第140話 二人の目的






「楓、描いていた絵はどうしたの?」


「つまらないから止めた。こっちの方が楽しそうだし」


「僕、あの絵が完成するのを楽しみにしていたんだけどな、また描く気はない?」



 どうやら月ヶ瀬さんは、楓にここにいてほしくないみたいだ。

 あれこれと言葉を重ねて、ここから追い出そうとしている。

 でも言うことは聞かず、鼻歌まで歌い出した。



「気分が向いたら、あとでやるよ。それよりも話の続きをしないのか? 愛の話をもっと聞きたい」



 月ヶ瀬の名前を言う時、少しだけ声に変化があった。親心のようなものを感じた。気のせいかもしれないけど。



「僕がいいと言うまで、余計なことはしちゃ駄目だからね。怪我もさせたら駄目だ」



 楓が、てこでも動かないのは分かったようで、ため息を吐いて留まることを許可した。



「分かっているって。今はまだ何もしないよ。今は」



 今はというところを強調しすぎて、後はどうなんだろうと嫌な想像が膨らむ。

 でも、まだ生かしてもらえるみたいだから、なんとか生き残る方法を考えよう。



「……俺をここに連れてきて、何をするつもりか、まだ聞いていませんでしたね。それとも何かをさせるつもりですか?」



 わざわざリスクをおかしてまで、俺をここに連れてきた理由。ただ単に脅しをかけるためだけでは無いはずだ。



「従順な子は嫌いじゃないよ。それに、静かにしていれば傷つけずに帰すと約束する」


「そうなのか? てっきり俺は、庭に埋めるのかと思ってた」


「楓は僕がいいと言うまで、少しだけ口を閉じていて。話がややこしくなるから」


「分かったよ」



 想像していたよりも、楓の言動が幼い。

 まだ顔は見えないが、拗ねて頬を膨らませている気配がする。これも壊れたせいか。



「たしかに君にして欲しいことがある。そこまで面倒じゃないから、すぐにでも出来るはずだよ」



 簡単とは言うが、絶対に言葉ほど簡単なものではないはずだ。



「何をすればいい? 身代金を要求する電話でもかけるか」



 そうであれば、まだ楽なのに。絶対に違うだろう。



「半分は正解かな。電話をかけてもらう。でも身代金のためじゃない。五十嵐一継を呼び出してほしい」


「……お父様を?」


「少し話をするため、かな」



 本当に、話をするだけで終わるのか。信用ならない。

 父に対する恨みつらみを、あんなに聞かされたのに、どうして受け入れると思うのか。

 母にあんなことをしたのだから、恨んでいる本人である父には、それこそ殺す以外の選択肢は無さそうだ。



「どうしたの。そう難しいものでもないよね。電話をして、僕が提示した場所に呼び出すだけでいい。君と五十嵐一継を交換するから、君はその後自由になる」


「お父様は、無事に返してもらえますか?」


「……君は気にしなくていいことだ。五十嵐家は大丈夫だよ。君のお兄さん達もいるからね」


「それでも安心しろって言うのなら、さすがにおかしいな」


「でも君だって恨んでいたんだろ? 君がされてきたことは、普通だったらありえない」


「まあ、ありえないな」



 いつまでの俺だったら、喜んで父のことを差し出しただろうか。

 もしかしたら、最初から別に父を恨んではいなかったかもしれない。



「嫌だって言ったら?」


「それはいい選択とは言えないね。自主的にしてくれる方が手間が省けるだけで、別にそっちの方法が嫌なわけじゃない」


「どんな手を使ってでも、ということか」


「そういうこと」



 どちらにしても結果が同じならば、わざわざ酷いことをされる必要は無いと言っているのだ。でも父が死ぬのも嫌だ。


 連絡する手段としては、俺のスマホを使おうとしているのだろう。その方が父も出る。


 なんとか上手く回避する方法はないか。

 時間稼ぎをしながら、めまぐるしく頭を回転させる。


 とりあえず、父が一人が来ることにならなければ、なんとかなるはず。

 誰でもいいから、今のピンチを伝えたい。



「……分かった。俺が連絡する」


「よし。君が賢くて助かるよ」



 一か八かの賭け、もし駄目だったら父の命はない。とにかくやるしかなかった。


 拘束をといてくれた方が良かったが、椅子に縛りつけられたまま電話をさせられる。

 スピーカーのされたから、少しでも変な動きをしたら切られてしまう。


 電話帳から家を見つけ、月ヶ瀬さんがタップする。

 呼び出し音。そしてワンコールもしないうちに、誰かが出た。


 さて誰だ。それによって結果が変わる。



『もしもし!?  相お坊ちゃまですか!?  今、どこにいらっしゃるんですか!?』



 高坂だ。焦っているが、聞き間違えようがない。

 九割の確率で出るとは予想していたけど、本当に良かった。



「ごめん、高坂。実は知り合いにあって、話をしていたんだ。時間を完全に忘れてた。今、お父様は近くにいるか? 心配かけただろうから、話がしたいんだけど」


『かしこまりました。ただ今、読んでまいります』


「あ、ちょっと待て」



 月ヶ瀬さんがスマホを持つ手が震える。

 こちらに強い視線を向けてきて、余計なことを言うのではないかと警戒していた。



『いかがなさいましたか?』


「お父様のネクタイが俺の着替えと一緒に混ざっていたんだ。黒色の。持っていくのを忘れていて、部屋に置いてあるから、元に戻しておいてくれないか。俺の部屋のパソコンがある机の、ネックレスの脇だから。高坂なら、簡単に見つけられるだろう。それだけ、よろしく」


『……かしこまりました。確認しておきます』



 保留音に変わり、少しだけ場の緊張が和らいだ。



「もしも助けを求めていたら、その時は楓の手元が狂っていたかもね」


「だろうな。さすがに命をかけるつもりはない」



 まだ終わりじゃない。

 父を待つ間、俺は向けられるプレッシャーに耐えた。





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