第70話 素質


「意味が分からないのですが……」

「ビリー以外……?」

「具体的に誰のことを指して仰っているのでしょうか?」


心底迷惑だという顔をするわりには話を聞く気があるらしい。

コレはいける……!と、テーブルの隅に常時置かれている菓子を三人に差し出した。手元に肉がないので仕方なく菓子にしてみたが賄賂としては薄かったのか、セレスティーアは菓子を一瞥しただけで興味なさそうに話の続きを促してくる。


「同じクラスのフィン・スコットのことだ」

「フィン……フィン……んー、セヴェリ?」

「私も知りません」

「お前達な……」


半年以上も一緒に授業を受けてきた仲間だというのに、悪びれることなく知らないと口にしたシルヴィオとセヴェリーノにハリソンは両手で顔を覆った。

セヴェリーノは兎も角、シルヴィオは誰とでも気さくに話している姿をよく目にしていただけに驚きも一入だ。


「確か、窓際の席で本を読んでいる大人しい少年だ」


まさかフィンの姿形から説明するとは思っていなかったハリソンは、セレスティーアがフィンを認識していたことに心底ほっとした。


「窓際の……?ビリー達以外は皆大人しいから分からないや。興味もないしね」

「そういった者は人と関わることを避けている傾向にあるので、寧ろそっとしておくべきではありませんか?」

「……セレスティーア」

「この二人は無視してください。それで、フィンに何か?」


毒舌や辛辣の他に、最近では暴君と呼称が増えたらしいセレスティーアだが、ハリソンにしてみれば助けを求めれば応えてくれる頼もしい生徒だ。

なので、賄賂である菓子をもう一つセレスティーアに献上しつつ、小さく溜息を吐いて眉を下げ、凄く、物凄く困っていますという風を装う。



「フィンの親父さん東にあるレクイ砦の大佐なんだよ。貴族なのに豪快で分け隔てなく面倒見が良いから周囲から慕われている人なんだが、その息子であるフィンは親父さんに似なかったらしく極度の人見知りでな。担当教員である俺ですらまだ二度くらいしかフィンの声を聞いたことがない!」

「胸を張って言わないでください」

「頼む、一度……とは言わず、鬱陶しいと思われるくらい話しかけてやってくれないか?」

「それはただの嫌がらせになるのでは?それに、私が話し掛けたところでどうにかなるものではないと思いますが」

「どうにかなる。あのフィルデ・ロティシュの孫で、その容姿だぞ?しかも、最短で基礎体力と試験の合格をもぎ取って剣術訓練に入った猛者でもある。大抵の男は嫌悪するか憧れるかのどちらかだな」

「嫌悪されていた場合は?」

「それはそれで会話さえ続けばどうとでもなるだろ。あの初日から問題を起こしたビリーお坊ちゃまを調教して従順にしたセレスティーアならできる。いや、できなきゃ困るんだよ……来年はとんでもなく扱いづらい大物が入ってくるだろうからな」


俺が担当教員でなくて良かったと初めて神に感謝したくらいだ。


「上級貴族ですか?」

「まだ確定ではないから詳しくは言えない……が、ソレもセレスティーアに頼むことになるだろうな」


ギュッと眉根を寄せるセレスティーアを窺いながら、報酬と謝罪を込めたトーラスでは高級な部類の箱菓子をそのまま丸ごと先に渡した菓子の横にそっと置く。


「ロティシュという名を都合よく使いすぎでは?」

「ロティシュだからじゃない。ニックがセレスティーアはとても優秀だと褒めていたからだ」

「そうですね、ニック大佐からは優秀な下僕だとよく褒められていました」

「……」

「そんな顔をされなくても、フィンとは一度話をしてみます」

「ただ大人しいだけで悪い奴じゃないから、よろしく頼むよ」

「それと……」


やっと肩の荷が下りると両腕を上げ身体を伸ばしたハリソンは、少し言いにくそうに言葉を続けるセレスティーアに頷きつつあとで肉でも女子寮に差し入れるかと財布を取り出し……。


「先程から口にされている調教がどうのというのは、周囲に色々と勘違いされるので止めてください」

「嘘だろ、自覚なしか……」


手からテーブルへと落ちた財布からコインが盛大に散らばり足元へ落ちていくがそれどころではない。


「勘違いではないと思うよ?」

「最早才能です」


彼女の言葉に驚いたのはハリソンだけでなく、静かに黙って聞いていたシルヴィオとセヴェリーノも何とも言えない顔をしてセレスティーアを見つめ、余計なことを口から零している。

殺気や脅し文句の一つは飛んでくると思っていたのだが、無言のままゆっくりと口角を上げるセレスティーアにコレはマズイと本能で察した三人はすぐに動いた。


「さて、そろそろ基礎体力訓練の時間だ。俺も準備があるからな、もう行け」

「そうですね、時間がないので急がなくては」

「菓子は、私達の分もセレスに譲ろう」


ハリソンが教員室の扉を開き、シルヴィオは座って居るセレスの腕を優しく掴み立たせ、セヴェリーノはセレスティーアの両手に菓子を乗せそっと背を押す。

愛想笑いを浮かべる男三人に緩く首を左右に振ったセレスティーアはそのまま部屋から出て行った。




「肉は質より量にするべきだな……」


扉を閉めノロノロとソファーに戻って来たハリソンはそのまま身体を横に倒し、部屋の隅へ向けて恨みがましい声を上げた。


「傍観してないで助けてくださいよ」

「助けが必要なことがあったかしら?」


大きな窓がある風当たりの良い場所に置かれたハリソンの背丈ほどある観葉植物の影、そこには小さな机と椅子が一つ置かれている。扉からは死角となり気付かれにくいその場所に座り黙々と仕事を捌いていた女性は、後輩の愚痴に対して楽し気に笑いながら手元の書類を束ねて席を立った。


「アイヴァン・ツェリを採用したのは元帥とエイダさんなんだから、俺より詳しく説明できるじゃないですか」

「あの子達の担当教員は私じゃないもの」


お前の仕事だと遠回しに言われたハリソンは背を向けて紅茶を入れるエイダに向かって菓子を投げつけたが、背中に当たることなくあっさりと手で掴まれてしまう。

最上級生を専門で担当しているベテラン教員であるエイダも退役した元軍人で、現役時はフィルデ・ロティシュの副官を務めていた女性である。


「上手く説明できていたわよ。まぁ、一つ付け加えるなら、軍の階級は優秀さを表すものではなく、責任や仕事量、睡眠時間の短さを示すものよ」

「身も蓋もねぇ……」

「元帥や幹部クラスなんて望んでなるものじゃないわ。昇進を告げられた者達は軒並み死人のような目で敬礼しているじゃない。あんなの目の前にお金を積まれてもお断りよ」


その幹部クラスの席に長年座っていた女性が言うのだから言葉に重みがある。

向かいのソファーに座り紅茶を啜るエイダを横目に、ハリソンは指で目元を押さえ苦笑した。


「貴方も、本当だったら今頃は幹部クラスだったのよ」

「ですね」


他人事のように返事をするハリソンをエイダは一瞥し、温かいタオルをハリソンの顔に向かって放りなげた。


「っぶ……!?」

「左目、痛むのでしょ?温めておきなさい」



年々視力が落ちていく左目はもう色別すらできずぼんやりと影を映すのみ。

どうせなら一気に見えなくなってくれれば期待や希望すら持たず未練なく軍とは違った道を歩めるというのに……。


「今の騎士団長はアイヴァン・ツェリの補佐をしていたおっさんですよね」

「貴族をおっさん呼びしないの」

「騎士団も人材不足なんですかね?」

「侯爵は次代が育つまでの代理でしょ。あちらは優秀でも若すぎると侮られるから。本命は、王太子殿下の護衛騎士に就いているアルトリード・セーブルね。殿下が国王となったときに同時に騎士団長に就任すると思うわ」

「次代を育てる時間と人材に余裕がある騎士団は安泰ですね……クソ腹が立つ」

「フィルデ様に憧れて軍人になる者だって沢山いるわ」

「当然でしょ。あの人になら手放しで命を預けられるし、あの人の代わりに死んだって良い」

「それでも人が足りていないのは貴方があの子達に説明していたように、居なくなる人数が入って来る人数を上回っているからよね」


だからこそ、少しでも彼の重荷を減らせるようにハリソンだけでなくランシーン砦に居る者達は皆努力を重ねてきた。


「肩書を背負える人は?」

「西の偏屈か東の御仁ね。でも、どちらも既に断ったらしいの。仕事だけなら幾らでも引き受けるが、元帥にはなれないって」

「元帥はフィルデ・ロティシュの別名みたいなものになっているからな……」

「それに、他人を統率する能力や魅力を持つ人間なんてそうはいないのよ。だからこそ、セレスティーア嬢が跡継ぎなのが惜しいわ」


小さく舌打ちするエルダに同意するようにハリソンは頷く。

あの祖父と孫は外見もそうだが、兎に角中身がソックリなのだ。


「素質は十分なんだけどな」


軍人になるつもりはないとハッキリ口にしている少女の意思は固く、実家である伯爵家も流石にそこまで許しはしないだろう。


残念だ……とハリソンとエイダは肩を落とし、それぞれの仕事へと戻って行った。




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