第24話 ex.アレンの奔走

 孤児院に一人残ったアレンは、昼間から町を駆け回っていた。

 かつて共に生活し、孤児院を出た――シスターエリサの発案で『卒業』と呼ばれている――者たちと接触を図るためだ。


「ミナ、レナ、ロイの三人はきっと大丈夫だ。エリサさんもいるし、皇国で元気にやってくれるはず」


 枢機卿レイニーに預けた子どもたちに思いを馳せる。女の子二人には別れ際に思い切り泣かれたし、いつも眠そうでぼーっとしているロイですら、寂しそうに袖を引っ張られた。


 孤児だから正確な年齢は分からないけど、おそらくみんな七歳前後だ。

 聖女セレナが教会に入った時はまだ孤児院に来る前か、物心つく前だったので関わりは薄い。たまに様子を見に来たときは仲良くやっていたけれど、彼らにとって聖女の死よりもアレンと別れる方が悲しいようだった。


 アレンは三人にとって頼れる兄であり、ちょっと鬱陶しい父であり、気の合う友だった。


「別に今生の別れってわけでも……いや」


 そうなる可能性もあるのか、と思い至った。

 レイニーの言葉通り王国が滅ぶのなら、アレンの身も無事で済む保証はない。仮に魔物の侵攻が起こらないとしても、アレンがこの国を離れることを拒み続ける限り、会うことはないだろう。


 だが、アレンはセレナと育った国を見捨てることはできない。


「まずはタイガンのとこだな」


 ここしばらくはアレン含め四人しかいなかったが、孤児院にゆかりのある者は数多くいる。

 鍛冶屋に弟子入りしたタイガンもその一人だ。


「タイガン! いるか?」


 彼がいつも作業している鍛冶場を覗き込んで声を張り上げた。入口だというのに中から湧き出てくる熱気に、思わず顔をしかめる。

 ちょっと待ってくれ、と怒鳴り声に近い言葉が返って来たのでしばらく待つと、額にタオルを巻く偉丈夫が出てきた。


「おお、アレンじゃねえか。どうした?」


「久しぶりだな。突然だけど、武器が欲しい」


「おいおい、どういう風の吹きまわしだ? 剣術の鍛錬をしてる暇があったら家事と子育てだ、とか言ってた奴が。がっはっは、てっきり男なのにシスターでも目指してるのかと思ってたぞ」


 豪快に笑って太い腕でアレンの肩を叩いた。骨が折れるかと思うほどの威力だが、アレンは毅然と黙り込む。久しぶりの再会だというのに笑みの一つもない。


「……なんかあったのか?」


「魔物が来る、らしい。だから俺は戦う」


「は? 魔物なんて冒険者に任せとけばいいだろうが」


「大量に来る」


 アレンは昔から口下手だった。もっともそれはタイガンも承知の上なので、怒りもせず理解しようとしてくれる。なにしろアレンが子どもの頃からの付き合いだ。言葉が足りないのはいつものことだし、冗談や嘘を言うタイプではない。


「セレナのやつが結界を張ってるんじゃなかったか?」


「……死んだ」


「嘘だろ?」


 アレンは無言で首を横に振る。

 タイガンは口を閉じて、眉間を親指でぐりぐりと押した。考える時の癖だ。


「俺たちの中じゃ一番の出世頭のあいつが、まさか、こんな早く死ぬなんてな」


 タイガンは、アレンとセレナが掴まり立ちをした頃からしっている。粗野な性格だが、彼なりに愛情を向けてきた。


「ちょっと待ってろ」


 奥に下がってものの数秒で戻ってきた時には、一振りの長剣が握られていた。

 鞘に収まっているから刃は見えない。装飾のない、シンプルな剣だった。長剣と言ってもそれほど大きくはなく、剣術の心得もなければ鍛えてもいないアレンでも十分扱えそうだ。


「ああ、助かる――」


 アレンはぶっきらぼうに礼を言って、受け取ろうと鞘を持った。

 しかし、タイガンはがっしりと掴んで離さない。


「死ぬつもりか?」


 頭を使うより身体を動かす方が良い、と言って憚らないタイガンだが、決して考えなしではない。いつになく真剣な目でアレンを見つめる。


「セレナの後を追うつもりなのか、って聞いてんだ」


「違う」


「じゃあなんで戦う? お前が戦う必要もなければ、意味もないだろうが。この国にゃ冒険者も兵士もわんさかいる。お前の出る幕はねえよ」


「そうかもしれないけど……でも、俺はセレナと約束したんだ。二人で孤児院を守るって。あいつは、死んじゃったけど」


 アレンとて、自分がどうすべきかなんて分からない。彼はまだ若く、孤児院以外の世界を知らなかった。

 だけど、彼はまっすぐだった。セレナのためなら、迷わず動ける。


「死んだ奴は戻らねえぞ」


「分かってる。もう手遅れだってことは。でも、俺はあいつが守りたかったものを守りたいんだ」


 なんで助けてやれなかったんだろう。

 教会で聖女になる、なんて言い出した時、なぜ無理やりにでも止めなかったのだろう。後悔はたくさんある。処刑を強行したという王子や貴族への恨みもある。


 でもそれ以上に、セレナとの約束が大切だった。


「お前まで死ぬのは許さねえからな」


 そう言って、タイガンは手を離した。

 ずっしりとした重みが、アレンの腕に伝わってくる。


「恩に着る」


「カールのとこへ行け。お前一人じゃ心配だからな」


「そのつもりだ」


 最後に目を合わせて深く頷くと、受け取った剣を大事に抱えて背を向けた。

 向かうは兵士の詰め所だ。平時は衛兵として治安維持に努めている彼らは、町や村に設置された詰め所を拠点としている。

 王都に隣接したこの平民街にも詰め所はある。そして、そこには同じく卒業生のカールがいる。


 彼ならば、アレンの話も聞いてくれるだろう。


 カールは孤児院にいたころから剣術に秀で、試験を突破し卒業した男だ。

 今ではめきめきと実力を付け、隊長になっているらしい。


 詰め所で適当な兵士に取り次ぎを頼むと、すぐにカールが顔を出した。


「あれ、アレンか。どうした?」


「ああ……」


 タイガンにしたような説明を、拙いながらも一生懸命話していく。

 聖女セレナの死、魔物の侵攻。レイニーから伝えられた内容を話すたび、カールの表情が険しくなっていった。


 優男に見えても複数の兵士をまとめる小隊長だ。事態の把握は早かった。


「教えてくれてありがとう。僕の方でも動いてみるよ」


「助かる」


「いや、これは王国全体の問題だ。冒険者ギルドや騎士団にも働きかけないと。大丈夫、僕に任せて」


 カールは優しく微笑んだ。

 アレンがバケツをひっくり返してせっかく掃除した部屋をびしょびしょにしても、セレナがうっかり皿を割ってしまった時も、彼は決まってこう言ったのだ。『大丈夫、僕に任せて』と。


 思えば、アレンたちはカールに頼り切りだった気がする。


「俺も戦うから」


 でも、もうアレンは子供じゃない。

 カールは何か言おうとして、アレンが抱える長剣に気が付いた。喉元まで出ていた言葉を飲み込み、踵を返した。


「頼りにしてるよ」


 実を言うと、カールに王国全体を動かす力などない。

 カールとタイガンは、アレンと親しい関係にあったから信用したが、他人だとそうもいかない。兵士も一枚岩ではなく、冒険者ギルドや騎士団に至っては組織としては格上だ。

 所詮小隊長でしかないカールでは、話を通せる範囲にも限りがある。


「任せろ」


「孤児院で待っていてくれるかな? 何か動きがあったら連絡するよ」


 だが、カールは弟と、先に逝ってしまった妹のために決意を固めたのだった。


 アレンはその足で食材を買い込み、一先ず孤児院に戻った。

 古びた教会を改装した、木造の建物だ。五人で過ごしていた時には手狭だったこの孤児院も、たった一人だとこうも広い。


 アレンのお気に入りは屋根裏部屋だった。

 狭くてホコリだらけだが、ここにはセレナとの思い出がたくさん詰まっている。


 小さい頃、シスターに怒られそうになると二人でここに立てこもったのだ。中からかんぬきをすると外からは開けられず、シスターの怒りが収まるまで他愛もない話をしながら待った。


 喧嘩をした時、悲しいことがあった時、そして、教会に行くことが決まった時。

 そんな時はいつも、セレナは屋根裏に逃げ込んで、アレンが来るのを待つのだ。狭くて暗いこのスペースが、二人の『いつもの場所』だった。


「セレナ……」


 ここでなら、素直になれる。

 アレンは、いつもセレナが背を預けていた柱に手を付いた。


 カラン。何かが転がった音がした。


「ん?」


 音の方に目を向けると――黒い、半透明の幽霊がいた。


「ま、ままま魔物!?」

「あははははっ」

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