旨い赤です別れと出会い

とむなお

秋、中頃のこと‥‥

「六ちゃん、北村さんとこまで頼むよー」

「はーい。行ってきまーす」 

 東京の下町――N区に在る小さな食堂『なぎ』には、良く働く六ちゃんと呼ばれる青年がいた。とても気さくな男でもあった。

 三十代と思われていた六ちゃんは、いつも笑顔で出前の仕事を主に、こなしていた。

 勿論、店員もやっていて‥‥

 よく知ってる客の男の子が、誤って湯飲みを落として割ったりすると、すかさず六ちゃんが、

「すいません。僕が割っちゃって‥‥。給料から引いてください」

 などと言って、周りを爆笑させていた。

 そんな人気者の六ちゃんが独身ということで、おせっかいな近所のおばさんが、縁談ばなしを持ってきた時には、

「すいません。オレ貯金ゼロなんで‥‥」

 てな感じで、またまた爆笑させるのだった。


 ある時、六ちゃんは、店主の用事で近くの郵便局に行った。

 やがて出てきた時、近所の子供が横断歩道を渡ろうとしていた。

 それを見た六ちゃんが、

「よく周りを確認するんだよー!」

 と言った時、猛スピードのオートバイが突っ込んで来た。

 六ちゃんは咄嗟とっさに「あぶない!」と、その子を救った。

 が、オートバイは六ちゃんにぶつかって走り去った。

 あっという間の出来事だった。

 だから誰もオートバイのナンバーを覚えてなかった。

 現場でグッタリしていた六ちゃんは、救急車で病院に搬送された。

 しかし、後頭部を強打していて、すでに亡くなっていた。


 近くの交番の巡査長が駆け付け、食堂『なぎ』の店主夫婦に知らせた。

 主人は、すぐに病院へ駆け付け、

「六ちゃんは、息子同然の存在だったんです‥‥。だから葬式は、内で出させてもらいます」

 それを聞いて巡査長は納得したが、

「その前に、彼の身内に知らせる必要があるんですがね‥‥」

 そう言われた主人は店に戻ると、六ちゃんの履歴書を出してきた。

 そこには六ちゃんの正体が出ていた‥‥。

 近くの、四畳半のアパートに住んでいた『六ちゃん』こと倉田六郎は、青森県S市の出身で三十六歳だった。

 そこで店主と巡査長は、履歴書にあった近くのアパート――栄荘に向かった。


 二人が、そのアパートを訪れると、家具はラジオだけだった。

 店主が開けた押し入れの下段に有ったミカン箱に、彼の全てがあった。

 とは言っても入っていたのは、わずかな着替えと近くの銀行の通帳。そして無表情の老女との写真が一枚たけだった。

 それを見た店主が、

「この女性は、例の青森に住む母親でしょうね‥‥」

 巡査長はうなずき、

「母子家庭だったようですな‥‥。とりあえずそのへんの事、私の方で確認してみましょう」

「どうぞ宜しく‥‥」

 二人は、アパートを後にした。


 交番に戻った巡査長は、青森県S市の役所に電話して、倉田六郎の詳細を訊いてみた。すると電話に出た職員は、

『確かにそういう人物が住んでいた事実はありまして、母子家庭だったようです。しかし、十年ほど前にある事件が起きまして、その時から、六郎は行方不明なってます。その後、母親も亡くなり、他の身内は皆無だったので、住んでいた家屋は今は空き家になってます』

 と答えた。

 続いて巡査長は、S市の所轄署に電話して、十年前に倉田六郎が故郷を捨てた原因とみられる事件を調べてほしいと依頼した。

 すると先方の職員は、

『数日は掛かると思いますが、分かり次第お知らせします』

 と約束してくれた。


 交番に戻った巡査長は、青森県S市の役所に電話して、倉田六郎の詳細を訊いてみた。すると電話に出た職員は、

『確かにそういう人物が住んでいた事実はありまして、母子家庭だったようです。しかし、十年ほど前にある事件が起きまして、その時から、六郎は行方不明なってます。その後、母親も亡くなり、他の身内は皆無だったので、住んでいた家屋は今は空き家になってます』

 と答えた。

 続いて巡査長は、S市の所轄署に電話して、十年前に倉田六郎が故郷を捨てた原因とみられる事件を調べてほしいと依頼した。

 すると先方の職員は、

『数日は掛かると思いますが、分かり次第お知らせします』

 と約束してくれた。


 数日後、六ちゃんの葬儀は店主が喪主となり、町のメモリアル・ホールで行われた。

 店主が驚いたのは、来場者の多さだった。

 正直なところ、せいぜい二十数名だろうと思っていたが、その倍以上の老若男女が訪れたのだ。

 不思議に思った店主が、一人の女子に訊いてみると、

「あの時、オートバイにかれそうになった少年は、この町の中央に在る都立小学校の生徒会長だったんです。その命の恩人ですから‥‥」

 と答えてくれた。

 六ちゃんはその後、火葬され、小さな壺に納められた。


 数日後、オートバイの男は、所轄署の刑事によって逮捕された。

 過日、救急車の中で、六ちゃんがつぶやいた、とされる、

「エンドウにやられた‥‥」

 という言葉が決め手となった。

 その男――遠藤は、フダ付きの不良で、過去に六ちゃんと何らかの関係があったらしい。


 巡査長が、その件を店主夫妻に伝えると、喜びながら、

「来月の六ちゃんの命日に、彼の遺骨をお母さんが永眠ねむる墓に納めるため、青森まで行きます」

 と言った。巡査長は、奥の仏壇に置かれた骨壺つぼを見て、

「それは大変たが、彼は喜ぶでしょう。どうぞお気を付けて‥‥」

 そして店主宅を後にした。


 巡査長が交番に戻ると、ちょうど電話が入った。

 相手は青森県S市の所轄署員で、

『その倉田六郎が関与したと思われる事件は、一応不明なんですが‥‥。

その頃に起きた事件は一件だけでしてね‥‥。

それは、役場の独身の女性職員が、北端の岬から投身自殺をしたという件なんですが、どうやら、ある男に襲われたためだったようです。

だから、その男がお尋ねの倉田六郎だとすれば、

その事を知って村に居ずらくなり、東京へ逃げたのかな‥‥? という感じですね』

「そうですか‥‥。どうもありがとう。失礼します」

 巡査長は電話を切った。


 その件を聞いた後輩の巡査は、赤いきつねを食べながら、

「その女性と何かあったからって、故郷を捨てますかね‥‥」

「しかしな、その女性は亡くなってるんだよ」

「なるほど‥‥」

「まぁ原因が分かっても、今さらどうにもならん。ひょっとしたら、母親を守るためかもな‥‥」

「でも、その母親も去年、亡くなってます。彼は知らなかったんでしょうか‥‥?」

「多分な。一度も帰省はしてないから‥‥」

 窓の向こうに見える、美しい夕焼けに目をやった。


 翌月の六ちゃんの命日‥‥

 上野駅のホームで、六ちゃんの骨壺が入った風呂敷包みを持って列車を待つ、店主夫婦の姿があった。

 その二人に近付く、一人の男がいた。

 それは巡査長で「おはようございます」と軽く挨拶してから、

「実は、六ちゃんが単身、東京に移住した原因が分かりましてね‥‥。あまり良い内容ではないのですが‥‥」

 と言ってから、例の内容を話した。


 すると店主夫妻は、意外と柔和な顔で、

「六ちゃんの過去にどんな事があろうと、私達が知ってる六ちゃんが全てですし‥‥。その六ちゃんも亡くなってますから‥‥」

「そうですか‥‥」

 店主の妻は、六ちゃんの遺骨を抱くような感じで、風呂敷にやさしく頬を当てた。

「では、お気をつけて」

 まもなく巡査長は駅を後にし、店主夫婦は列車の人となった。


 やがて青森に着いた店主夫妻は、まず予約した旅館に寄った。

 次に二人は、六ちゃんの母親が永眠ねむる墓に参り、

「あなたの息子さんのお陰で、近所の子供の命が救われました。ありがとうございました。ですが、そのために息子さんは、こんな姿になりました。

これから六ちゃんの骨を納めます。ぜひ褒めて上げてください」

 六ちゃんの遺骨を墓の中に納めると、線香をたむけた。


 次に夫婦が向かったのは、北端の岬だった。

 そこに立った夫婦は、例の女子職員が身を投げた方向に向かって合掌した。

 何故か風がおさまり、波もいでいるような静かな音に変わった。

 そんな二人の頭上を一羽のカモメが鳴きながら飛んでいたが、その声が、

「ありがとう」

 と言ってるように聞こえた。

 夫は妻を抱き寄せ、雄大さと共にただよう寂しさを感じていた。

「これで、もういいだろう‥‥」

「ええ‥‥」

 二人は、予約してある旅館に向かった。


 次に夫婦が向かったのは、北端の岬だった。

 そこに立った夫婦は、例の女子職員が身を投げた方向に向かって合掌した。

 何故か風がおさまり、波もいでいるような静かな音に変わった。

 そんな二人の頭上を一羽のカモメが鳴きながら飛んでいたが、その声が、

「ありがとう」

 と言ってるように聞こえた。

 夫は妻を抱き寄せ、雄大さと共にただよう寂しさを感じていた。

「これで、もういいだろう‥‥」

「ええ‥‥」

 二人は、予約してある旅館に向かった。



 東京に戻った店主夫妻は、六ちゃんもいなくなり、全てをやり遂げた安ど感で、抜け殻のようになっていた。

 妻が客用のテーブルを拭きながら、

「そろそろ店を開けないと‥‥」

「だけど、年寄りのわしらだけでは、どうにもな‥‥」

「そうですね‥‥。あの日まで頑張れたのは、あの六ちゃんがいたから‥‥」

「あんないい青年は、めったにいないから‥‥」

 それでも、しばらくして夫が、一枚の紙を見せた。

「どうするんですか?」

「あの時のように、求人広告を出すのさ。六ちゃんが来た時のようにな」

 妻は笑顔でうなずいた。

 という訳で、店主は求人の広告を戸のガラスに貼った。

 妻は、神棚に向かって合掌し、

「六ちゃんみたいな人をお願いします」


 その夕方のこと‥‥

 店の戸を開けて、一人の男が入りながら、

「あの‥‥表の貼り紙、見たんですが‥‥」

 その男の顔を見て、店主は驚いた。

「あんた、六ちゃん‥‥」

「あらまあ‥‥。本当にソックリ‥‥」

 店主も笑顔でうなずき、

「じゃ、この店で働いてくれますか? あまり出せないけどね‥‥」

「はい、大丈夫です。宜しくお願いします」

 深く会釈した。

 そして翌日、その青年が持参した履歴書を見た主人は、

「なんと、アンタも六ちゃんじゃないか!」


 了

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