第8話 はっきりしないで ①
なんなんだろう?とも思う。
また、ただ単に、おちょくられているだけかもとも思う。
草壁の目から見た、ゆかりの態度がである。
少なくとも、あんまり楽観視しないほうがいいような気がする。これまでがこれまでだったから。
そうこうするうちに、もう5月。
これといったこともないうちにゴールデンウイークも終わってしまったが、草壁はそんなことを、ふとなにかの折に考え込んでしまうことが多くなっていた。
そんな中、ルームメイトであるゆかりの弟、長瀬亮作と話しているうちに、少しずつ、ゆかりの身辺のことも、草壁に判りだした。
もちろん、それほど大したことではないのだが。
まず、社長令嬢であること。
「うちはさ、オーナー社長って言うの?それで、同族経営って感じで、初代のおじいちゃんの跡をついで、うちの父親が2代目の社長なんだよ」
「へえ……」
「ひょっとして、お前、次期社長?」
ダイニングのテーブルでそんなことを話しながらめいめい夕食を取っている草壁と長瀬亮作。ちなみ今日はツルイチの姿はなし。このオッサン、仕事が仕事、というかパチプロなんかしているせいか、朝出て行ったら帰って来る時間はその日によってマチマチなのである。まあ、このオッサンのことなんかこの際どうでもいいが。
この二人にしても、別に普段から同じ時間に食事をしているわけではない。たまたま、草壁がその時間に自分の夕食のために半額特売でゲットしてきた安い鶏胸肉でチキンカツを揚げているところに、亮作が帰ってきただけである。
”おっ香ばしい、いい匂い……草壁クン今から、夕飯?こっちもお弁当かって来たから一緒に食べようか?”
”いいけど……弁当買って来たって、ホカ弁?”
”ああいうところってさ、おかずはともかく、お米、やっぱり、イマイチなんだよね”
そうですか、庶民の食う米は微妙にお口に合いませんか?
そこで、わざわざ途中下車して百貨店の食料品売り場へ行ったそうである。
<特選極厚サーロインステーキ弁当>
亮作が買ってきたのは箱表に金ぴかの文字でそう書かれた、ちょっとした座布団みたいな大きさの弁当だった。
”そう……やっぱり、米は大事だよね……ウンウン……”
それを見た草壁、そ知らぬ顔で、2枚目のチキンカツを揚げた。2枚チキンカツを食べるつもりはない。ただ――実弾は込めとかないと、ターゲットは弾けない――。
そんなことがあっての二人差し向かいの夕食タイムである。
「僕?ううん、継がない!」
亮作は草壁が”揚げたてのヤツ、ちょっと食べてみる?”と言って差し出したチキンカツをつまみながら答えた。ただ、ふだん穏やかな亮作がそのとき少し険のある目をしながら語気を強めた。
「大手って言うほどじゃないかもしれないけど、1000人からの従業員抱えたそこそこの会社なんだよ。社長っていうのは、つまり、その従業員と家族の生活を背負うわけだろ?僕には無理。とてもやる気になれない。そんな親の苦労だって間近で見てると余計そう思うよ」
「けどさ、親は長男のお前に次期社長、継いでもらいたかったんじゃないの?」
冷めててもわかる上質肉の旨みと甘味と口当たり。さり気なく、チキンカツとの交換を受け入れるあたり、やはりお坊っちゃんだ。この一片とあの一片の値段の違いなんて考えない。揚げたて、おいしい、そして、自分がもらったのだから、相手にもお返いたしますよ、どうぞ、って訳だ。
そんなサーロインステーキの一片を噛み締めながら、顔だけは真剣に相槌を打つ草壁。しかし、頭の中は、手元にある特売胸肉のチキンカツを、相手のサーロインステーキとさらに入れ替える計算しかない。
「まあね……だから、継がないって言った時には大モメに揉めたけどさ……草壁クン、このチキンカツ、結構ウマイよ、何気に料理上手じゃない?」
「あ、ありがとう……ところで、さっきの話だけど、両親、お前の考えに納得してくれたの?」
「ああ。だから僕の代わりに、お姉ちゃんがそのうち婿をとって……」
”カタッ”と、草壁の頭の中の計算機が止まった。サーロインステーキどころの話ではない。
そうか……そんな事情が彼女にはあるのか……。
「チキンカツ、そんなにおいしい?じゃあ、俺の皿のやつ、好きにつまんでいいよ。チキンカツ2枚も作りすぎたから一人じゃ食いきれなくてさ……」
結局、チキンカツ一枚と、余りもののニンジンとタマネギを放り込んで作った味噌汁で、亮作の弁当のステーキを半分ゲットした後、二人で食後のお茶を飲みながら、草壁はさり気なく亮作に探りを入れた。
「なんか、おまえんちの話聞いてると、お金持ちも大変なんだな。……ところで、ゆかりさんが婿養子を取るって言ってたけど……」
「まあさ、お姉ちゃんもまだ若いんだし、今すぐって訳じゃないんだよ。そのうち、行く行くは……ってことでさ……このお茶おいしいね、草壁クンお茶淹れるの上手だね」
「ありがとう。なんだったら、お茶、もう一杯淹れようか?それより、ゆかりさんのお相手ってもう決まってたりするの?」
「悪いね、じゃあ、もう一杯淹れてよ。……お相手?ううん、まだ決まった人はいないよ。お見合い相手を具体的に探してるとかもないと思うし」
急須のお茶を亮作の湯のみに注ぎながらも、草壁の表情は少し曇っていた。
別に、もっとステーキをゲットしたかったからではない。
ゆかりのことである。
本気で彼女を狙ってた訳じゃないって言ったところで、気になるものは気になる。
けど、こちらはこれというアピールポイントもないただの大学生。しかもその大学だって1流とはとうてい言えない。まあ2流、せいぜい言っても1,5流どころ。実家だって、家族経営の小さな商売。特技と言ったらお習字がちょっと上手なのと、走るのがちょっと得意なぐらい、か……。これで社長は務まらないよな……。
ちょっと待て。この男、結婚どころか、ゆかりと恋仲ですらないのに、何、飛躍してるんだ?
「草壁クン!お茶、溢れてる!!」
「ん?……あ、アッチ!!」
ぼんやりとそんなことを考えていると、湯のみから溢れた熱々のお茶がテーブルをつたって、草壁の足の甲を襲った。
「あーあ、ぼんやりとしてるからだよ。なんか、上の空っぽかったから、こぼしそうだなって思ってたら、これだ……」
「お、お前!それは、こぼす前に言えよ!」
こぼしたお茶のせいで、真っ赤になった足の甲を濡れタオルで冷やしながら怒る草壁。熱々のお茶は、テーブルをつたって、スッと垂れ落ちる間に少し冷やされたからよかったものの、もし直撃なら、かなり洒落にならない火傷になってたかもしれなかった。
「だって……」
そこで、亮作、ニヤリと笑う。
「だって、何だよ?」
草壁の言葉に答えるまえに、持ったいぶった様子で、食べ終わった弁当箱を片付けて、自室に引き上げてゆきながら、背中で答えた
「ああ、バチが当たるな……って思ってさ……あ、僕の湯のみとお椀、ついでに洗っといてね……ステーキの御代だと思えば安いものでしょ?じゃあ!」
それにしても……かぐや姫は、そのうち、月に帰ってしまう……。
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