おでんよ、豊かなれ

@Fushikian

令和3年師走

 吉田満男は朝が早い。なぜなら清掃員だから。早朝というより、未明というほうがしっくりくる。午前3時に起きて4時には職場に向かう。5時前に清掃現場であるショッピングモールに入る。主に従業員が使う部屋を担当している。もうこの仕事に就いて7年を数える。入る現場も実質固定状態だから、作業手順はすべて頭に入っている。いや、体が考えずとも自然に動くといえるだろう。

 

 従業員食堂は社員が大勢出入りする。彼らのうちの数人が意識を向ける場所を確実に潰す。窓の桟、柱の左右など細かい箇所である。トイレではトイレットペーパーが切れないように気をつける。いくつかのポイントを押さえればそれほどのプレッシャーを感じはしない。

 

 「ルーティンワークとはこのことか」

 吉田は可もなく不可もなく仕事と向き合ってきた。が、昨年から状況が変わった。WHOがいうところのCovid19ウィルス、つまりコロナウィルスが居座り続けたからである。コロナ禍初期のころ、職場の緊張状態は極度に達した。辞める従業員も相次いだ。消毒用エタノールが枯渇したことは火に油を注ぐような事態を招いた。

 

 これが台風の目なのか、再びの嵐の前の静けさなのか、それはわからないが、この令和3年の師走、コロナ感染は低い数値で推移している。清掃現場へのアルコールの供給も滞りない。

 

 吉田は独り身である。食事はコンビニ弁当や、カップ麺で済ますことが多い。それでも冬は食事の楽しみがあった。コンビニで手に入るおでんである。おでんの温かさはカップ麺のそれとは違う、と吉田は思っていた。コンビニの店員が具材を煮込んだり、補充したりと人の手が入った貴重なしろものだと考えていた。

 

 今冬は何かおかしい。冬のコンビニは中に入るとおでんの香りがするはずだが、それがない。吉田は異変に気付いた。レジ近くを見てもおでんなべがない。2軒目、やはりない。3軒目で店員に吉田はなぜおでんがないのか尋ねた。

 

 「コロナですよ。やっぱりやばそうですからね」

 疫病の影響はこんなところにも出ていた。吉田は学生街のコンビニに入ってみた。中に入るともはや懐かしいといえるにおいをかいだ。真っ先にレジの前に目を向ける。おでんなべが鎮座している。手書きのボードが掲げられている。

 

 ≪おでんやってます。御用の方は店員にお申し付け下さい≫

 吉田はやっとおでんに巡り合えた。大根、タコ串、たまご、つみれ、いか巻き・・・・・椀のなかは満たされていく。やっと手に入れたおでんを抱えて、心までホカホカとしてくるような気がした。部屋に着いてテーブルのノートパソコンを開ける。証券会社のホームページにアクセスする。保有する株のチェックを始めた。そしてあつあつの大根をほおばる。

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