第8話 麻奈

 穢奈と朝子は斬り結びながら、絵奈の家のすぐ近くまで来ていた。

「絵奈さんの部屋に行ってみて。ご両親がたは寝込んだと聞いているんです。絵奈さんの部屋は手付かずで置いてあると思います」

 宵からの思念に応答し、朝子は絵奈の部屋へ向かった。

(見ないで!)

(……あんたには関係無いでしょう)

 穢奈が幾つも声の重なった叫びをあげる。

 絵奈の部屋は、生前のままだった。真新しい霊璽が机の上に置いてあるだけで、ハンガーにかけられたパーカーも、服も、そのままだった。

 綺麗に整頓された引き出しから、分厚い封筒が出てくる。

「内容は読まなくても良いから、手紙に込められた想いを共有して」

 宵が指示を出す。朝子は手紙をぎゅっと胸に抱きしめて、込められた想いを吸い出した。

(余計なことを!)

(あたしの手紙は、おねえちゃんにしか、見せないつもりなのに!)

(ですが、絵奈さんはこの件が元で、あんな目に遭われたのでしょう?)

 朝子は宵との思念共有を続けた。


 部員が酒を持ち込んだ打ち上げの日。

 マネージャーの麻奈は、止めようよと皆を諌めた。

 顧問は、笑って、バレなければいいんだよと言い切った。

 麻奈はジュースに酒を混ぜられて、飲まされた。

 かなり抵抗はしたけれど、その場の空気が、拒絶を許さなかった。

 初めての酒にグラグラして、気持ち悪かった。

 真っ直ぐに歩けない麻奈を心配して、顧問は帰り道、晶に女子寮まで送るよう命じた。

 晶は、快く引き受けて……帰路途中の公園で、麻奈を襲った。

 泥酔して自分に何が起きているか、麻奈には分からなかった。

 やがて飲酒パーティーが学校にバレ、麻奈は退学となった。

 晶は推薦は取り消されたが、卒業はできた。

 その後、麻奈は腹痛を訴えて入院した。

 知らないうちに、心当たりもないのに、妊娠していた。

 もともと生理不順だったので、気付かなかった。

 子宮外妊娠で、胎児も母体も手遅れだった。流産も卵管破裂も避けられなかった。

 麻奈は、出血性ショックで薄れゆく意識の中、養父母の罵倒を聞いていた。

 ……ああ、そういえば。泥酔して帰った日があった。あの時の記憶は残っていない。

 あの時、だろうか。一体、誰に。そんな確信と疑問を抱きつつ、この世を去った。

 入院中に、看護師さんにお願いして、双子の姉への遺書を代筆して貰って、遺して。


(状況は把握しました)

 朝子は穢奈に、手紙を丁寧に返した。

(貴女方は被害者だと思います。ですが、島に当たっても、恨みは消えないでしょう? 更に犠牲になった人たちから、負の感情の連鎖が起こります。どうぞお心の闇を祓ってお気持ちを安らかになさってください)

(あんたは、何もされていないから、よく言えるわよね)

 穢奈は噛み付いた。

(綺麗なまま死んで、誰にも穢されないで。婚約者の宵にも体を触られていないんでしょう? 何であたし達ばっかりこんな目に! あたし達が何をしたって言うのよ!)

 大鎌を振りかぶる穢奈。

 攻撃を躱しつつ、朝子は穢奈の懐に入る。

 最後の一撃は、敢えて避けなかった。大鎌は朝子を貫き、霊体が大きく歪んだ。

 大鎌から流れ出たケガレが朝子を黒く染めていく。

 しかし朝子は構わず、穢奈をぎゅっと抱きしめて、囁いた。

(お辛いでしょう。助けられなくてごめんなさい。穢奈、貴女のお心の闇、祓わせて頂きます)

(触るな! 何をするつもりよ……!)

 宵が神殿で祭詞を唱えた。

 魂の絆で繋がっている朝子に、祭詞が流れ込んでくる。

 朝子は、穢奈をぎゅうっと抱きしめ続けた。目を閉じると、彦山に誤って迷い込んで帰って来なかった故母を思い出す。山狩りに参加して道に迷い、此方も誤って媛山に入り込んで命を落とした故父のことも。生前の両親の存在はあたたかい思い出で、その想いが今、朝子を満たしていた。

(私達に貴女達のケガレを全て移して。私達がそれを流します。私達は流し雛。災厄を全てこの身に移して流すのが役割です)

 大鎌が、カランと落ちた。

(うわあああ、あああああん!)

 穢奈は朝子に抱きしめられて、まるで小さな子供のように声をあげて泣いた。徐々に徐々に、髪と服の色が薄くなっていった。朝子は穢奈の感じてきた辛さを全て引き受けた。引き裂かれた心、体がよじれる程の身体的苦痛、やがて訪れる死……その全てを受け入れた。

「怨霊の御心を鎮め給え。悲しき最期を迎えた皆に、安寧の時間を」

 宵の祭詞が聞こえてくる。神社からここまでは遠い筈なのに。

「この家を守って、絵奈さん。麻奈さん。生まれられなかった坊やも。皆様は、今後、神和住家の守護者となるのですから」

 宵の声が響いてくる。

 朝子の腕の中で、穢奈はゆっくりと消え、やがて涙をすする絵奈と麻奈、そして亡くなった胎児の魂が空中に浮かんでいた。

「麻奈さんと赤ちゃんの霊璽も必要ですね。直ぐに神葬式を行えるよう、代理宮司の権正階に伝えておきます。有難う、朝子さん。お疲れ様でした」

 朝子はケガレに塗れた姿でゆっくりと微笑んだ。穢奈に貰った痛みを押し殺して。

 そして、島を囲う海の東海岸へと向かった。

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