滅国の姫君にアマレの花束を

坂合奏

第1話 国を失った姫君

1

「マーレ嬢。私の妻になってくれないか?」


 人生初のプロポーズは、食事をしている最中だった。

 飲みかけのワインを危うく吹き出しそうになり、私は慌てて飲み込んだ。

 私にプロポーズした男、アルベルト・レックス公爵は、まだ出会って数時間の仲である。

 切長の瞳が、私を捉えて離さない。

 いや、私が彼から視線を外すことができないだけかもしれない。

 彼が私にプロポーズしているのは、もちろん、私を愛しているからというわけではない。


 時は遡ること数時間前。


 私の住んでいる教会は崖の上にある。

 かじかんだ手に口から息を吹きかけながら、崖に面した庭とも呼べない小さなスペースに出て、外を眺めていた。


 肩まで伸びた黒髪が風に揺れる。

 こんなことなら、お気に入りの緑色のリボンで髪の毛を結んで来ればよかったと私は後悔した。


 雪虫が大量に飛んでいる年は、雪が多く降るらしい。

 灰色に淀んだ雲から、今にも雪が降り出しそうだった。

 身体中を包み込む潮風が、海猫の鳴き声と崖の下に押し寄せては引いていく波の音と混じり合っていく。


 海風によって寂れてきている教会の壁を、私はゆっくりと撫でた。

 元々は真っ白だった木の壁は、所々剥げてしまって茶色い木目が見えてしまっていた。

 きっと、今年の冬は雪がたくさん降って、凍てつくような寒さになるだろう。


 私が移民としてイージェス王国に来たのは、数年前のこと。

 それまで、私は滅亡したと言われるナタリア王国の姫君だったらしい。

 らしいというのは、ナタリア王国が消えたのは、私が幼い時のことなのであまり記憶に残っていないのだ。

 大粒の雪の塊が、祖国ナタリア王国を白く塗っていく中、人々の悲鳴と炎の海だけが、私の脳裏に焼き付いている。


 そこでいつも記憶が途切れてしまう。

 大切な家族のことを忘れたくなくて、私はよく一人で思い出す練習をするのだが、最近は上手く行くことの方が少ない。


 私には、父がいて、母がいて、兄がいた。

 それだけは覚えている。

 ぼんやりとした輪郭の中に確かにそこには私の家族の顔があるはずなのに、もやがかかってはっきりと見ることができないのだ。


 私は、十五歳ほど年の離れた従者のラディーレとともに生活を送っていた。

 私にとって、ラディーレは従者であり、父親のような存在だ。


 後ろで一つに結んでいる栗色の髪の毛は、ここ数年で白髪が増えた。

 

 ナタリア王国から命からがら亡命してきた私とラディーレは、ナタリア王国の南にあるイージェス王国の国境付近にある教会で匿われた。

 いつの間に持ってきたのか、ラディーレは城の宝石を神父に差し出し匿ってもらえるよう願ったが、神父は宝石を受け取らず優しく迎え入れた。


 行くあても帰る場所もない私とラディーレは、教会の人間として生きていくことを誓った。

 神父が病気で死んでからは、ラディーレが持ち出してきた宝石を売ったり、神父として仕事をしたりしながら細々と生計を立てている。

 人当たりの良いラディーレは神父として、よく働いていた。


 私は、顔が割れている可能性があるので、外には出ないようにとラディーレに言われている。

 

「いいですか、マーレ様。ナタリア王国の生き残りが見つかったら、どんな目にあうか分かったものではありません。決して外には出ないように」


 私が外に出て許されるのは、教会の裏口にある海辺に面した狭い庭だけだ。

 晴れた日は、太陽にあたりたくなって、日光を肌に擦り込ませるように全身をさすりながら光を浴びる。

 それでも外に出ていられる時間は限られているので、私の肌は雪のように真っ白だ。


 その日は、朝から不運が続いていた。

 お気に入りのミルクピッチャーが割れてミルクが漏れ、床を掃除しなければならなかったし、大好きな太陽の光は、大きな白いもやに隠されて、教会の窓に光を差し込むことを忘れてしまっているようだった。


「なんだか嫌な予感がする」


 私がぼそりと呟くと、ラディーレは「大丈夫ですよ」と割れたミルクピッチャーの欠片がもう床に残っていないか丁寧に探していた。


 ラディーレが近所の人間から聞いた情報によると、最近、密入国者が増えているようで、王宮の騎士団が捕まえにきているらしい。

 この国で生まれた時にイージェス王国が発行している国民証明書を持たない私たちが、騎士団に見つかってしまったら一巻の終わりだ。


 国境付近は、密入国者が多かったようで、大切な人が騎士団に連れて行かれてしまったと、神父であるラディーレに相談に来る人が増えたようだ。


「大丈夫だとは思いますが、誰かが来ても絶対に外に出てはなりませんよ」


 毎回お決まりの約束の言葉を残し、ラディーレは新しいミルクピッチャーを買いに、外に出て行ってしまった。

 私は、ラディーレの約束を忠実に守り、たとえ教会に仕事を持ってくるような大切なお客様だとしても、決して外には出なかった。


 数時間も経たないうちに、ノックの音もせずに部屋のドアがあいたので、私はてっきりラディーレが帰ってきたのだと思い、部屋から顔を出してしまった。

 しまった。と思った時には、もう遅かった。


「ここに移民が住んでいるという証言は取れている。我々と同行してもらおうか」


 威圧的な態度で私に対してすごむ騎士団の男達が、今、私の目の前に立っている。


「あの……」


「言葉が分からないのか?」


 男たちが話しているイージェス語は、六歳の頃から聴き慣れた言葉だ。

 理解できないはずがない。


 ラディーレは一体どこに消えてしまったのだろう。もう騎士団の人間に捕まってしまったのだろうか。

 そんなことを考えていると、部屋の中の数少ない荷物はあっさりと漁られて、身ぐるみひとつで教会の外に出されてしまった。


 上着を着ることも許されず、冷たい海風が私の身体に吹きつけた。


「上官!部屋の中にこんなものが!」


 騎士団の男の手にあったのは、私の母が私に授けたと言われる大きな黄金色の石だった。

 私はその石のことを覚えていなかったし、そんなに価値も感じていなかったが、男たちはそうではなかったようだった。


「貴様!この石をどこで手に入れた!」


 乱暴に扱う手は、微塵も私に敬意を感じられなかった。

 こんな貧相な暮らしをしていても、私はナタリア王国の姫であるという自覚をラディーレに忘れないよう厳しく躾けられていた。

 口を噤むマーレに苛立った騎士団たちが、「口を割らないなら……!」と拳を振り上げた時だった。


「やめないか!」


 一人の男の声が、私の頭上から聞こえた。


「その石をこちらへ」


 馬の上に乗った男の顔を見上げないまま、私は男の声をぼんやりとした頭で聞いた。


「アルベルト様。こちらです。なぜこのような物を、この娘が持っていたのか」


「ウータルデ火山の黄金石……こんな大きな結晶体は初めてだ」


 アルベルトと呼ばれた男は、しばらく黙ってその石を眺めていた。

 母の唯一の形見である石を、この男たちは一体どうするつもりなのだろうか。


「そこの娘。私の部下が手荒な真似をしたな。申し訳なかった。イージェス語は理解できているのだろうか?」


 馬から降りたアルベルトが、私を押さえつけていた騎士団の男たちの手を離させ、丁寧な物腰で尋ねた。


「ええ。理解することができます」


 その時、初めて私は顔を上げた。

 切長の瞳は紫色に輝いており、まるで宝石のようだ。

 ストレートの短い髪の毛が、彼が動くたびにサラリと揺れる。


「フォルティス将軍!」


 アルベルトが名前を呼ぶと、近くの家の前で指揮を取っていた長髪で髭を生やした男が、アルベルトの方へと向かってきた。


「どうされました?」


「この娘を我が屋敷へ連れていけ」


「移民の娘をですか?」


 フォルティス将軍と呼ばれた男は、驚いたような表情を浮かべた後、怪訝そうな顔を私に向けた。

 いくらラディーレが、私がナタリア王国という国姫だと主張しても、ぼろぼろになった布を継ぎ接ぎしてきている衣服を纏った娘マーレは、流れ者の移民にしか見えない。

 見るからに高貴な身分であろうとわかるアルベルトの屋敷に連れて行くには、そっちの目的だとしても、あまり好ましい判断とは言えないだろう。


「ああ、そうだ。暖かいスープを出して丁重にもてなすようにメイドに指示をしろ。私は、少し用事を済ませてから屋敷へ戻る。残りの流れ者は全て回収しておけよ」


 まくし立てるような口調で言うと、アルベルトは母の形見の石を持ったまま、馬に乗ってその場から去って行ってしまった。

 私は、母の形見を取られたことよりも、ラディーレが無事か心配だった。

 彼だけは、どうか無事であってほしい。


「行きましょう」


 私の心配など関係ないフォルティス将軍は、上司の命令をしっかりと遂行するために、私を知らないどこかへと連れて行った。

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