第69話 教員室



学舎の一階には教員が待機できる広い部屋が置かれている。

室内には個人が使用する簡素な机と椅子が並べられ、奥にはソファー二台と簡易的な調理台が設置されている教員専用の休憩室のようなものだ。

授業を終えた教員は学校の敷地内にある教員用の寮へ戻るのだが、一年を担当する教員に関しては夕刻から基礎体力訓練が残っているので、大抵時間までこの部屋で待機していることが多い。

なので、顔も身体も無骨だが心根は優しい教員達は何か質問や悩みがあればいつでも訪ねて来て良いと生徒には言ってはある。

だが、実際に教員室を訪れる生徒は年に一人か二人、支援家族制度を利用していない者くらいだ。


そんな年に一人か二人の貴重な生徒の訪問。



「階級について俺に訊かれてもなぁ……」


入学して半年で教員室に駆け込んできた生徒達と向かい合いながら、ハリソンは無精髭を撫でた。

特別クラスのセレスティーア、シルヴィオ、セヴェリーノの三人は支援家族を必要とせず、驚くほど早く軍学校の生活に適応した子供達だ。

悩み……ナニソレ?と鼻で笑いそうな三人組が何をしに此処へ来たのかと思えば、アイヴァン・ツェリの階級についてのようだ。


「説明したところで理解する気はあるのか?」


力強く頷く三人は説明するまでこの場を離れないつもりだろう。

ハリソンは頬を掻きながら砦がある方角へと顔を向け、孫娘に事前に色々吹き込んでいたくせに所々抜けがあるってどういうことだ……!と尊敬してやまない元帥に心の中で愚痴ったあと、深く息を吐き出した。


「端的に言うのであれば、貴族主体の騎士団のトップであった元騎士団長様に軍部の役職を与えるわけにはいかない」

「凄く端的ですね」

「分かりやすくて良いだろうが」

「理由は?」

「理由か……」


ハリソンはだらしなく椅子に凭れかかっていた身体を起し、真剣に話を聞く三人に薄気味の悪い笑みを向けた。


「元お偉いさんだからって、軍では何の実績も功績もない奴に階級なんて与えるわけがないだろうが。騎士がどれだけ偉いか?そんなの知らねぇよ。こっちは戦場で地べた這いずって日々命懸けで戦ってんだ。戦場から一番遠い温い環境に居た奴にそんな簡単に階級なんて与えてみろ?死んだ奴や身体の欠損、精神を病んで引退した仲間達を冒涜することになるだろうが」


この三人がこのまま軍人という道に進むのであれば、確実に戦場で指揮を執る階級にまで直ぐに上がってしまうだろう。

軍学校に通っているとはいえ、今はまだ一般人と変わらないただの生徒なので、街の外へ演習や遠征に出るときには危険がないよう配慮されているから気楽なものだが、軍人になれば新人だからと関係なく激しい戦場に身を置き、数時間前まで軽口を叩いていた友人達がこと切れる姿を目にし、ドッグタグを握り締めながら無力感に苛まれることになる。

階級が上がれば上がるほど精神を病むようになるのだが……その辺は軍人になってから色々説明や講習を受けるだろうと、ハリソンは余計なことを言う前に口を噤んだ。


「それにな、軍人時代に幹部クラスだった人ですら此処ではただの教員だぞ?」

「教員をされているのですか……」

「クラスを任されている担当教員は上の階級がほとんどだ」

「もしかして、ハリソン教員も幹部クラスだったのですか?」

「もしかしてという言葉が物凄く胸に刺さるが、その質問には答えられない。現役時もそうだが、退役したあとも内部の事は勿論、自身の事についても口外禁止だ」

「階級も?」

「たかが階級だと思うだろうが、それが一番マズイ。階級が高い奴ほど機密情報が頭の中に入っているから敵に狙われる。現役の軍人を捕まえるより、退役した元軍人を連れ去るほうが楽だし発覚が遅れる。拷問されても絶対に情報を吐かない自信はあるが、家族や恋人、友人に手を出されたらその自信は簡単に揺らぐ。だから、そうならないよう自分の為にも軍人だったことすら口外しないほうが良い」

「軍学校での事も口にしないほうが良いのですか?」

「今はまだ特別なことはしていないからそういった話はされないが、クラス編成のない三年目からは口外禁止の念書を書かされることもある」


軍人とは違いこれといった罰則のないかなり緩いものだが。


「話を戻すぞ。アイヴァン・ツェリに階級を与えない理由だったな」

「それは、もう先程教えていただきました。軍人に対しての冒涜であり、軍学校では皆ただの教員だと」


首を傾げるセレスティーアに二度ほど頷いたハリソンは、椅子の背凭れに再度身体を預け「ソレは俺の私情をふんだんに混ぜた憶測だ」としれっと口にした。


「……は?」

「えー……」

「私情……」

「おい、三人揃って睨むな。別に間違ったことは言ってないだろうが」


こいつら息がぴったりだな……と胡乱な目を向ける三人を眺めながら、ハリソンは「んー」と小さく唸る。


「そもそもあの有名な元騎士団長様にどの階級を与えるんだ?」

「大将とはいかなくても、幹部クラスでは?」

「幹部クラスねぇ……だったら、騎士団でそれなりの地位に就いていた者達は此処へ来たら皆いきなり幹部クラスになると」

「それは……」

「此処の共同領主でフィルデ元帥の友人であるから。だから、アイヴァン・ツェリだけは特別扱いだと言って納得する者もいれば、それを逆手に取る者もいる。誰がどう思おうと関係なく、元騎士団長に幹部クラスでなくても階級を与えられたということが問題になることがある。様々な憶測や、簡単に階級が手に入るといった馬鹿げた噂が広まれば、老獪な貴族達が旨味を求めて後継者ではない息子を軍に放して裏から干渉してくるぞ」

「旨味ですか……?」

「予算、武器類の横流し、騎士団とはまた違った組織や派閥での癒着……挙げたら切りがない」

「だとしたら今迄にもそういった介入があったのでは?」

「あのな、軍は無法地帯と言ったら言い方は悪いが、大多数が平民、それと少数の下級貴族という形で構成された機関だ。大抵の貴族は軍人を軽視し関わることを嫌う傾向にある。だからこそ今迄貴族の介入は一切なかったんだが……まぁ、これに関しては軍のトップにフィルデ・ロティシュが座って居たというのが一番でかいな」

「では、軍部はツェリ様を足掛かりに貴族が入ってくることを危惧しているのでしょうか?」

「さぁ?上が何を考えているのかなんてただの教員にはさっぱりだ。だから初めに言っただろ。全てを考慮した結果が端的に言ったアレだ」

「結局、理由は分からないと」

「知りたければ軍人になって幹部クラスまで上がれ。そんで、俺に教えてくれ」

「口外禁止ですが?」


残念そうなシルヴィオに軍に入れと助言すれば、すかさずセヴェリーノから指摘が飛んでくる。良いコンビだと笑いながら、ハリソンは急に黙ったセレスティーアにそろりと視線を移した。


「おい、お前が黙っていると怖いから止めろ」

「どういう意味ですか」

「どうもこうも、そのままの意味だ……で?」


何を考えているのかと促したのだが。


「いえ、ツェリ様の採用理由を、少し……」


ハリソンは一度指で耳をほじったあと「なんて?」と訊き返していた。

どこまで深く掘り下げる気だ、こいつら。


「……待て、次はソレなのか?」

「先程のように何故、どうしてと幼子のように訊いたりしません。ただ、御爺様のように隠居する場所に此処を選んだ理由がありそうだと思っただけです」

「あぁ……」

「先月開かれた講習で年々軍人が減っているというお話をされていましたよね?御爺様も人が足りていないと口にしていたことがあるのです」

「あー、辛く厳しいだけの夢のない軍人って職に就きたがる奴は少ないな。だが、それでも生活の為に毎年一定数は入ってくる。問題なのは、その数を上回るほど出ていく人数が多いことだ。怪我や精神的な病で若くして退役せざるを得ない奴等が後を絶たない。常に人を補充できない所為で一人の負担も多く、拍車がかかっている」


幹部クラスは一斉に世代交代する筈だったのだが、それができず老人達が今も尚現役で踏ん張っている状況だ。


「だとしたら、ツェリ様を軍の看板として招き入れたのではないでしょうか?」

「お前の口からは何が飛び出すのか全く予想がつかないな」


何言ってんのこいつ……?と呆れながらセレスティーアを見ると、本人は至極真面目な顔でうんうん頷いている。


「看板って、あの看板か?」

「看板は看板です。商売で人を惹き付ける為に使われているアレです」

「憧れている人間を看板扱いするか……?」

「貴族、平民問わずあの方に憧れている者は多いので、ツェリ様を使って軍学校の生徒を増やす算段なのではないかと。貴族の次男や三男は騎士になる者が多いので、ツェリ様が持つコネや推薦目当てに王都の学園ではなく軍学校を選ぶ者も一定数はいるのではないかと。此処にも二人ほど釣られた者がいますし」

「釣られたね」

「釣られました」


シルヴィオとセヴェリーノも確かにそうだと頷き「看板だ」と口にしている。

軍学校の顔とか旗とか他にもっと良い言い方があるだろうに……。


「今年入ってきた貴族は例年の倍だったか……来年以降は更に増えるだろうし、あながちソレも間違いではないかもしれないな」

「でも、ツェリ家は此処の共同領主でもあるのだから、何の思惑もなくただ引退後に領地に貢献しているだけかもしれないよね?」


何だその人の理想を詰め込んだような人間は、そんな奴は居たとしても認めない。

シルヴィオにそれはないと首を左右に振って見せたあと、ハリソンは同僚が口にしていた言葉をふと思い出した。


「あの人の剣が騎士特有のお綺麗なものじゃないから採用されたって言っている奴がいたんだよな……」

「舞のような美しい剣術でしたが?」


ほうっと小さく感嘆の溜息を吐くセレスティーアの姿に、空耳かと自身の耳を疑っていたハリソンは目を見開いた。


「いや……は?美しい舞?俺が聞いたのはかなりえげつない、相当性格が悪いと思わせるようなものだったが……」

「誰かと勘違いをしているのでは?例えばニック大佐とか」


そこでニックの名を出すのだから、セレスティーアから見てもあいつは相当えげつない男なのだろう。大丈夫、間違ってはいない。


「いやいや、ソレに関しては同意できないからな。フィルデ元帥だって質が悪いと言っていたくらいだ」

「御爺様はツェリ様をあまり褒めませんから」

「それはそうだが、騎士団長なんて長年勤められる人だぞ?」

「騎士は皆内面が優れていると聞くよね?」

「そんなわけあるか!偶に王都で顔を合わせると絶対に掴み合いになるぞ!?」

「どちらが勝つのですか?」

「セヴェリーノ、それは今重要なのか……」


首を傾げ不思議そうな顔をする三人は貴族なだけあって騎士は高潔なものというイメージを持っているのだろうが、軍人も騎士も中身なんて一緒で、口汚く罵るのか遠回しに罵るのかの差でしかなく、そのあとは拳で話し合いだ。

どうせ説明しても信じないだろうと、ハリソンは話題を変えることにした。


「質問には答えたから、今度は俺のお願いを聞く番だな」

「脈絡がありません」


両手を合わせて可愛らしく頼むと、セヴェリーノにバッサリと切られた。

だが、これしきのことで挫けるような男ではない。


「そろそろビリー達以外にも目を向けてやってくれないか?」


そのまま話を続ければ三人から一斉に溜息を吐かれた。



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