第60話 初めて


シュガーポットにティースプーンを入れ、砂糖が塗された薔薇の花びらを掬う。


砂糖で漬けた食用の花は見目が良く口に入れたときの食感が貴婦人方に好まれ、王都で人気があるのだと乳母が用意させた物。この砂糖漬けの本来の用途は菓子としてそのまま口に入れる物なのだが、私は敢えて婚約者の前に置かれているハーブティーへと掬った花びらを入れた。


「数年ぶりにお会いするので、何から話そうかと色々と考えていたのですが、まさか義妹のことで口論になるとは……想定外です」


態とらしく肩を竦めながらもティースプーンを持つ右手はシュガーポットへ動き、スプーンの上に盛られた花びらを再びハーブティーへ落とす。


――ポチャン……。


「口を挟まないようにと突き放すことは簡単ですが、それだとフロイド様とはまともに会話ができそうにないので、先ずはミラベルのことから片付けましょうか……?」


花びらをカップに落とすたびに鳴る水音に耳を澄ませ、婚約者ではなくスプーンから落ちていく花びらを眺めながら言葉を紡ぐ。


「お父様の再婚は婚姻を解消する前提での契約結婚です。実際に、書類上は伯爵家の養女となっているミラベルに相続や爵位に付随する権利は一切ありません。それに、義母や義妹は元々一代限りの新興貴族でしたので既に爵位はなく平民ですが、お父様は亡き親友に代わって有り余るほどの贅沢をさせています。ですが、それでも伯爵家の娘である私と同じ扱いを受けることはなく、前当主である御爺様との夕食の席には呼ばれることはありません」


――ポチャン……。


「それなのに、昨夜の夕食の席にミラベルは現れ、契約結婚であっても家族なのだからと主張していました……あまりにも傲慢でしたので」


――ポチャン、ポチャン……。


「貴方は家族ではないと諭しました」


カップの中で積み上がった花びらはハーブティーと一緒にソーサーに流れ落ちていく。


「それと、ミラベルの専属侍女を解雇した理由ですが、前当主と次期当主を出迎えるという何よりも優先される職務を放棄した無能な者達でしたので、即刻解雇を言い渡しました。彼女達は以前から問題もあったようなので、そのような者達を我が家で雇っておくわけにはいきませんでしょう?」


カップにティースプーンが触れないよう軽く前後させて混ぜたあと、最早ハーブティーではなくなった飲み物から顔を上げ、「どうぞ?」と無言のままカップを凝視している婚約者に向かってそっとソーサーを指で押した。


「そんなに義妹のことを気に掛けているのであれば、いっそ婚約者を代えてはいかがですか?」


まだ仮婚約の段階なのだからそれも可能。

侯爵家は継げないが、宰相様の養子となれば爵位も得てミラベルと何の憂いもなく婚姻できるだろう。良い案だと思ったのだが、勢いよく顔を上げ奇妙なものを見るような目をする婚約者に首を傾げた。


「それは、婚約を破棄しろと?」

「そのほうがよろしいのではないかと」

「どうして……ミラベルは幼馴染で妹のような人だよ?それに、私達の婚約は政治的な意味を持つものであって、簡単に婚約を解消出来るようなものではないし、許されるわけがない」

「その政治的な婚姻の中身をお聞きになっていますか?」

「叔父上から話を伺っている。確か、他国と揉めている鉱山関連だと……」

「国境沿いにある鉱山を巡ってスレイランとドルチェの二国と争っている最中ですが、その鉱山で希少な金属が採れることが分かり、最も信頼の厚い三家が国王陛下の指示で発掘作業を行っています。そして、他二国も同じように採掘作業を行っているという情報がはいっています」

「……随分と詳しいのだね」

「三年も国境沿いにあるランシーン砦に居ましたから」

「そう、だったね」

「これから数十年と採掘を進めていくのであれば婚姻によって縁を深める必要があると判断され、歳が近い子供が居るロティシュ家とアームル家が打診を受けましたが、それが必ずしも私とフロイド様である必要はないのです」

「でも、他に歳が近い子息は……」

「本当に居ませんか?」

「……」

「侯爵家の跡継ぎであるフロイド様のお兄様は昨年ツェリ家の遠縁の家のご令嬢を奥様に迎えたとお聞きしました。それでしたら、あとは私が王族のどなたかと婚姻すれば、ほら、完璧でしょう?」

「君は、私と離れている間にそのようなことを考えて……」

「何故そのように酷く傷つかれたお顔をされるのですか?碌な会話もなく視線すら合わせたくない婚約者から離れられるというのに」

「セレスティーア……」

「本当は音楽祭で会ったときにお話しするつもりでしたが、今言っても構いませんね」


フロイドの目を真っ直ぐ見つめると、彼は視線をウロウロと彷徨わせたあと目を伏せてしまう……。

敬称をつけて婚約者の名を心の中で呼んでいたが、もうフロイドと呼び捨てで良いだろう。


「三年前の婚約記念日に、私は貴方を拒絶して連絡を絶ちました。それに関しては婚約関係にありながら配慮に欠けていたことをお詫びいたします」


軽く頭を下げ直ぐに「ですが……」と続ける。


「婚約式でもそれ以外でも婚約者である私ではなく義妹をエスコートされ、常に仲睦まじい様子を見せつけた挙句、大切な婚約記念日に花束を侍従に押し付けて全く関係のない義妹と楽しくお茶を飲んでいるのですから、人を傷つけることを厭わないフロイド様と義妹から離れなくては呼吸さえままならなかった私の心情をご理解ください」


理解しろとは口にしたが、別に理解してもらう必要はない。

後腐れなくする為の謝罪と嫌味を言いたかっただけでフロイドに何かを望むつもりはないのだから。


指で砂糖漬けを掴みそのまま口へ入れ、その甘さに眉を顰めた。

コレが流行しているのであればお茶会で出る菓子はどれほどの甘さなのか……。


そんなことを考えていれば、「傷つけていたのか……?」と耳を疑うような言葉が聞こえてくるではないか。


「……傷つけるつもりはなくて。ただ、君の側に居ると訳もなく胸が苦しくて、拒絶される前に拒絶しなくてはいけない気持ちになって……ごめん、なさい」

「……」


音楽祭の前日にミラベルのことで喧嘩別れなど面倒だから色々と説明をしたのだが、まさか納得して謝罪をするとは想像していなくて。

コレは本物なのかと目を伏せ続けるフロイドをジッと観察していれば、彼は何かを決意したかのような顔で目の前に置かれたままのカップをゆっくりと持ち上げ、そのまま大量の砂糖漬けが入ったハーブティーを一気に……飲み干した。


「……っ、うっ、んぐっ」


口元を両手で押さえ涙目でもごもごと口を動かす婚約者の姿に呆れながら、侍女に目配せをする。


「口の中がっ……じゃりじゃりする……」


カップから溢れるほどの砂糖漬けを口に含んだのだから当たり前だ。

侍女から水の入ったグラスを受け取りフロイドの前に置くと、嬉しそうにグラスを傾けている……。


「ミラベルを、優先している自覚はあったんだ。両親の言葉に従い、常に周囲の人の顔色を窺って生きてきたから、気を遣わなくて良いミラベルの側が楽で。それに、セレスティーアはいつも不機嫌そうだったから、嫌われているのではないかと思っていた」

「碌に会話もなく、義妹を優先する婚約者に笑顔を振りまく人が居るのなら見てみたいものです」

「うん……そうだね」


二人だけで話すのは今回が初めてで、身勝手で冷たくて、何もしていないのに私を怖がるような人だと思っていたが……。


「君は嫌かもしれないけれど、私は君と婚約破棄してミラベルと婚約するつもりはない。最近はミラベルとは会っていなかったし、手紙の遣り取りも止めていたんだ。彼女のことより君が病気や怪我などしていないか、ずっと心配で。だから、別宅へ戻って来たと聞いて落ち着かなくて、朝早くに訪ねて来てしまった……」

「心配……?」

「うん……。軍学校は軍人を養成する場所だから、危険なことが沢山あるだろう?セレスティーアは貴族の令嬢の手本のような人だから、余計に心配だったんだ」

「私が……手本?」


フロイドが悪いとはいえ、目の前で花束を踏みつけて癇癪を起して逃げるという暴挙に出た私が、貴族令嬢の手本とは……彼の中で令嬢とはどのような生き物なのだろうか。


「軍学校を卒業したあとは、領地へ戻って来るんだよね?」

「お父様の側で領主としての仕事を学ぶつもりでいますが……」

「それなら良かった。軍人になると言われたらどうしようかと……危ないから」


胸を撫で下ろし微笑むフロイドの姿が信じられず、砂糖漬けの甘さで頭をやられたのでは?と疑う私はとても非情な人間に思えてくる……。


だが、今迄の事と先程の事があって婚約者の言葉を素直に受け取れないのだから仕方がない。


「その、訊きたいことがあるんだ」

「何でしょうか?」

「第二王子殿下とは、どういった関係なのかと……」

「レナート殿下のことですか?」

「うん」


フロイドが王太子であるルドの側近になったことはお父様から聞いていた。

だから、ルドについて訊かれるならまだしも、どうしてレナートの名が出てくるのか。


「どういった関係とは……?」


私とレナートを結び付けるのであればランシーン砦以外にない。

けれど、ルドやレナートが砦に数カ月の間滞在していたことは極一部の者達しか知らず、ルドはもう砦に行くことはないだろうが、暗殺を警戒しているレナートが砦に居るのだから側近に話すわけがない。


表情に出さないよう気を付けたのだが声にまで気が回らず、低い声で問いかけた所為でフロイドの肩が震えた。


「……まだ、ルドウィーク殿下の側近候補のとき、面会の場に第二王子殿下もいらっしゃったんだ。そのときにセレスティーアの話になって、第二王子殿下が君のことを親し気に愛称で呼んでいたから気になっていて……」

「私の話を……」

「国王陛下とフィルデ様は仲が良いから、殿下達とセレスティーアも自然と親しくなったと伺っている」


そんな設定になっているのかと感心しながら、静かに頷いて肯定しておく。

砦のことを伏せて話しているのであれば余計なことを言わずに頷いておくのが最善だろう。


「愛称を許すほど仲が良いとは知らなかった……」

「許すも許さないも、相手は王族ですから。拒否権などありません」

「……そうか、うん、そうだよね」


急に暗く沈んでいた表情がパッと明るくなり、心なしか声も弾んでいるフロイドに首を傾げながら、それ以上何か訊くつもりはなさそうなので勝手に明日の音楽祭についての話に切り替える。


音楽祭でのエスコートは御爺様で、婚約者であるフロイドとは会場内で合流したあと同じ席に着く。休憩を入れた三時間程オペラを堪能したあとは、ルアント宮内にある広間へと移動し歓談が行われる。そこではお酒が振る舞われるので、成人前の子供達は両親と共に各所に挨拶を済ませたあと宿泊施設へと向かう予定となっている。


「学園内で少し君のことが噂になっていたから、エスコートをフィルデ様がされるのは牽制となって良いと思う。それに、再来年は公爵家の令嬢が入学するから、その前に悪意のある噂を流す者達を一掃するべきだ」

「公爵家……アンジェリカ嬢ですか?」


アンジェリカ・ベイカーは公爵家のご令嬢で、王太子殿下の婚約者候補筆頭と噂されている。

容姿端麗で小柄なアンジェリカ嬢は社交界では妖精に例えられることが多く、私も実際に顔を合わせるまではどれほど可愛らしいのかと胸を躍らせていたが……。


「セレスティーアが姿を見せなくなってから、毎年アンジェリカ嬢に理由を訊かれていたんだ。今迄は曖昧に答えていたのだけれど、もう公表すると言っていたから先月行われた観劇のときに軍学校へ入学したことを伝えたら……」

「言わなくても分かります。癇癪を起したのでしょう?」

「うん……」


地位も美貌も兼ね備えたアンジェリカは、何故か初対面のときから私に敵意を剥き出しにしてくるのだ。


「音楽祭で彼女の様子を窺っておきます」


そう私が告げるのと同時に、アームル家の護衛がフロイドの横で屈み耳元で囁いた。

恐らくこれから予定があるのだろう。


「今日はこれで失礼する」

「えぇ、また明日」


ガゼボから去って行くフロイドの背中を見送りながら、やはりもう彼に恋心を抱くことはないのだと再認識し、名残惜しむことなくフロイドに背を向けガゼボから出た。

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