマフラー?」
「おお、知ってる知ってる。最後首が落ちるやつだ」
反応するや否やオチを暴露するいまり。でも話には食いついてきた。妹もまだむすっとはしていたが、好奇心に負けたらしく真面目に蝶子の方を向く。
「とある病院に、いつも赤いマフラーを巻いている女の子の患者さんがいました。一人の男の子がその女の子に恋をします。男の子は女の子のことを何でも知りたがりましたが、ただ一つだけ、女の子はマフラーを外さない理由だけは教えてくれませんでした。わたしを病院から連れ出してくれたら、マフラーを取ってあげる。女の子からそう約束をもらって、男の子は必死の努力でお医者さんになります」
「んん? そんな話だったっけ?」
いまりが問いただす。わたしも首をひねった。
確かに、似たあらすじの怪談をどこかで聞いた気もするけれど、なにかが違っているような気もする。女の子と男の子は同じ青春を歩んでいっしょに成長していく、とかではなかっただろうか。
「怪談は口伝ですから、いろいろなパターンがあるものと思います」と、蝶子は補足した。
「しかし、要点は同じです。成長してお医者さんになった男の子は、女の子のいる病院に配属され、隔離病棟に幽閉されていた女の子と駆け落ちします。そして、病気は自分が必ず治すので、いつまでもいっしょにいてくださいと愛の告白をします。それに答える代わりに、女の子は赤いマフラーを初めて彼の目の前で外し……」
「ゴトン」
声のした方を反射的に振り返ったとき、自分が知らない場所にいるような心地がした。
誰が話のオチを引き受けたのかは、一瞬判然としなかった。いまりではない。ならば妹以外に考えられない。振り返った先にいるはずなのも、そう。
それなのに、まるで現実味を持てなかったのは、妹の体がそこに座ったまま、頭だけがこたつの上に乗っていたからだ。
巻いた形のままのマフラーが、足を崩して座っている妹の胴の上に乗っていて、その上に頭はない。妹の胸の高さに頭は落ちていて、あごをこたつのへりにつけていて。
真っ白になった意識と穴の開いたような鼓膜で、わたしは自分の喉の震えを聞く。
「すえ、ちゃ……」
「ぎぇぇぇぇぇぇッ! よよよっ
いまりの悲鳴がこだました。
それがスイッチだった。
妹の首が落ちた。その「なぜ?」よりも「バレた!」の衝撃の方が脳裏で急速に拡散していった。
バレた。妖怪。
バレた。妹が人間でないことが。
バレた。妹が普通でないことが。バレた。
バレた。バレた。バレた。バレた。バレた。バレてしまったのだ。
もはや取り返しはつかない。取りつくろう方法が思いつかない。当たり前だ、そんな方法はないのだから。そんな機会はあり得ないのだから。永遠に失われてしまった。確信と共にそれがわかってしまった。
どうしてこんなことに。あれだけ注意してきたのに。あんなに恐れていたのに。どうしてこんなことに? わからない。なにもわからない。なにが正しかったのか。どこで間違えたのか。終わってしまった。唐突に。はじけ飛んでしまった。唐突に。消えてなくなって、水泡に帰したんだ。唐突に。
スイッチ・オフ。そして暗くなる。
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