心侵す眼差しに射貫かれて
再度ルミナスに文字の読み書きを教えてもらったお礼を言って心美は部屋を飛び出した。
周りに人がいないことを確認して、千里眼の瞳を開きニアの現在地を探す。
(私もこの力の使用をためらわなくなってきたわね。でも……それでいいわ。さて、ニアさんは……いた。ここはニアさんの部屋かしら?)
この瞳の前では障害物も壁も扉も無いに等しい。
たとえ鍵がかかっていようと視界はすり抜けるように進んでいく。
ニアを探すためだけにレヴィン家の見知らぬ人々たちのプライバシーを侵害していることに罪悪感を覚えながらも、心美はニアを発見した。
それほど苦労もなく目的の彼女を見つけることができて、己の力である瞳への評価が強まる。
「休んでいるようですが……心労でしょうかね?」
思い悩んでいる状態で体調も芳しくない。
そう推測して瞳が捉えたニアの部屋へと足を進める。
本来なら他人の部屋に無断で立ち入るべきではないだろう。
だが、ニアが眠っている状況は心美にとって好都合。
「これなら安心して開けるわ」
力を使うことを多少いとわなくなったとはいえ、大っぴらにしたいわけではない。
見るという行動がトリガーになる以上、その行動が見られる、つまり気付かれるというリスクも背負っているわけだが、対象者の意識がない状態なら話は別だ。
特に今回は心の表層、所謂思考を読み取るのではなくさらにその先、記憶を読む。
ルチカがルミナスの元を離れ迷子になった経緯を垣間見たときのように、時を遡って記憶を覗く。
見計らったわけではないが、今が絶好のチャンスなのだ。
「失礼しますね」
小声で呟き、物音立てないように扉を開け、眠っているニアを見下ろす。
前髪をかき上げ露になった額にはすでに瞳が開いている。
瞳がすやすやと寝息を立てるニアを覗くと、徐々に光景が浮かんでくる。
(……もっと、もっと深く)
記憶という名の海をただただ沈んでいく。
腕も足もすべてを投げ出して、そこを目指して落ちていく。
心美がニアの記憶を追憶して覚えた感覚だった。
(どこにある? まだ……っ?)
瞳に痛みが走る。この状況で自身の瞳は確認できないが、心美の心を読む瞳は赤く充血して泣いた後のように腫れ始めている。
千里眼が限界距離を超えて先を覗こうとした時と同じように、心を読む瞳にも限界があるのか、より深く記憶を見ようとしたことで限界を迎えた瞳は痛みを訴えている。
それでも心美は瞳を閉じない。
まだ見るべきものを見ていないから音を上げるわけにはいかない。
今目を逸らしてしまったら、もう理解できる日は来ないかもしれない。
やがて血涙のような液体が鼻先を伝いぽたぽたと垂れてくるが、そんなことなどお構いなしに痛みを堪えて歯を食いしばり、目を凝らす。
「ああ、分かったわ。あなたは……あの言葉通り羨ましかったのね」
「んぅ……誰ですか?」
ようやく答えらしきものに辿り着いた心美は、思わず声を出してしまった。
あまり大きな声ではなかったとはいえ、手を伸ばせば触れられるほどの至近距離。
近くから聞こえた声にニアは身を捩らせて目を覚ます。
「あ……おはよう……ございます?」
ばっちりと目が合った。視線を合わせたまま固まった心美はぎこちない笑顔を浮かべて目覚めの挨拶をニアに送る。
当の本人は寝起きで何が何だか分かっていないのかしばらく反応を示さなかったが、意識がしっかりと覚醒してきて心美の存在に気付くとぎょっと顔色を変える。
「コ、ココミ様!? どうしてこちらに? いえ、そんなことより血が……ひっ」
ぽたぽたと不規則に音を立てる赤の雫。
心美がなぜ自分の部屋にいるのかという疑問よりも、そちらの方を優先しなければいけないと思い、血の出処に視線をやる。
その短い悲鳴は顔を伝う血液の量が尋常じゃないことによるものだろうか。
それとも血の出処を見てしまったからだろうか。
あるいはその両方かもしれない。
「ココミ様……それは……?」
「お見苦しいものをお見せしてしまいましたね。痛みも大分治まってきましたが……すみません、血が止まらないので何か布を頂けますか」
「あっ、そうでした! こちらをお使いください」
休んでいたベッドから飛び起きたニアは、手頃な布を取り出して心美に手渡す。
ニアの視線から逃れるように後ろを振り向き、軽く顔を拭う。
「ココミ様……色々とお聞きしたいことはありますが……どうしてこちらへ? それに……そのお姿は……?」
「ニアさんが何やら思い悩んでいるとルミナスさんから聞きました。自室で休まれているとのことでしたのでお見舞いに、と思いましたが勝手に入ってしまってすみません」
一つ目の質問に嘘を交えて答えながら、二つ目の質問にどう答えるか思案する。
はっきりと姿を見られている。誤魔化しは通用しないだろう。
リスクは承知の上で起こした行動ではあるが、己の不注意が招いた事態に心美は内心で自嘲気味に嗤った。
なんとか言い訳できないかと悪あがきに悩んでみるが、背後からジッと感じる視線に観念した心美はニアに向き直る。
「そうですね。私ばかりが知ってしまうのは不平等なのできちんとお話ししましょう」
心美はニアの心を読んだ。記憶を読んだ。
その中にはきっと知られたくないことも混じっていただろう。
それらを容赦なく暴いてしまった。
秘密を暴いておいて自分は秘密にしておきたい、なんて都合のいいことはない。
「先程お見せしたように私は普通の人間ではありません。この両目に加えて複数の瞳を所持しています」
左右で色が異なる珍しい瞳だが、普通の人間と同じ右目と左目。
その中心、少し上部に露になる、ニアが見てしまった額の瞳。
力を使い、血を流しすぎたからなのか今は閉じている。
そして左右の手のひらにある瞳。右の千里眼と詳細不明の左の閉じた瞳。
その中でも今回大きく使用したのは額の心を読む瞳。
「この瞳は心を読むことができます。これであなたの心を読ませていただきました」
「心を……読む……?」
「はい。寝ているところ申し訳なかったのですが、余計な思考が発生していないチャンスだったので」
「はぁ……」
「あれ、信じてないですか? 確かに口で言われても実感はできないですね……。なら実際に読んでみましょうか」
瞳を額から切り離して両手で受けとめる。
弱々しくも開く瞳がニアをジッと見つめる。
「それっ……えっ?」
「ああ、これは身体から外して一定範囲なら自由に動かせる……ってそんなことはどうでもいいですね。ではこうしましょう。今から私が質問をするのでニアさんはそれに答えてください」
「それで何が分かるのでしょうか?」
「ああ、なるほど。説明不足でしたね。もちろん口にしていただく必要はありません。心の中で思って頂くだけで結構ですので」
瞳は既に開いているからニアの疑問も当然心美に伝わった。
ただ答えてもらうのではなく、声に出さず心の中で。
それだけですべてが伝わるのが心を読む力の真骨頂。
記憶を読むのとは思考を読むのでは少し違いがあるが、ニアに分かってもらえればなんでもいい。
「ではあなたの今日の朝ごはんは?」
「…………」
「そう、今日は朝ごはんを抜いたのですか。ちゃんと朝ご飯は食べた方がいいですよ」
心美がそう言い当てるとニアはハッと驚愕で目を見開く。
半信半疑だったものが確信へと一歩近づいた。
しかし、まだ信じ切れていない。
その情報をあらかじめ仕入れていて、そのうえでこのような質問をしたのではないかという考えがニアの心の中にあった。
その心も見えている心美は、さらに質問を続ける。
「今日の下着の色は…………ほう、黒ですか。これはまた大人っぽいものを……」
「もう分かりましたから! 勘弁してください!」
女性同士であるから許される冗談だが、言葉にしなくても読み取れる心美は思い浮かべた瞬間に看破する。
羞恥でカっと顔を赤く染めたニアは、その瞳の力が真であることを認めた。
心美は瞳を閉じ額に戻すと、にっこり笑う。
「信じていただけたようで何よりです」
「ええ、嫌というほどよく分かりました。本当に筒抜けなんですね。ですが、寝ている私の心を読むことに何の意味があったのでしょうか?」
「あなたの憂いの原因を探りに来たのですよ」
「私の……憂い……ですか?」
やはり分からないと言った表情のニア。
しかし、本当は分かっている。必死に心の奥に押し込めて隠そうとしている。
そんな努力も瞳を開いた心美の前では何の意味もなさない。
「私がこの家に招待された日。ニアさんはいろいろな服を持って私のところに来ましたね」
「そうでしたね。そちらのドレスはやはりお似合いです」
ニアは心美が現在身に纏うドレスに目をやり思い出す。
「その時私とユキのやり取りを見てこう思ってしまった。羨ましいと」
「…………はい」
心美は獣人というものを知らない。いや、知らなかった。
だが、ニアの記憶が教えてくれた。
「今は薄れてきているみたいですが、獣人というだけで、普通の人と違うからといって酷いことをいう人もいたんですね」
獣人が受けてきた扱い。
人と同じ姿を取りながらも純粋な人ではない。
ただそれだけの理由で非難された過去。
心美はそれを知った。
「だからニアさんは……私とユキを見て、どうして言葉も話せない獣と心が通じているかのように分かり合えるのか疑問だった。そして、言葉も話せる自分達獣人が人と分かり合えないのはなぜだろうと思ってしまった。そうですね?」
ニアはこくりと頷いた。
「ですが、もう分ったでしょう? 私とユキはまるで心が通じているみたい、ではなく本当に通じていたんですよ」
「そうだったんですね」
「だからなんだと言われてしまえばそれまでですが……私はニアさんがこのことで悩んでいるのを何とかしたかったんです」
その羨望は偶然だ。
心美が獣と心を通わす術を持っていた、ただそれだけなのだ。
「それに……この家には獣人だからといって酷いことする者はいない。そうですよね?」
心美はニアではなく、扉の方を向いて言った。
少し待ってガチャと扉を引くと、聞き耳を立てていたルミナスが中へと倒れこんでくる。
「ルミナスさん! いつからそこに?」
「あはは……通りかかったらココミさんの声が聞こえて、つい気になってしまいまして。ですが、ココミさんの言う通りです。ここにはニアさんをそんな理由で差別する人はいませんので安心してください!」
ルミナスの立ち聞きに気付いていた心美は、扉の向こうにいた彼女に問いかけていた。
病は気から。
ニアの心を立て直すには、出会って数日の自分より、これまでともに過ごしてきた親しい者の言葉の方が響くと判断して。
「獣人なんてくくりで見ずに、ニアという女の子として接してくれる友人がいる。それで十分じゃないですか」
「はい……はい……っ」
ルミナスがニアを抱きしめる。
ニアは湿った声で心美に返事をした。
心美がのぞいた心はとても穏やかなものだった。
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