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Rinora

01話.[今日で最後だな]

 僕の両親にとって喧嘩は日課みたいなものだった。

 お金を使いすぎだとか、帰宅時間が遅いだとか、知らない男性女性から連絡がきていたとか、化粧が濃すぎだとか、臭いだとか。

 毎日そうやって盛り上がっているから夜に家を出ることも多かった。


「おいガキ」


 知らない人に話しかけられたら反応しないようにと教えられていたというのもあって、あの日はスルーして歩き続けようとしたんだけど、


「暇なら付き合え」


 話しかけてきた怖そうで怖くなさそうなお兄さんはそんな無視した僕を持ち上げて運び出した。

 実はこのとき、期待している自分もいた。

 あの騒がしい家からどこかへ連れ出してくれるのかと期待していた。

 でも、


「家に帰らないとな」


 何故か僕の家を知っていてすぐに送り返されてしまったことになる。

 しかもすぐに両親が出てきてお礼を言ったりしているところを見て、正直、気持ちが悪いと思った。

 なにが悪いってあんな喧嘩ばかりしているふたりが僕には優しかったこと。

 まあでも、そんなことを続けながらも離婚したりはしなかったから面白い話で。


「ガキ」

「僕ももう高校生だよ?」

「俺からしたらガキには変わらねえだろ」


 あのときのお兄さんはいつもこんな感じだった。

 意外と自宅から近いところに住んでいるからこうして毎日通っているぐらいだ。

 いつも家に行っても寝転がっているだけだったのに今日は珍しいこともあるものだとまじまじ見ることになった。


「こんなこと言われても困るだろうが俺は結婚することになった」

「おお、そうなんだっ?」

「ああ、で、この県から出ていくことになったんだ」

「へえ、……え?」

「聞こえなかったのか? ここを離れて別の場所に行くってことだよ」


 それはまたなんとも急なことだった。

 でも、結婚するというのならおめでとうと言っておけばいい。

 この県から出ていくということならこれまでいてくれてありがとうと言えばいい。


「やっと面倒くさいのから離れられるわ」

「僕といられなくなって泣いちゃいそうだね」

「泣かねえよ、寧ろ清々しているぐらいだ」


 これはまたなんともいい笑みだった。

 いつも無愛想なのに、絶対に笑ったりしないのに、こういうときに限ってこういう顔をするんだからずるい。


とおる、高校生になったからって夜遊びしたりするなよ」

「うん、守るよ」

「じゃ、今日で最後だな」


 そうか、だけど不思議と寂しさや悲しさはなかった。

 先程あんな反応をしてしまったが、寧ろいい人なのに何故そういう人が現れないのか気になっていたぐらいだから自分のことのように嬉しかった。




「ふぅ」


 自分の椅子に座れるとなんだか安心する。

 窓際とか廊下側とか、そういう場所でもないのに何故だかそうだった。

 比較的遅めの時間に登校してきているのもあって、教室内が既に賑やかなのも影響しているかもしれない。

 家ではいつも両親が盛り上がっているため、静かな場所だと少し落ち着かないというのはあったりする。


「よう」

「おはよう……って、膝のところ汚れているよ?」


 友達の赤車光行みつゆきが話しかけてきた。

 友達だから挨拶をしてきたことよりもそっちの方が気になってしまった。

 運動部に所属しているとかそういうことはないため、余計にそれがおかしく感じてくるんだ。


「向かっているときに猫を発見してな、意地でも触りたくて警戒させないように行動していたらこうなったんだ」

「ははは、猫が本当に好きなんだね」


 僕もどちらかと言えば……いや、両方好きだ。

 撫でることができれば幸せな時間となる。

 猫や犬といった他の動物からすれば勘弁してほしいだろうけどね。


「あ、赤車君、ちょっといいかな?」

「おう、いいぞ」


 友を連れて行かれてしまったから読書を始める。

 賑やかな空間の中で読書をしていられるときも幸せだ。

 昔は聞きたくなくてそうしていただけだけど、両親が色々な意味で盛り上がっているときに読書を繰り返していたらそれが好きになった。

 寧ろ静かなところでする読書ほどつまらないことはない。

 僕がおかしいのかもしれないが、誰かが作ってくれた物語に浸りやすい気がする。

 この時間だけは誰にも邪魔されたくない……ということもなく、話しかけられたらすぐに対応できるようにしていた。

 とはいえ、


「おいおい、まだ読書はいいだろ」


 話しかけてくるのはほとんど光行だ。

 それ以外の人とも会話はできるが、ないと言っても過言ではないかもしれない。


「別に本の中だけに楽しいことがあるってわけじゃないだろ、現実だって自分から行動すれば楽しいことなんて沢山ある」

「でも、学校のときはこれぐらいしかないからさ」

「まだ一年生なんだから恋でもすればいいだろ」


 両親の盛り上がりを見ている自分としては上手くやっていける自信がなかった。

 結婚してもああして言い合いばかりしている家庭なんかもあるわけだし、僕にも遺伝しているわけだから自ら壊してしまうんじゃないかという不安がある。

 それにもう一度異性と付き合って別れた経験があるから……。


「あ、それで用はなんだったの?」

「内緒だ、ほいほい話されたくないだろうからな」

「そっか、それはそうだね」


 読むつもりはないが文字に目を向ける。

 誰かに作られた世界は自分が関係していないから楽しいんだ。

 自分と違って積極的に行動できる、大切な誰かのために臆せず動ける。

 もし僕がそういう人間性だったら現実逃避とも見えるこんな行為はしていない。

 読書を好んでいる人を馬鹿にしているわけではない。

 主人公に自分を重ねているわけでもない。

 寧ろ読めば読むほど、こんな風には動けないなという感想しか出てこない。

 でも、なんにも真似できないということはない気がした。


「光行、光行だったらどういう人間になりたい?」

「また急だな、俺だったら困っている人間がいたらすぐに動ける人間になりたいな」

「もうなれているでしょ」

「まだまだだよ、それにどうしても見返りってのを求めてしまうんだ」


 なんか彼らしかった、だから別に普通でしょとか言ったりしなかった。

 彼にとってはそれが嫌とまではいかなくても微妙な点だろうから意味がない。


「戻るわ」

「うん」


 SHRの時間まで読める分は読んだ。

 一度目というわけではないからどうなるのかも分かっているのに面白い。

 あ、もしかしたら読み続ければ時間経過が早いからかもしれなかった。

 現実は二十四時間経過しないと次の日にならないようになっているからだった。




「光行、一緒に帰ろうよ」

「悪い、今日は誘われているんだ」

「そっか」


 なんか一気に帰る気が失せてしまった。

 ただ朝も言ったように、静かな空間だからと読書が捗るわけでもないから困る。

 彼が悪いわけでもないからこのなんとも言えない気持ちの発散方法が分からない。

 そもそも彼と帰ろうとしたのはよく誘ってくれるからだ。

 真っ直ぐ家に帰りたくないからそうしたかったんだけどなあ。

 あの言い争いを聞きたくなくて本の世界に逃げていたのに、静かな場所が苦手とはどういう風になっているんだろう。

 天の邪鬼な人間なんだろうか?


「帰るか」


 放課後の教室に残っているよりは歩いていた方がマシな気がする。

 外であれば色々な音が聞こえてくるわけだからそれで落ち着ける。

 ただ、無理だった際に一緒にいられる人がもうひとりぐらいはいてほしかった。


「動かなければ変わらないよなあ」


 一年生とはいってももう冬になってしまっているからだ。

 待っているだけでは変わらないことを知っている。

 過去の自分が女の子と付き合えたのは自分が積極的に動けたからでしかない。

 ……正直に言えば投げやりになっていたというか、あのときは細かいことがどうでもよくなっていたからでしかないんだけど……。


「ん?」


 なんてことはないことだった。

 ただ設置されていたベンチに女の子が座っていたというだけなのに、何故か今回は気になってしまったというだけだった。

 当然、友達でもなんでもないから近づくなんてことはしなかったが、どうして一瞬ん? となったのかは分からない。

 疲れたら休む、なにもなくてもそこにあったら座る、そういうときのために設置されているんだから当然のことなのになんなのか。

 頻度はそう高くなくてもずれていると言われることもある自分なので、自分がおかしいだけだと片付けて歩き続けていた。


「家に着いてしまった……」


 このまま大人しく家に入るべきか、このまま歩き続けるべきか。

 まだ十七時にもなっていないから共働きの両親が帰宅しているなんてことはない。

 つまり、ひとりっ子の自分としては静かな空間にずっと居続けることになってしまうため、どうるすべきか真剣に悩んでいた。

 結局、体感的に十分ぐらい悩んだ後に入ることを選んだ。

 これからひとりのとき、静かなときなんて沢山あるんだからその度に逃げるのは現実的ではないからだ。

 高校生になったからにはそれぐらい克服しなければならない。

 正直に言うとぞわぞわする。

 特に常になんらかの会話が聞こえてくるここが静かだと落ち着かなくなる。

 いい意味で盛り上がっているというわけでもないのに、本当に僕はどうしてこうなんだろうか……。


「徹、いますぐ出てきてくれ」

「あれ、誘われていたんじゃ?」

「もう終わったよ、俺の友達と仲良くしたかっただけだった」

「おぅ、それはなんか複雑だね」

「ま、それはいいんだ、早く出てきてくれ」


 これほどありがたいことはないから出てみたら光行が女の子を背負っていた。

 先程の女の子というわけでもなく、やばい現場を見てしまったというわけでもないため、普通に家に上げる。

 そのままの流れで飲み物も渡して学校でしているように椅子に座った。


「今日は負けてしまったみたいだね」

「ああ、はしゃぎ過ぎたみたいでな」


 それでも彼は厳しく、すぐに起こしてしまった。


「さ、宿題をやらないとな」

「……ここどこ?」

「徹の家だ」

「とおる……あ、とおるちゃんのお家か」


 家だと集中しないということでここでやらせることが多々あった。

 でも、実際のところは僕が静かな空間が苦手ということを知っているからだ。

 それを言ってきたわけではないが、間違いなくそのために来てくれている。

 彼女は元気なとき物凄く話すからそれが狙いでもあるんだろう。


朝海あさみ、ちょっとひとりでやっていてくれ」

「分かった」


 廊下を指さされたから付いていく。

 あまり仲良くできているとは言えないからひとり残されなくてよかった。

 それに相手が六年生とはいえ小学生になると対応も難しいし……。


「あれだったら徹と帰った方がよかったよ」

「行ってみないと分からないからね、それは結果論でしかないかな」

「そうだけど、利用されるのって複雑だろ」

「時間つぶしができるのなら利用されても構わないけどね」


 彼に近づくためにそうされたことというのは実際にある。

 寧ろ僕に近づく女の子の大半はそんなものだ。

 あとは係の仕事だったり、委員会関連のことでしかない。

 モテたいとかそういう風に考えているわけではないからそれでいいと言えばいいものの、たまに異性と楽しそうに話している彼を見ると羨ましく感じるときはあった。

 結局僕も男というか、人並みという感じかな。


「朝海ちゃんはちゃんと宿題をやっていい子だね、お兄ちゃんである光行なんて頭がいいのにやる気がなかったぐらいなのに」

「いつの話だよ……」

「小学生のときの話だよ、『おれはすぐに宿題なんてやらねー』とか言って遊びまくっていたからね」

「小学生なら遊ぶのが宿題みたいなもんだろ」


 多分、努力しているところを見られるのが嫌だったんだと思う。

 それが分かったのは高得点の答案用紙を見たときだった。

 なるほどと小学生ながらに真似をしてみたわけだが、残念ながら隠れて努力しても同じような得点を取れるわけでもなくすぐに諦めたぐらい。


「それなのに起こすとか意地悪だね」


 直接言われたわけではないから問題にはならない。

 それに本気で言っているわけではないから大丈夫だろう。


「馬鹿、こんな時間に寝させたら夜に寝られなくなるだろうが」

「え、そういうもの? お昼寝をしても夜にはぐっすりだったけどな」

「そりゃ徹が特殊なだけだ」


 確かにそれは否定できなかった。

 だって言い争いをしていたのは主に寝ようとしていた時間だったからだ。

 僕が部屋に戻った後に始めていたから一応僕のことを考えてしてくれていたんだろうが、残念ながら部屋まで思い切り聞こえてきていた。

 でも、最初はともかく割とすぐに慣れてしまったからね……。


「宿題終わったっ」

「偉いな」


 彼女にだって負けているところが多すぎる。

 仲良くなれていない気がするのはそういうところからきている気がする。

 あとは単純にここに無理やり連れてこられているだけだというのも影響している。

 彼女からすればでかい人間なのに静かなところが嫌なんですーとか言っているのはださいとしか言いようがなかった。

 完全敗北、敗北した人間に一緒にいてもらえるような資格はないんだ。


「朝海ちゃん、もうお家に帰りたいよね?」


 自分のために行動させてもらう。


「え、そんなことないよ?」

「いやでもほら、お家に帰れば大好きなゲームだってできるでしょ?」


 こう言われることは分かっていたから趣味の話を出させてもらった。

 いつもシスコンな彼から色々情報を聞かされているため、こういうときの武器を得ることができる。


「でも、ここにはお兄ちゃんもいるから」

「だからそのお兄ちゃんと一緒に帰ったら楽しくなるでしょ?」


 高校生になってもお兄さんからガキと言われても仕方がない気がした。

 ちゃんと見てみればどうしてそうしていたのかなんてよく分かる。

 目の前にいる小さな女の子の方が遥かに強いという現実を知って、一緒にいるのが辛くなってしまったんだ。

 分かってほしい、嫌いとかそういうことではないから気にせずに帰ってほしい。

 それを察してくれたのか、お兄ちゃんの方が「腹が減ったから帰ろうぜ」と言ってくれた。

 正直、恩を仇で返しているようなものだから彼からすれば面白くはないだろうが、こんなよくない人間の真似をし始めて困るからこれでよかったと考えてもらいたい。


「来てくれてありがとう」

「複雑さをどうにかしたかっただけだ、それじゃあな」

「ばいばい!」


 ださいどころではないから真剣に克服しようと決めた。

 最初は読書をしながら慣れていこうと思う。

 その中でも読書を楽しめたら克服できたということになるので、とりあえず二年生になるまでに変わることができればいいという緩いルールでやっていくことにする。


「つまらない……」


 なんで途端に変わってしまうのか。

 ちなみにこれ、家じゃなくてもそうだから難しい。

 これなら寒くても公園かどこかで読んでいた方がマシな気がした。

 環境音があるというだけで少しでも変わるのならということで実際に移動したんだけど、


「さ、寒い……」


 今度はそれのせいで捗らず……。

 結局、十分後ぐらいには落ち着くゲームセンターに来ていた。

 どうせ来たならと少し遊んでいくことにしたのだが、今度はゲームセンターなら光行と来たかったなとなって少しテンションが下がってしまった形になる。

 それでもと意地になって遊んだ結果、お金は失ってしまったものの時間をつぶすということには成功した。

 あまり遅い時間までいると怖い人達がやって来ることを知っているため、そこから更に時間をつぶしたところで退店を選択。

 帰路に就いている最中は先程と違ってかなりすっきりできていた。

 家に帰ってからもそう、僕にだけ優しいのはいまでもそうだから別に落ち着かなくなるということもない。

 いまとなってはその笑顔も気持ちが悪いとは思わないから、ああ、いつも通りの両親だという風に感じただけで。

 面倒くさい人間だということには変わらないから面倒くさく生きていくしかないということで片付けておいた。

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