忍-二次創作集

薪原カナユキ

桜の怪物

 空にかかった雲が、月を遠ざける深い夜。

 人気のない森の奥で、たった一人の青年が目を覚ます。

 虫の知らせでもあったのか、明かりを灯さず立て付けの悪くなった引き戸を、何度か揺らして開けた。


 初夏には遠く。

 しかしまだ肌寒い春の夜風。


 彼の住む小屋の隣には、お世辞にも立派とは言えない桜の木。

 彼は花弁を散らす桜の根元に、何かの陰を見つける。


 興味本位で青年は近づいていく。


 この身は既に俗世とは離れている。

 ならばあやかしたぐいだろうと、たわむれてみるのも一興か。


 そんな考えが有ってか無くてか、その全貌ぜんぼうをその目に移した彼は、驚きはしたものの、そこに恐怖はなかった。


 薄紅色うすべにいろ――ここは桜色と言うべきか。

 楕円形の頭を持った、人の身より大きな化生けしょう

 体は海で獲れるという、カニ海老エビなるものに似ていて、桜色の甲殻こうかくはその鮮やかさに見惚れてしまう。

 手と思しき巨大なうるしはさみは、正しく業物わざものと言えるだろう。


 しかし困ったことに、この化生けしょうは震えすらせずに、身を桜へと寄せている。


 いったい何なのか。

 こやつは何をって此処ここへいるのか。


 ――ふと、何やら頭が変色し始めた。

 これ程の豊かな色彩を、一生で見たことはあるだろうか。


 だが何なのかは分からない。

 分からないが、動けぬと言っているのだろうか。

 化生けしょうの言葉は分からぬ故、この状態から察する他ない。


 腹が減っているのか、それともどこか怪我をしているのか。

 はたまた別の理由か。


「来るか?」


 青年は言葉が通じずとも、手を伸ばし意思を伝える。

 この手を取るか否か、試みる。


 化生は差し出された手に、恐る恐るを伸ばす。

 そのゆびは開かれる事は無く、彼の手の上へ静かに乗せられた。


 桜は散れども、人と化生は実を成らす。


 これはまだ、南蛮の文化が日ノ本に広まりきっていない、そんな世での人と化生けしょうの出会いの物語。

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