廻る、回顧
ウワノソラ。
父が足りない
田畑を尻目に、私は毎朝のように自転車を疾走させ、会社に向かう。国道三一二号線のなだらかな坂にペダルを踏みこみ、なかば息を弾ませぐいぐい進んでいく。私はときおり出くわす草刈りをしたあとの青々とした緑の香りが好きだ。田舎にいた頃の景色がふいに思い出されるから。
中途半端な都会で田舎の姫路にはわりに植物が多く、田畑の作物の育ち具合や庭からのぞく花から季節を感じることができる。大阪にいたときよりも四季折々の植物を目にすることが増えたのは間違いない。
今年はなぜか、桜よりもツツジの鮮やかさに目を奪われる年だった。そして梅雨模様となった今では、さまざまな種類の
いつからだったか、私は紫陽花が好きになっていた。父が亡くなってからそうなったような気がする。
父の誕生日も、父の日も、父の命日も、すべて六月に集約されていた。だからなのか、六月になると勢いを増して咲きそろう紫陽花に特別な思いが生じているのかもしれない。
父は私が十五歳のときに自ら命を絶ったのだが、それからもう十七年が過ぎていた。つまり、私の人生で半分以上の期間父はいない。それなのにだ。私は毎年のようにこの季節がくると父のことを思い出して、おいおいと泣いてしまう。だいの大人になって結婚してもなお、私は父を欲している。
もし、父が死を選ばずふつうに生きていたらと、何度だって思う。多分末っ子で甘えたがりの私のことだから、父がいたらさらに甘ったれた人間に成り果てていただろうけど。それでも、父が生きているほうがずっと私にとってはよかったのにと思う。父がいれば、私はそれだけできっとしあわせに違いないのだから。
父がなぜ死を選んだのか、私も姉弟も誰もかれもわからない。遺書くらいしたためておいてもよかっただろうに、なにもなかった。
父がいなくなってから、私のなかに空洞が広がったままになっている。
だからなのか――毎年紫陽花がしおれるまで私は、父の不在に喘ぎつづけ、心でのたうち回ることをやめられないでいた。
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