碧き香り

星谷光洋

第1話 夜の闇が

 夜の闇が、空の時計を気にしながら、どこかへ帰り支度をしようとしている頃。薄闇の空が朱色へ、朱色から碧い空へとうつりはじめた頃、すずめが朝を待ちわびたようにさかんに鳴きはじめた。

 

 闇に脅え、ひっそりとして木々や電線にとまっていたすずめたちは、闇のなかでなにを思っていたのだろう? 闇にくちばしをふさがれて、仲間の姿もみえず、闇のなかに自分さえも吸い込まれていくような不安な思いで脅えていたのだろうか。

 

 三月の朝はまだ肌寒い。けれども朝の初々しい香りは、疲れた心にはなによりも心地よかった。郊外にある私の家のまわりには緑が多い。歩くことは好きなほうだ。なによりも、あまり体を動かすことのない今の夜勤仕事ではどうしても運動不足になってしまうから、時間をみつけては散歩するようにしていたのだ。汗がほんの少しだけにじんでくる。そろそろ帰ろうかと思い、家の玄関に入ろうとしたときだ。

 

 「おはようございます」と、背後から声をかけられた。声の主は新聞配達のおばさんだった。朝刊を受けとり、

「おはようございます」

 と、朝のあいさつを返した。

 「朝がはやいですねぇ」

 「ええ、いや、夜勤明けなんですよ」

 おばさんは、ちょっと笑みを浮かべて、

 「そうなんだ。あたしらが起きているときに眠るんだねぇ」

 と、少し親しげな口調でいった。

 おばさんの朝日のような笑顔をみていると、夜勤明けの乾いた心にも、やんわりとぬくもりがもどってくるようだった。

 「夜勤って、どこかの工場かね?」

 「ええ、荒井浜にある、電球をつくる工場なんですよ」

 「へぇ、そうかい。世の中を明るくしてくれてるんだねぇ」

 

 半分はお世辞のつもりなのだろうが、決して不愉快になる言葉ではない。感謝され、喜ばれる仕事をしていると思うと嬉しくもなった。おばさんは六十歳なかばくらいだろうか、刻まれた皺は力強く、手ごわい人生を乗り越え生きてきた証に思えた。背中も曲がってはおらず、目の力強さにはたくましさを感じさせる。バイクにまたがってつぎの配達先へと走りだしていくおばさんを見送った。

 職場は今は胎内市といわれているが、以前は北蒲原郡荒井浜。私が産まれた土地にその工場はあった。今は新発田市に住んでいるが、今でもときどき故郷の海にでかけている。


 北海道に引っ越しをするとき、就職をするときなど、私の人生の転機だと思われるときになると、かならず荒井浜にいく。それから産土神社である塩竈神社に参拝し、すぐ近くにある祖母のお墓で手をあわせているのだ。


 塩竈神社は松林に囲まれた、小さな丘に祀られている。塩竈神社は、宮城県の塩竃市にある塩竈神社から勧請された社で、新発田市の図書館で読んだ荒井浜の逸話として、浜に熊野の神像が流れ着き、その神像を洗い、祀ったとされている。その後、洗いが荒井になり、荒井浜と呼ばれるようになったのだとか。今はその神像は塩竈神社に祀られているという。


 鳥居は石づくりでりっぱなものだ。石の階段を登るとさほど大きくはないが、とても趣のある社がある。ひとり静かに参拝できる場所で、社務所もない神社なのに、自然の風雨が洗い清めているのか、いつ来てもきれいにみえる。


 境内にある小さなお社の鳥居にあるシデは定期的に交換されているようだ。荒井浜の塩竈神社に祀られている神さまは、鹿島神宮、香取神宮、塩椎神が主祭神で、天照大神や金比羅大権現、山の神、稲荷の神、そして熊野の神が祀られているそうだ。ご利益として、縁結びや子宝に恵まれる、長寿、仕事運、国家鎮護などとされている。


 塩竈神社に参拝した後、ときどき参拝しているところが乙宝寺。浜辺から車で五分ほどでいける場所にある。乙宝寺は『今昔物語』にも記され、松尾芭蕉も立ち寄って句を詠んでいるという。弘法大師が独鈷(とっこ)で清水を出現させたという独鈷水が境内にある。それだけではなく、乙宝寺は、猿供養寺ともいわれる逸話の多い寺だ。その話とは、寺の裏山に住んでした二匹の猿が、お寺の和尚に木皮経を書いてもらい、その功徳で越後の国司の人間となって生まれ変わってきたという話だ。


 乙宝寺で見応えといえば、なによりも三重塔で、国の重要文化財に指定されている。寺の境内にたたずんでいると、心の波がやわらいでくる。大日堂に入ると、大きな仏さまたちが祀られている。大日如来、阿弥陀如来、薬師如来で、乙宝寺の本尊だとされている。ほかにも大日如来をはじめ、たくさんの仏さまと菩薩さまを祀っている。乙宝寺は観光としても宝物殿もあり、充分見応えがあるお寺だが、本来は祈祷寺で、今もなおさまざまな祈祷がなされている。


 仏さまに手をあわせていると、どこからか、歴史の香りが漂ってくるように感じられてくる。松尾芭蕉が立ち寄ってどんな思いで手をあわせたのだろうと想像すると、遙か過去の情景が目の前に浮かんでくるようだ。


 寺社を参拝したのち、また帰りがけに浜辺でしばらく寄せ来る波を眺めてから帰るのがいつものパターンだ。荒井浜という地名から、波が荒いというイメージがありそうだが、とても穏やかな海で、広い砂浜が広がっている。すぐ隣の浜になるが、桃崎浜には『はまなすの丘』があり、日によっては佐渡や粟島がみえる。無料の駐車場とトイレもあり、ドライブの休憩地としてとても重宝しているのだ。また、季節によってはハマナスや浜昼顔などが咲いている。夏になれば海水浴をする人たちが集まってくるし、釣りをしている人たちもよくみかける。なんでもキスがよく釣れるのだそうだ。なによりも日本海側の海ならではの夕焼けは絶景で、海原に沈んでいく夕陽をみていると時間を忘れてしまう。優しく燃える太陽から、黄金の波の道筋ができる瞬間は、さらに美しく映えている。


 私が幼い頃から馴染んできた潮の香りをかぐと、なぜか心が落ち着き、新たな道を歩んでいこうという思いがわいてくる。私にとって、阿賀北の香りといえば、故郷、荒井浜の潮の香りにほかならない。子供の頃によく友だちと海水浴をし、貝などをとった。家では今は亡き母が、浜でとれたてのカニや魚を鍋でゆでたりしていた臭いも思い出されるのだ。


 どの浜辺もおなじような潮の香りかもしれない。だが、おなじような香りだが、私にはなにかがちがう。それはきっと、私にとっては思い出が染みこんでいる潮の香りだからだろう。

 

 新聞を持って家に入り、浴室に入った。五十七歳の今も独身で、父と猫、男二人とオス一匹との暮らしだ。父の寝ている部屋からは寝息が聞こえてくる。


 仕事でねばついた汗を流そうとシャワーを浴びてから湯船に入り、少しうとうとしていた。それから湯船からあがり、タオルで体をふいていた。ふと、水のきれが悪くなったなと思った。二十代の頃までは、肌が水やお湯をはじいていたものだ。五十を過ぎる今では、じっとりとねばりついた水気がなかなか消え去らない。洗面台の鏡をみると、目のあたりを中心に、いくつもの皺が寄って目立つようになっている。


 二階にあがり、ベッドに横たわると、ふと、過去の出来事が心に甦ってきた。

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