キャンドルと砂時計

玖良先

第1話

 今日はさぼりだ。


年に何回かある『学校に行きたくない病』が発症し、布団の中でもぞもぞしていた。


 大事なのは『学校に行けない』のではなくて『行きたくない』だ。


 ここはホント大事。


自分の中にハッキリとした境界線があって、ほとんどの場合、ほっぺたを叩いて気合を入れてさっさと制服に袖を通してしまえば、なんとかなって行けてしまうものだ。


 ただ、それでもダメな時がある。どうしても身体が動かない、布団から出たくない、自転車にも乗りたくないし誰にも会いたくない。


 部活なんてもってのほか。あんなの人間のやるこっちゃない。この冬の寒い時期にやるなんてどうかしてる。朝練はハッキリいってマゾの所業だ。


 みんなスゲーな。


 なんでやれんの?


 私には無理。今日はサボります。明日からがんばります、許してください。


 そう、そんな境界線を無理して越えると、もう学校に行けなくなる。


 そんな気がする。


 だからたまにサボる。


 明日からちゃんと行きます。ホントです。


 だからほっといて下さい。お願いします。


 一日休めば充電できるし、今までだってそうだったんです。


 だから、だから、―――


「なおー」


 う、母上の呼ぶ声。


 そうか、今日は仕事が休みなんだ。


「なおー」


 むーん、しゃーない、とりあえず起きるか。


 スーパーで働いてる母は、ほとんどの土日は仕事をしている。だから休みは平日が多い。その事は分かってたけど、まさか『サボりの日』と『母上の休日』が重なるとは、一生の不覚。


 サボった時は、日がな一日ゴロゴロしてポテチをほおばりつつコーラを流し込み、好きな動画三昧というのがマストだが、今日は難しそうだ。


「なおー、お昼ー」


「ん―― 」


 とりあえず返事。


 でも、例え(ポテチ、コーラ、動画三昧)だったとしても、母親は何も言わないだろう。


 普段から小言もないし、ハッキリとした口調で怒られた事もない。叩かれた記憶もなければ激おこの顔も見たことない。


 いつも穏やかで微笑んでる母。例えサボりでも、


『なにやってんの!早く学校へ行きなさい! そんなんだと将来コジキよ!』


 なんて事は絶対言わない。


 テレビドラマや友達から聞く(母親とはこういう生き物)的な存在とは明らかに違う。


 小学校の時は『お母さんがさー・・・・』と、げんなりした顔で語る友達を見て、不思議な思いがしたものだ。


 色々なお母さんがいるんだな。


 そう思って妙に納得した。


 ただ、怒られたり叩かれたりした記憶もないが、明確に褒められた記憶もない。


 テストで良い点とっても、絵を描いて金賞をもらった時も褒めてくれなかった。


『4』が三つに増えた時、嬉しくて通信簿を見せた時の母の反応が薄くて、胸がキュッとして泣きたくなった時もあった。


 寂しかった。


 自分に関心がないんじゃないかって、不安になった。


 でも今は、そうじゃないんだ、そうじゃなかったんだって分かる。


 少し大人になったのかな。



 リビングに行くと母がカップ麺を用意していた。


 ガスコンロにかけたヤカンが(ピー)と鳴って、沸騰した事を告げる。


「今日はサボりね」


 一瞬ヒヤリとした。


 学校をサボった事を咎められるのかと思い、身体が緊張して、椅子にかけた手が止まった。


「夕飯はちゃんと作るから」


 え? ああ、そうか。お昼ごはんをサボってカップ麺にすることと、私が学校をサボった事が被っただけだ。あ―― ビックリした。


「うん」


 何気ない顔で返事しておく。


 でも、ほっとしたと同時に少し残念な気持ちもした。


 もしかしたら学校に行かなかった理由を聞かれるのかと思い、ちょっとだけ期待した。今でもそういう事にこだわっている自分がいる事に驚く。


 テーブルについてカップ麺のふたを開ける。


 (赤いきつね)だった。


 粉の袋を切って麺の上に振りかける。


 ヤカンを持ってきた母が、お湯を注いでくれた。


 母は向かいに座り、自分のスマホを取り出してタイマーをセット。


 何となくゆるやかな時間が流れる。


 窓から見える空は青く、あたたかな日差しが降り注いでいた。


 辺りにカツオダシの香りが漂うと、ある記憶がよみがえった。


 そうか、あの時も(赤いきつね)だった。



 あれは私がまだ小さい頃、小学校にも上がっていなかったっけ。十年は経っただろうか。


 大きな地震があって家が停電した。


 地鳴りとともにやってきた『ソレ』は、あっと言う間にテレビや色々なモノを落として辺りを雑然とした状態に変えてしまった。


「なお!」


 私の名前を呼んで飛んできた母。小さな身体を抱えてテーブルの下に潜り込むと、じっと揺れが収まるの待ち続けた。その間、何も声を出さなかった。


 まるで、声を出すといつまでも揺れ続けるのではないかと思う程、私を抱きしめたまま何も言わず、動かず、息を潜めて、時が過ぎるのを待った。


 やがて揺れが収まると私の顔じっと見てこう言った。


「痛いとこない?」


 その時、うなずいたのか、首を横に振ったのかは覚えてない。


 時間差で食器棚からお皿が落ちて、すごい音がした。ビクッと母の身体が震えた。もう一度私の目を見た母はこう言った。


「じっとしててね。ここから動かないで」


 表情がこわばっていた。初めて見る顔だった。


 テーブルの下から抜け出していった母の背中を見て不安が押し寄せた。


 そこからしばらくの時間は断片的な記憶しかない。


 水が出ない事。電気が止まった事。母がケータイで色々かけているがつながらない事。ベランダからお隣の人に声をかけている事。余震で何回か揺れた事。


 それらはアルバムに貼った写真のように、場面の記憶は鮮明に残っているけど、一連のつながりは『大地震』という一つの圧倒的な出来事によって、糊付けされているようなものだった。


 私は泣かなかった。いや、泣けなかったと言ったほうが正しいかもしれない。日常が変わり果て、ただ重くて暗い不安が体中に纏わりついて感情が包まれてしまっているような感じだった。


 やがて日が暮れて夜がやってきた。


 車のサイレンの音、それ以外の異様な静けさ。


 ケータイの明かりに照らされた不安な表情の母の顔。


 ただただ怖かった。




 そして、何か思いたったようにケータイを閉じて「よし」と言った母の顔はいつもの母だった。


 「なんか食べよう」


 キッチンを漁る音がして、テーブルの上に何か持ってきた。


 それはいつかクリスマスの時に食べたケーキについてきたキャンドルだった。


 マッチで火をつけて小皿の上に立てた。二本、三本と、次々に火をつけていくと、部屋の中をオレンジ色の明かりが満たした。


 ゆらゆらと、普段では見られない影が揺れる。


 お鍋用のカセットコンロを出してきて、冷蔵庫を開けると「何もないね、買い物に行く前だったから」と、いうような独り言を言ってたような気がする。


 そして母は、ペットボトルの水とカップ麵を持ってきた。


 「今日はこれでがまんだね」


 と言って、ヤカンに水を入れて沸かした。


 二つのカップ麵にお湯を入れると、ケータイを取り出した。時間を計ろうとしたのかもしれない。ただ、すぐに閉じてしまった。今思えばバッテリーが不安だったのだろう。


 変わりに出してきたのが砂時計だった。


 父がカップ麵を食べる時に使っていた砂時計。


 この時はまだ、父が他界してから半年も経っていない頃だった。


「ねえ、なおちゃん」


 母がやさしい声で語り掛けてきた。


「このお砂がね、下に全部落ちたら三分なんだけど、このカップ麵は五分だから、一回全部落ちたらもう一回ひっくり返して半分くらい落ちたら出来上がりね」


 私は頷き、じっと砂時計を見ていた。


 さらさらと音もなく落ちる砂。


 キャンドルのやさしい明かりに照らされたガラスが。とてもキレイだった。


 

 そして私は父の事を思い出していた。


 突然いなくなった父。


 もう帰って来ない。家にもどこにもいない。


 この世界から消えてしまった。


 やさしくて、あたたかくて、いつも抱きしめてくれて、全身で可愛がってくれた。


 

 その時、何かが壊れる音がして、突然大声で泣き叫んだ。


「あ――ん あ――ん おと――さ――ん!! わ――!」


 地震による不安と、父がこの場にいたらどんなに安心するだろうか、どんなに心強いか、会いたい、会いたい、今すぐに来てほしい、抱きしめてほしい、そんな思いが溢れてきてどうしても止まらなかった。


 決壊した感情は涙とともに流れていき、全身を濡らさんばかりの勢いだった。


 どのくらい泣いていたのだろうか。


 少し落ち着いてきたころ、母が私のあたまを撫でた。


 その目はやさしく、涙で濡れていた。


「ねえ、もうそろそろ食べようか。五分は過ぎちゃったけど、のびてもおいしいからね」


 私と母はカップ麵のふたをとり、すっかりのびて柔らかくなった麺をすすった。


 

 あれから何年も経った。


 何が変わったのだろう。


 今目の前にいる母は少しシワが増えて、私は高校に通っている。


 ずっと一人で育ててくれた母。


 やさしく微笑む目の奥には、強くなくてはいけないという決心の光がともっている。


 ただ、あの時泣きたいのは母だったのかもしれない。


 きっとどこかで、そう、父がいなくなった時に決心したのだろう。


 もう泣かない、子どもを育てていかなくてはならないのだからと。


 今になって分かる。


 褒めてくれなかった時だって口数の少ない母は、きっと誰よりもやさしい目で私を見てくれていたのだろう。照れくさくて、目をそらしていたのは私のほうだ。


 私が学校に行かない理由も全部分かっているのだろう。裏を返せば信じてくれている。と、いう事だ。

 

 だからごめんなさい。明日からちゃんと学校に行きます。


 「ねえ、お母さん」

 

 私は母の目を見て話しかける。


 「今日の夕飯、私が作るね」



 


 


 


 


 


 


 


 




 




 













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キャンドルと砂時計 玖良先 @tea-k

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