11月5日(日)京野仁志

ベッドの枕元に9冊の漫画本とお婆さんから貰った栞を置く。目覚まし時計を見ると、23時20分だった。


あと40分か。

漫画本の中から一冊を手に取り読み始める。


時間まで残り15分の所で電気を消す。

両手で漫画本9冊と栞を触れゆっくりとベッドに横になる。

目を瞑り、心を落ち着かせる。

すぐに意識が遠くなってきているのが分かった。


深い眠りに入り『湊』としての『仁志』は終わりを迎えようとしていた。
















「京野仁志さん、京野さん、聞こえますか?」
















仁志はゆっくり目を開ける。

見たことのある景色にすぐに気付く。

すごく眩しい。目が開けたくても中々開けられない。




「京野さん。大丈夫ですか?起きられますか?」


聞き覚えのある声。面接官の声だ。


ゆっくりと起き上がる。そこはベットの上だった。

(ここ、試験会場の『休憩室』だよな?え?何で?)




「あのー、ここって休憩室ですよね?何でここにいるんですか?」

「はい。…実は、これまで京野さんが擬似体験した事は全て仮想現実の世界だったのです。」

「え?そうなんですか?」

「はい。体が入れ替わったのではありません。お二人の脳を操作して、脳が疑似体験を行っていました。擬似体験中に行ったことは、現実社会に影響はありません。ですが、稀に変わる所が出てくると思われます。」


仁志は面接官の言葉を頭の中でゆっくりと繰り返す。


「じゃあ夢を見てたような感じなんですね。それにしてはあまりにも鮮明で、現実にしか思えませんね。全て仮想世界ですか…。」

「そうです。さっき飲んだ薬は、脳が仮想現実を体験する薬なのです。」


会った人達が全て仮想だったなんて。

じゃあ、あのようやく見つけた漫画もか。


仁志は寝る前に置いた本や栞を何度も確認するが、何一つ無かった。ガクッと肩を落とす。


「すごいですね。まさか全て仮想現実というものだったとは。漫画本や栞も仮想という事なんですね…残念です。それに、さっき飲んだ薬って事は、まだそんなに時間が経っていないんですか?」

「はい。ほとんど時間は経っていません。」


急いで時計を見る。

(14時30分前って事は、湊さんと電話してからまだ20分位しか経ってない。)


男性はニコッとほほえみ、

「仮想現実が一日とすると、現実社会では約30秒です。ですので、実際は数十分間だけの経過になります。」

「いやー、狐につままれた気分ですよ。すごい薬ですね。」

「はい。我が社自慢の薬ですので。」

そう言うと嬉しそうに笑う。


「じゃあ、湊さんも私と同じように仮想現実を体験してたんですね。」

「そうです。二人の脳を操作するには、同時間に飲んで頂かないといけないですので。詳しい話はこれくらいにして…京野さん、擬似体験はいかがでしたか?」

「はい。まさかこの体験が仮想現実とは驚きましたが、すごく楽しかったです。いい体験をさせて貰いました。ありがとうございます。」

「それは良かったです。あっ、京野さんに最後にお願いがあります。」

「何ですか?」

「この事は、擬似体験した方と我が社だけのヒミツになります。ですので、これまでの擬似体験を全て忘れて頂く必要があります。意義はございますか?」

「え?そうなんですか?あ…携帯に掛けた時の質問の答えがこれなんですね。疑似体験前にネタばらしする訳にはいかないですもんね。」

「はい。あの時はまだ体験中でしたので、混乱させるといけないと思いまして。申し訳ないですが、当社の決まりになっておりますのでご理解頂きたいです。」

「そうですか。残念ですが仕方ないですね。」

「はい…。では、これから京野さんを家に送り届けます。そうしたら、すぐご自分の部屋に戻って今から渡す薬を飲んで下さい。」


そう言うと、面接官はポケットからビンに入った青い飲み薬を取り出す。

さっき飲んだ薬と同じ位の量だ。

仁志に渡し、すかさず念を押す。


「良いですね?必ず部屋に戻ってスグに飲んでくださいね。」

男性の初めて見る真顔が少し不気味に感じた。


「はい。分かりました。」

仁志は急いで返事をした。




帰る支度をし、行きと同じように目隠しをされる。

今度は青いアイマスクだった。

約1時間車に揺られる。行きとは違い、酔うことも無くあっと言う間に家に着いた。


車内でアイマスクを外す。運転手に礼を言い、家に戻る。外は薄暗くなっていた。




久しぶりの自分の部屋。

見慣れたこの景色が一気に現実に引き戻される。


ポケットから飲み薬を取り出す。


蓋を開けて一気に飲み干した。




「サエキさん、ほんとお酒強いねー!俺も負けてられないな。」

「無理して飲まない方がいいよ。俺、ほんとに強いから!」

「うわー、それって煽りじゃないよね?でも気持ち悪くなりたくないから今日はゆっくり飲むわ。」

「そうそう、それが一番。大人はそうやって飲むのよ。そうだ、だし巻き卵おかわりしていい?」

「ほんと好きだねー!おかげで俺もだし巻き好きになっちゃったわ。」

「だし巻き卵の会でも作るかー。」

サエキさんとの飲みはやっぱり楽しい。






携帯が鳴った。ランからだ。

「おはよー。起きてた?」

「うん…いま起きたとこ。」

「ごめん、起こしちゃったかぁ。ねぇ、今日休みでしょ?今から家に行っていい?」

「うん、いいよ。準備して待ってるから。」

「良かったぁ。実は昨日実家から椎茸としめじ届いてさ…きのこ嫌いなの知ってるのに送ってくるって酷いよねー。これで湊の大好きなきのこたっぷりご飯作ってあげる!」

かわいいなぁ、ラン。きのこご飯楽しみ!






パッと目を開けると、ベッドに横たわっていた。

手には見覚えのない空のビンがある。

え?何だこれ。


夢に出てきた人…確かサエキとランていう人だったかな。いったい誰だ?全然知らない人だ。


ん?ちょうど膝の上辺りに、漫画本が数冊置いてある。これは…ずっと読みたかった本だ。

でも、何でここにあるんだ?古本のようだけど、全く身に覚えが無い。昨日酔って記憶が飛んだとか?

懐かしいキャラクターの栞もそばに置いてあった。


そのうち思い出すかもと思い、取りあえず漫画本と栞を本棚に並べた。


並べてから最終巻が無いことに気付く。この時はそんなに深く考えなかった。


何だか体がダルい。今日はゆっくりしてよう。

着替えをして椅子に座りテレビを付けた。











現実社会に戻り数日が経った。


週末の朝、起きてすぐテレビを付けた。


『今日は街の歴史を感じて頂くコーナーです。早速行ってみましょう!』


生放送のようだ。


『こちらはこの街唯一の古本屋さんです。早速お話を伺ってみましょう。』


へー、なんだか珍しいなぁ。古本屋なんて中々見かけなくなったもんな。

レポーターが古本屋のお婆さんにインタビューをしていると、テレビの端の方に見覚えがある本を見つけた。


仁志は本棚からあの漫画本を一冊取り出す。

これはあのテレビの本と同じだ。この店にも置いてるのか。

この間1巻から9巻まで一気に読んでしまって、最終巻が読みたくて仕方なかった。


「よし、行ってみるか!」


テレビの情報を頼りに、古本屋に向かう。




「こんにちはー」

何人か人がいる。みんなテレビを見てここに来たのかな。通路は歩くのがやっとの広さだ。あの漫画本の最終巻を探すが中々見つからない。


「すみません。この漫画の最終巻ってありますか?」

参考にと、家から一冊だけバッグに入れて持ってきた。

「あ、この本は家から持ってきたものですので。」


「はいはい、ありますよ。」

「良かったー!これずっと読みたかった本で、最近ようやく読むことが出来たんです。なぜか最終巻だけが無くて、テレビで見かけて駆け付けました!」


お婆さんは、人志の顔をじーっと見ている。


「え?何ですか?」

「あなた、名前は何て言うんだい?」

「私は京野と言います。」

「そうかいそうかい。いやー、不思議な事もあるもんだね。」

「え?何のことですか?」

「いや、こっちの話よ。はい、これどうぞ。」


お婆さんから渡された最終巻を手に持ち、満面の笑みを浮かべる。


「あはは、随分嬉しそうだねぇ。これ、あなたにあげる。預かってただけだからね。」

「え?いやいや、悪いですよ。お金払います!」

「いーのいーの、お金はもう貰ってるから。」


この間から何となく不思議な事が続くな…と思いながら、古本屋をあとにする。




それから、すっかりあの古本屋が気に入り、お婆さんともすぐに仲良くなった。週末の殆どは古本屋に通う日々。

この間久しぶりにアイから電話も来て、今度会う事になった。


いつもの日常に少しだけ変化を感じながら、今日も自分らしく生きていく。

木々の彩りとともに仁志の心も色づいていた。

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