第13話

黒い指輪を食い入るように見ていた僕は、アンナが僕の前に出てきたことに気づかなかった。慌てて左手を掴んだ。細く白い腕。でも所々に古傷のようなものがある。





「大丈夫だ。心配するな」





 こっちが安心できる笑顔。大きな目。プックリとした可愛い唇。改めて、アンナの魅力に心が揺れた。





「知ってるの? 俺達のこと。じゃあ、今から俺が何するか分かるよな? 大人しくしてれば、傷つけないよ。俺の役目は、お前ら獣人を雇い主に引き渡すことだし」





僕は、もう友達じゃないのか? タケルは今、僕たち獣人を引き渡すと言った。獣人になったら、もう友達ですらなくなるのか。この現実を認めたくなかった。





「ちょっと待ってくれよ! 落ち着いて話し合おう」





「悪いな。これ以上、話すことは何もないんだ。お前のことは可哀想だと思うし、俺に躊躇がないわけじゃない。でも仕方ないんだ」





 もうやめてくれ! これ以上何も言わないでくれ。




 認めたくない。親友が、金の為に僕を売るなんてこと。でも、もう冗談で済ませられる域を超えている。これから、どうすればいいんだ。この状況を何とかして打開しないと。





「ちょっと調子に乗りすぎだよ。そもそもお前に私たちを捕らえることは無理だ。しかもそんなオモチャで」





「アンナっ!! 少し黙って」





これ以上、タケルの機嫌を損ねるのは危険だ。





「俺にはどうしても金がいるんだよ。妹の為にな。だから、ここで引き返すわけにはいかない。俺にナイフを使わせないでくれ。だからさ、大人しく捕まってくれよ。お前の血は………見たくない」





 妹? 確かタケルには、二つ下の妹がいる。名前は、確か……ミク。





「妹って。入院してるミクちゃんのことでしょ。ミクちゃんだって悲しむよ、こんな姿見たら。バカなことやめようよ」





「そんな、つまらない同情でこの場をやり過ごせるとでも思ってるのか? やっぱり、お前は甘ちゃんだ。でも……………まぁいい。ナオト、お前は助けてやる。その代わり、そっちの女を俺に渡せ。それが取引条件だ。獣人でしかも覚醒者。二倍の値で売れるからな。お前の分は、それでチャラだ」





「かくせいしゃ? アンナが」





アンナは、何も言わずに微笑んでいる。覚醒したってことは、人間を喰うってことだろ。





アンナが人間を殺すのか? 



信じられない。



こんな細腕でどうやって人を殺すんだ? 



無理だ、どう考えても。





「獣人になっただけならまだしも覚醒までしたら、ソイツはただの化け物でしかない。さぁ、さっさとその化け物を渡せ。そして、お前は教室に戻れ」





『化け物』





その言葉を聞いた瞬間、頭がビリビリと痺れ、目の前が真っ白になった。体から恐怖が跡形もなく消え失せる。その代わり、怒りとか悲しみとか、そういう黒い感情がゴリゴリと僕の血管の中を流れ、全身を満たしていく。目頭が、異常に熱かった。





「いい加減にしろ」





僕は、一歩一歩タケルに近づいていく。もう我慢出来なかった。今のタケルは狂ってる。たとえナイフで刺されてもかまわない。このままアンナを渡すぐらいなら死んだ方がマシだ。





「ナオトっ!」





僕の後ろでアンナが叫んだ。それでも僕の歩みは止まらない。



徐々に迫ってくる僕を見て、タケルは改めてナイフを握りなおした。もしかしたら、ここで死ぬかもしれない。それでも……アンナだけは助けたい。





「僕を…止めてみろよ」





「死んでも知らねぇぞ。お前ら獣人を殺してもな、こっちはそれで罪に問われることはないんだ。組織が全部後片付けをするから。ここで死んだら無駄死にだぞ」





タケルの持つナイフが震えていた。明らかに動揺している。二人の距離はさらに縮まり、遂にお互い触れられる距離になった。タケルが、僕の影を踏んでいる。もし今、ナイフを僕の胸に突き刺せば、僕は確実に致命傷を負う。大量の血を流し、絶命するだろう。



絶え間なくこみ上げてくる吐き気を何とか耐える。





「タケルの雇い主は、僕たち獣人をゴミのように殺すんだ。僕は、もう人間じゃないのかもしれない。でも、まだ人間の誇りまで失っちゃいないよ。アンナを連れて行くって言うんなら、僕は死んでもお前をここで止める」





「ハハ、笑わせるな。素手で俺に勝つつもりかよ。ただでさえ、力のないお前が」





「そんなの関係ないっ! 止める、絶対に。止められるのは、僕だけだから」





 一歩も退かない。ここで下がったら、僕は人間として完全に終わる。そんな気がした。





「………バカだな、お前。死ぬのが恐くないのか?」





「こっ、恐いに決まってるだろっ!」





「………ハハ、ここは嘘をついてでも恐くないって言えよ。でも、お前らしいな。なんか………面倒臭くなってきた。悔しいけど、俺にお前は殺せない。俺もお前に負けず劣らず甘ちゃんらしい。あぁ~~~~、このナイフさぁ、高かったのになぁ。リサイクルショップで売れるかな? これ」





目の前には、狂気に駆られた男ではなく、僕の知ってるタケルがそこにはいた。




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