4.ろっくなふれんず


 怪談に登場するろくろっくびの原型アーキタイプは、首が伸びない。

 その名を《抜け首》といい、頭が胴体からすっぱり離れて、宙を飛びまわったり地面を転げまわったりするらしい。

 同じような妖怪の話は海外にもあって、そちらには異様に大きな耳たぶがついており、それをパタパタ羽ばたかせることで空を飛ぶ。なかなかファンシーな生態と言える。


 一方、今宵こよい我が家を訪れたサンタとツリーは徒歩だった。予定よりだいぶ遅いので心配していたが、我が家までの道のりがわからなくなっていたわけではないらしい。


 出迎えて、コンマ二秒でクラッカー。


「ァハッピィクリスむぁぁぁぁぁぁス!! イェェェェーッ!!」


 いつものハイテンションでなにかしら仕掛けてくるだろうと予期はしていた。だから顔面クラッカーは許す。いややっぱり許さないあとでシメる。


 ただそれよりも、いまりは勝手にサンタのコスプレをしてくるものだとも思い込んでいて、その点で大きく裏切られた件について唖然呆然としないわけにいかなかった。紙テープまみれで玄関のノブに手をかけつづけていた理由は、それだけではないけれど。


「いや、なに……それ?」


 どんな顔をすればいいのかわからなかったが、とりあえず訊いた。全身緑色の安理多ありたいまりに。


 緑はもちろん服の色だ。抹茶に近い濃い緑。

 ただその表面には、星やら靴下やらカラーボールやら、雪だるまやらヒイラギやら杖状のアメキャンディ・ケーンやらといった赤や金の多い飾りが無数に散りばめられていた。どれもいわゆるオーナメントというやつだ。


 そでに縫いつけた鈴なりのカウベルをじゃんじゃん鳴らしながら、いまりが片手のブイサインを突きつけてくる。


「お待ちかねのおっきいクリスマスツリーさ!」


 うちには盆栽のような小さいツリーしかない。確かにいまりにはそのことを打ち明けた。するといまりが《おっきいツリー》を実家から提供しようと申し出てきた。そこはお互いに示し合わせて了解したところだ。そこまではいい。


 問題は、なぜそれでいまり自身が《ツリーをする》という結論に至ったのか――というだけなら、こちらも普段の彼女を知っているだけに、そう来たか、とため息をつくぐらいで済んだはずだ。仮装の下地に目を向けて、わたしが呆れるだけで終わるならそれでよかったのだ。


 だが、実際は絶句して血の気が引いた。


 いまりが身にまとってオーナメントで飾り立てているのは、抹茶色の無地の和服と、こげ茶色の袈裟だ。頭には、すいぶんと後ろに長く垂れた抹茶色の三角頭巾。


 どこからどう見ても、法衣だ。

 しかも、それなりに位の高いお坊さん専用みたいな。


 実物のモミの木を切り倒して中をくり抜いて上からかぶってきてくれた方が、まだ現実味はありそうな気がした。少なくとも、めまいまで覚えはしない。


「あんた、自分ちの商売道具をよくも……」

「えー。でも全然使ってないやつだぞ?」

「リサイクルなの?」

「さー?」

「この子は……」


 とがった頭巾の頂上でひときわ燦然さんぜんと輝く星飾りが、左に右にと揺れ動く。人が要領を得ていないことをいまりは理解しているだろうか。少なくとも自分のしていることには何ら疑問を抱かないらしい。だが、おそらく使ってないのではなく使えないのだ。総刺繍ししゅうの色無地なんて、本当に特別なとき以外は。


「アイヤー無問題モーマンタイアル! 豪華イルミネーションも超完備なんだっぜ!」

「誰かその心配した?」

「ちゅーわけで電源貸して」

「ファミレス行っとれ」

さん」


 敷居を挟んでいまりと言い争っていると、それまで傍観者だった〝サンタクロース〟が急に割り込んできた。

 人差し指を立てるジェスチャーをまじえながら、彼女はわたしに言う。


「道すがらでも光らせられるように、電池タイプのLEDを推薦しました。しかし、電飾の規模が小さすぎるからと、安理多ありたさんには断られました」

「あ、はぁ…………は?」

「瀬登さんは、どう思われますか?」


 詩雅楽しがらき蝶子ちょうこが、至極真面目な顔で訊いてくる。

 いまりみたいに暑苦しいのとは真逆だが、冷静に詰め寄ってくるその感じは、いなしづらいせいか妙に迫力を覚えてしまう。というか、質問の内容が困る。


「そ……その格好で駅から歩いてきた、の?」


 わたしは話題を逸らした。いや、そのことも充分気になりすぎてはいた。


「はい。正確には、安理多さんのご実家からです」


 この子もなにかと抵抗がないタイプらしい。なにかと。


 蝶子の着ているサンタ衣装は、おそらくいまり宅で渡された、いつものいまりのお手製だろう。ただ、いまりが去年教室で(学校で!)着てみせたものとはデザインがまるで異なっていた。

 というか、ボレロの下に谷間とくびれを強調するストラップレスのトップスを合わせて、下もミニスカートにニーソックスだなんて、いまりにはとても真似できない。わたしもしたくない。正直大人の男性が行くお店の人みたいだ。すけべいまりが蝶子専用にはりきって新調したといったところか。しかし彼女の参加が決まったのは、つい四日ほど前のことではなかったか。


「その髪は、もしかして?」


 気になりすぎるといえばまだあった。

 クラスでも評判の、ひときわ印象的な蝶子の黒髪。

 それがすべて、雪のように真っ白く染まっていたことだ。


 おかげでいまりに絶句していた時点では、サンタが誰なのかわかっていなかった。

 蝶子はその純白のうしろ髪をすべて前に垂らし、左右のふさをあごの下で合流させて、赤いリボンを結んでいた。さながら、



「白ひげのサンタです」


 蝶子自身が言った。

 終始真顔だが、今の一瞬はどこか自信に満ちていた気がする。白髪をひげに見立てているらしい。ご覧のありさま。


「一応訊くけど、ウィッグ、だよね?」

「うぃぐ? はい。サンタの起源はトルコ出身の聖ニコラスだと」

「それはウイグル。ウィッグはかつら」

「これは地毛です」

「地毛ぇッ!?」


 開いた口が塞がらなくなる。


 天女のように長くきれいな黒髪だった。ほんの数時間前まで。

 背を覆うほどの長さであのみずみずしさを保つのに、いったいどれほどの時間と労力が費やされてきたのだろうか。


 わたしなどは、髪を気にする歳になってからというもの、肩より下へは伸ばそうとすらしてこなかった。毛先に行くほどちぢれやすく、すぐパサパサになってしまうために、手入れが億劫おっくうなのだ。蝶子の真似をするどころではない。

 だが蝶子は、そんなわたしでは一生手が届かないだろう逸品に、この短期間で一番きついブリーチをかけてきたという。今日限定で、サンタのコスプレをするためだけに。


 実家の特別大事そうな道具をあっけらかんと持ち出してくるいまりといい、この蝶子といい、クリスマスのためならそこまでしておかないと正気を保てないとでもいうのだろうか。わたしと彼女たちとでは百八十度価値観の異なる世界で生きているように思えてならない。いまりは今に始まったことではないとはいえ、やはり言葉を失くさずにはいられなかった。


「お姉ちゃん?」


 そうこうしているうちに、いつのまにか廊下に出てきた妹が背後から声をかけてきた。「なんでずっと入り口で? 風邪ひいちゃう、よ……」


 わたしが振り返ったことで、狭い間口の向こうにいる二人組が見えたのだろう。妹は口を半端に開きかけた状態で固まってしまった。人見知り以前に、そこにあるものが信じられないと顔に書いてある。彼女の凡庸ぼんような反応だけがわたしの救いだった。


「妹さんですか?」


 と、蝶子が訊いてきた。


「あ。う、うん。そうだね、ちゃんと紹介もしたいし、とりあえずあがって――」

「ムホォ――――――――――――――――!!」


 いまりが発狂した。


 意味不明な雄叫びをあげてブーツをすぽぽんと脱ぎ捨て、全身のオーナメントを打ち鳴らしながら滑るように廊下を突き進んでいく。和服の袖をバサァッと広げ、クリスマスツリーは飛翔した。


「ムボフォファファファファーッ! ヨウちゃんのプティ・スゥール、ったりぃぃぃいぃぃぃぃいぃいぃぃ!!」

「ひやああああああああああああああああああああ!?」


 聞いたこともない壮絶な悲鳴をあげた妹は、なすすべもなくいまりに押し倒される。「うひょひょ~んすべすべ~もちもち~んふ~んふ~ヨウちゃんとおんなじにほひ~んふ~」「よひゃあああああ!!」いまりの巨大な頭巾のせいで妹の姿は見えない。察するに、頬ずりの嵐にでも見舞われているのだろう。


 このままではクリスマスツリーがトラウマになってしまう。それはいくらなんでも忍びないのでいまりを蹴りに行こうとしたところを、なぜか蝶子に呼びとめられた。


「瀬登さん」

「はい?」

「今宵はなにとぞ、よろしくお願いいたします」


 そう言って、深々と頭をさげる蝶子。


 困惑する。なにも状況とそぐわない。しかも蝶子は顔を上げない。一向に上げる気配がない。しばらく迷った末に返事らしきものを返していた。「こ、こちらこそ?」無意識に語尾があがる。蝶子はそれでようやく顔をあげてくれたが、かと思えば、てきぱきと靴を脱いで揃えて廊下にあがり、隅の壁を背にして動かなくなった。背筋をぴんと伸ばした姿勢で。


「………………詩雅楽さん?」

「はい、何でしょう?」

「いや……」


 首を傾げたいのはこっちだ、と詰め寄るわけにもいかず、靴脱ぎ場にスリッパで降りたまま進退きわまる。廊下の先ではいまりが人の妹を散々こねくり回しているが、わたしはなぜか蝶子のことを放っておけず、しかしなにをどうしたらいいのかわからなくて固まっていた。


「きゃーっ! お姉ちゃぁぁぁんっ、きゃーっ!」

「むは~、ヨウちゃんよりやわけぇ~、むちゅ~」

「無害って言ったのにぃぃぃぃっ!」


 悪い、すえちゃん。無害だけどなんかよくわかんないっていうのは、蝶子の方。

 いい子っていうのは、いまりの方。いまりはいい子だよ?


 ただ、いい子だから無害だと言った覚えはない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る