僕とポン太の歩く道

風間慎太郎

第一章 旅立ち

第1話

 年季を感じさせる木枠の窓から光が差し込み、新しい朝が来たことを知らせてくれた。暗く静かな夜が明け、人間が活動する太陽の光が地上を照らす時間がやってきたのだ。


 小鳥がさえずり、さわやかな風が草木を揺らす。近くのパン屋が朝の仕事を始めているのか、パンの焼ける良い匂いが空腹になっている胃袋を刺激し、食欲を誘った。そして、近くで水を井戸から汲んでいるおばちゃんたちの話し声が微かに聞こえた。


 人間の行動時間は夜、私は夜行性だと言う人もいるかもしれない。もっと極端なことを言えば、ファンタジー小説のバンパイアのように、太陽の光は敵だと言う人も居るかもしれない。

 だが、特別な理由のない大半の人にとってそんな事はない。人間の身体は太陽の光によって調節されている面が少なからずある。光を浴びることで体内時計をリセットするのだ。


 そのようなことを聞いても、私の言葉に対し屁理屈を並べるかもしれない。今の時代は江戸時代ではないと。夜には電気によって生み出される光で町を照らし、眠ることのない町が広がると。そんなことを言うかもしれない。


 しかし、そんな光は今はもう無い。


 少なくとも、私がいるこの世界ではそんな光は見たことがない。あるとしたら燃え盛る火によって生み出される光ぐらいなものだ。そのため、太陽の光がなくなったら早々に床に就くし、太陽の光が世界を照らすとともに起きるのだ。そう、ここには電気なんてものはない。



「起きろー」



 LEDや、電球の光が照らさない暗い部屋。窓から漏れ出てくる光は、うっすらと室内を照らし、部屋の中を確認できるだけの光りをもたらした。

 部屋の中には小さな子供用の机と椅子が一組、そしてベッドがある。そんな必要最低限の物しか置かれていない部屋の中で、一人の少年が気持ちよさそうにベッドに横たわっていた。


 静かな寝息を立てて、ふかふかの布団の中にいる少年は、幸せそうな顔をして寝ている。美味しいごはんでも食べている夢でも見ているのだろうか。口の脇から垂れるよだれが、柔らかな頬を伝って枕を濡らしていた。



「早く起きろ。またビル爺に怒鳴られるぞ」



 私が何を言っても、夢の中を楽しんでいる少年は起きる気配を見せない。そればかりか、寝返りを打って反対側を向いてしまった。そこには雑音は完璧にシャットアウトして、絶対に眠ってやろうという強い意思が感じられた。

 私はそんな少年を見て、ため息をついた。そして、何やら下から音が聞こえるのに気がついた。



「……」



 下からかすかに聞こえてくる声は、おそらくいつまでたっても起きてこない孫のことを起こしに、この部屋に向かっているビル爺の声だろう。しかし、階段の下から声をかけてきたところで、この少年が起きることは無いと思われた。何故なら寝る前に、しっかりと防音の魔法を部屋にかけているからだ。


 ちゃんと魔法が効いているためか、階下から大声で少年の名前を呼ぶ声は、とても小さくなっていた。この大きさでは彼の睡眠を邪魔することはできない。彼もそれをわかっているのか、その声が徐々に近づいてくるのが分かった。



「ルーク、朝だぞ!」



 ドアが開くとともに、大声で入ってきたのは、老いを感じさせるが、健康的な大柄な初老の男性だった。筋肉によって押し上げられている服や、髪や髭に白髪が混ざっているものの、丁寧にセットされているそれらは、彼のまじめさとワイルドさを表しているようだった。


 初対面の人は、この男とベッドの中で眠り姫になっている少年が、血のつながりがあるとは、思えないと言うことが多いが、確かにこの二人には血のつながりがあった。



「ノゾム、なんでルークを起こさん!」


「おはようビル爺。一応起こしたよ。まあ、起きなかったけど……」


「はぁ。ルーク、朝だぞ」



 私こと月見里やまなしのぞむはビル爺の言葉に対して返答した。その答えにため息をつきながらも、ビル爺はどかどかとベッドに近づき、眠っている少年、ルークに大声で声をかけた。



「ん……」



 ルークは眼が覚めたのか薄目にビルの存在を確認したが、布団をかぶって再び眠りにつこうとした。しかし、それを許すビル爺ではなかった。掛け布団をつかむと勢いよく引っぺがいした。


 ルークは初春のまだ肌寒い空気に体をぶるりと震わせると、渋々とベットの上から私たちを見た。



「おはようルーク」


「おはよう……」



 まだまだ眠気が残っているのか、ふらふらとあたまを揺らしているルークは、大きく伸びをしながらそう返した。


 ビルが開けた窓から差し込む光に目をやられたのか、まぶしそうに太陽をにらみつける彼を、私は微笑みながら見守るのであった。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






「いただきます」



 一階に降りてきて、リビングでルークはビルが作ってくれた朝食を、美味しそうに食べていた。近所のパン屋で買ってきたであろう焼きたてのパンに、スクランブルエッグ、それに昨日の夕食で出たスープを美味しそうに食べる彼の姿は、見ているこっちもすごく気持ちのいいものだった。


 大柄なうえに筋骨隆々なビル爺だが、料理の腕は確かなものだった。今までビル爺の出す料理を、ルークが残したことは私の記憶する限りでは無かった。普通の子供が嫌うような苦い野菜もうまく料理して食べさせていた。

 これは昔からできたのではなく、努力の賜物ということを私は知っていた。



「うまいか?」


「美味しいよ、ビル爺」



 ルークは元気よく答えた。ビル爺はそれを聞いて満足そうにお茶をすすった。最近ビル爺がこだわっているお茶は、良い匂いを漂わせていた。

 それにしても、今日は一段とルークの食べる速度が速かった。昨日も大量の食事を平らげていたが、この小さな体の何処に入るのだろうか。


 そんな二人を、私は何をするでもなく見守っていた。


 私はルークのように食事をとることもできなければ、ビルのようにお茶をすすることもできない。しかし、ルークが嬉しそうにしていれば、私の心も満たされるので特に辛くはなかった。


 ゆっくりとビル爺の作った朝食を完食したルークは、食器を流しに持って行き、自分で食器を洗い始めた。自分の食器は特に理由がなければ自分で洗うのがこの家の鉄則だ。まだ体の小さいルークであったが、魔法で水を作り出し、器用に食器を洗っていく。



「ルーク」


「何、ビル爺?」


「今日の予定はどうなっているのじゃ?」


「今日は……」



 ルークは食器を洗う手を止めて虚空をにらんだ。どうやら、彼は今日の予定を忘れているらしい。

 数十秒虚空をにらんで思い出そうとしていたが、思い出せないのか、困ったように私の方を見た。


「今日は教会に行って勉強だろ」


「そうらしいよ」


「はぁ、それぐらい覚えておきなさい。それと行く前に、ちょっと外で稽古をつける」


「はーい」



 ビル爺からそう言われても特に気にした様子もなかった。


 そして、食器を洗い終えた後、木剣をもって二人は外に出た。

 互いに向かい合わせになると、ルークはビル爺に勢いよく切りかかった。毎日稽古をつけてもらっているため、そこら辺の素人が振るような速度とは、全く違う鋭さで剣を振るった。

 しかし、その攻撃がビル爺に当たることは無かった。ビル爺は片手で持った木剣で、ルークの攻撃をはじいた。

 そして、そのままの勢いでルークの身体を弾き飛ばした。

 

 空中で何とか体勢を立て直したルークは、左手に木剣を持ち、右手と両足を地面につくことで何とか着地をした。そして、右手の周りに魔法陣が描かれ、ビル爺の立っているま下から土の槍が突き出した。

 決まったと言ってしまいそうになるぐらい見事な奇襲であったが、それもまた読まれていた。ビル爺は、さっと前に駆け出して、魔法を避けた。そしてそのままの勢いでルークへと近づいた。

 そして、ルークの体勢が立て直す前にのど元に木剣を突きつけ、決着がついた。



「はぁ、また負けか……」


「まだまだ、若いもんには負けんということだ」



 ビル爺は元気よく笑っていた。この爺さんは漫画かアニメに出てきそうなほど強かった。剣の腕も、魔法の腕もどれも一級品であった。



「ルーク、さっきの魔法は良かったぞ」


「でも、よけられた……」


「そりゃお前にあの魔法を教えたのは儂じゃ。魔法陣が描かれた瞬間に何をしたいのかすぐにわかったわい」


「ずるい」


「わははは」


 ビル爺は笑いを見ていると、不満そうだったルークも次第に仕方がないと、機嫌をを取り戻していった。これは毎日行っている訓練だ。

 昔、おじいちゃんみたいになりたいという孫の言葉から始まった稽古だが、内容が実践的すぎた。型などは軽く教え、後はひたすらビル爺との稽古だ。魔法でもなんでもありの戦いだったが、未だビル爺に一本を入れることはできていなかった。



「ビル爺」


「む、そろそろ時間じゃな。ルーク気を付けるのじゃぞ」


「はーい」


 私がビル爺に声をかけると、すぐにその意味を分かってくれた。もうそろそろ出発しないと授業に間に合わないのだ。

 ルークは、部屋に戻り勉強道具をカバンに詰め込むと外に飛び出した。



「行ってきまーす」


「昼までには帰って来いよ」


「分かったー!」



 元気よく道に飛び出すとそこは、日本とは似ても似つかない風景が広がっていた。


 長閑な町といってもいいような風景なのだが、日本の田舎の風景とは全く違っていた。日本でよく見る鉄骨の入った頑丈な家ではなく、ヨーロッパに来たかのようなレンガ作りの家に、舗装されていない土の歩道。こんな風景は、日本ではめったに見ることはでき無いだろうと断言できるものだった。


「おはようございます」

「おはようルーク。今日は勉強の日だったかい?」

「そうだよ。じゃ、行ってくるねー」

「行ってらっしゃい」


 道を歩いていると、数人ではあったが朝早くから仕事に出かける人に出会った。どの人も顔見知りなため、近づくと次々に挨拶をしてくる。


 この村全体の人数は正確なところは分からないが、千にも満たない人数だろう。農村としては大きいが、町というと若干首をかしげる人も出るかもしれない。そんな大きさの町だった。


 そんな町のはずれに住んでいる私たちは、土の道を歩き、丘の上にある教会に行くために長い坂を登らなくてはならなかった。まだ成長期を迎えていない子供の脚な上に、登り坂というとそんな道を早く移動できるはずもなく、のんびりとした性格も合わさって、ルークはゆっくりと歩いていた。



「ルーク!」


「あ、リリーおはよう」


「教会に一緒に行こう!」



 ルークに話しかけてきたのは、近くに住むリリーであった。彼女は12歳のルークと同い年だ。彼女はのんびりしたどこか頼りない性格のルークと長年一緒にいるからか、ルークより背が高いからかは分からないが、ルークに対して姉のように接していた。


 今日も彼女はルークに偶然会ったわけじゃない。わざわざルークと一緒に行くために待っていたのだ。彼が遅刻しないように一緒に行くために。


 そんな二人の仲は良かった。どこか眠たそうなルークに対し、ハキハキとしゃべるリリーの組み合わせはご近所さんでも人気らしく、将来が楽しみだという話をよく耳にしていた。



「あ、ノゾムさんもおはようございます」


「おはよう」



 リリーは私にも挨拶をしてくれる礼儀正しい女の子であった。


 彼女の周りを見渡すといつもいるはずの彼がいなかった。



「ケビンはどうしているの?」


「……寝ています」


「そうかぁ、あの子はルークみたいにのんびり屋さんだからなぁ」


「ふふ、そうですね」



 どうやら彼女の守護霊である狼のケビンは、彼女の中で寝ているらしかった。ルークみたいに四六時中眠たそうにしている彼女の守護霊は、いざという時には役に立つが、それ以外の時は狼じゃなくて飼い犬じゃないかと思うくらいに大人しかった。



「お二人さん、そろそろ行こうか。結構ぎりぎりだと思うよ」


「そうね。行くわよルーク!」


「ああ、待ってー」



 リリーはルークの手を取り、駆け出した。私とリリーが話している間のんびりと雲を眺めていたルークは、急に手を引っ張られ、慌てながらそれについていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る