ヤマタマミタマ
@dandalilly64
第1話 帰宅路
1.帰宅路
「おたま〜、帰るよ〜」
「おっけー」
机の横に掛けてあったリュックを背負い、教室を出る。
友達の凛が扉の前で待っていて、一緒に廊下を進む。
「おつかれー」
「凛もおつかれ」
もうすっかり身についた日々。すれ違った知り合いにじゃあね、と声をかけながら歩いていく。いつも通り。
「なんか全然実感湧かないね」
「それな」
「明日も変わらずに学校来ちゃいそう」
「わかる。気をつけないと」
そう。私たちは今日でこの校舎に別れを告げる。菅凪高校360名、全員が。
「疎開かぁ」
「ほんと、戦争みたいだよねえ」
「まあ実際、色んな人が戦ってるわけだし……」
「そうだけどさぁ」
明日から。
私たちは田舎に出来た新しい校舎に、丸ごと移動することになった。私たちが全員生活することのできる寮みたいな施設もある。事前に写真とかも配られていて、必要な荷物も家にまとめてある人はまとめてある。
「凛はもう荷物まとめた?」
「当たり前じゃん。引っ越しみたいなもんだし。段ボール二つにしっかりまとめました!」
「えらーい」
「え、逆におたまはまとめてないわけ?」
「うん、まだ……途中。流石に手はつけてあるよ?」
「当たり前でしょそれは。間に合うの?」
「間に合わせる」
「相変わらずだなおたまは」
ふへへ、と凛に笑いかけた。
手をつけたと言っても殆ど終わってないも同じだけど。親と何を持っていくかで揉めているのだ。やれ救急箱だの災害セットだの、まあ確かにこのご時世何が起こるか分からないから必要なものは必要だけど、全部入れていたら学校側に決められた一人段ボール3箱までの決まりを軽々超えてしまう。
とはいえ、私が持って行きたいと思ったものだけを詰めると段ボール1箱にもならなかったのだが。
下駄箱で長靴に履き替え、マスクをしっかりしめる。凛と二人でバンドに緩みがないことをお互い確認して、手袋をはめ、校舎の外に出る。
「親がさぁ。あれもこれもって押し付けてくるのよね」
「あぁ……おたまの家心配性だもんね。遊ぶ場所制限あるし」
「心配性っていうか、なんていうか……いや私が頓着しなさすぎなんだけど」
「それはある」
「でも一個どうしてもわかんないものがあってさ」
「何」
「父さんがひいばあちゃんの形見の石、持って行けって言うんだよね」
「石?」
「そう。石。まんまるの」
「形見なの、それ?」
「らしいんだよね。よくわかんないけど。ていうか父さんたちも地下移住のときに見つけて思い出したものらしいけど」
「どういうことよ」
いつもおちゃらけてる父親が真剣な顔で渡してきたまんまるの石を思い出す。つるつるで、キラキラで、透明なようで透明ではない、光っているようで光っていない、不思議な石。何かの宝石かと思ったけど、父さんは違うと言っていた。
「まじでよくわからないけど、ものは小さいから段ボールに入れるのは苦じゃないんだよね。ただ、その石だけ渡されても向こうで置き場所に困るっていうか……どうしたらいいかわかんないんだよね」
「確かに。おたまの場合引き出しの肥やしになって終わる」
「やだよ私、寮暮らしになってまで凛に小言言われるの」
「それは石関係なくおたまの生活次第じゃないかい」
「そうね」
たくさんの生徒が同じような格好で校舎の外に建てられた円柱の前に並んでいる。
話していたら遅くなってしまった。私と凛の順番はあと十分ほどかかるだろう。カタン、と音がなって視界の隅の透明な壁の向こうに目をやる。どうやら今日は、壁の向こうは風が強いらしい。小石──違うな、コンクリート片が転がっていく。
「んもー、おたまがもたもたしてるせいでエレベーターめっちゃ並んでるじゃん」
「いいじゃん、この待ち時間も今日で最後だよ。味わおうよ」
「嫌だよ、待ってる時間なんて無駄だよ」
「田舎に行けばバス待つのに30分かかるよ」
「バスなんて走ってるの?」
「向こうは安全なんだから走ってるでしょ。てか、それ絶対向こうで言わない方がいいよ、これだから地下の人間はって言われるから」
「うええ、いろんな意味で絶対学校の敷地から出ないよ私」
「疎開の意味とは」
言い合いをしながらぐだぐだと並んでいたら、私たちがエレベーターに乗る番になった。リュックを前に背負って、いつだかの満員電車のように凛や他の生徒と身を寄せ合って乗る。もう入らないほどギチギチになると、勝手にエレベーターのドアが閉まった。
エレベーターは職員室で遠隔操作されている。今日の先生はやたらギチギチに詰めてから閉める先生だったようだ。
「凛、大丈夫?」
「なんとか」
誰かの肘が凛のほっぺたを潰している。ちょっと盛り上がった部分をつっついてみたいけれど、私の右手も隣の男子がバランスを崩さないようにホールドしていて動かせない。左腕は論外の位置。
でもこの苦しみは3分も続かない。
ポーン、と電子音がして瞬間の浮遊感を感じる。気圧に負けないようにマスクの中の空気を吸ってしばらくすれば、また電子音が鳴って扉が開く。
わらわらと吐き出されるように外に出れば、体も自由だ。
「これから解放されるなら、田舎も悪くないかも」
「撤回早いよ、凛。こんなの一瞬じゃん」
「私、地下にきて一番嫌なのこれだからね」
「地上だって全部良かったわけじゃないでしょ」
「それはそうだけど」
コンクリートを打ちっぱなしにしました、みたいな広い通路を抜けて、柱みたいな集合住宅を進んでいく。私と凛の家は同じ建物だから、向かう場所も同じだ。といっても幸いなことに、私たちの家はエレベーターから近い。静かに動く電気バスに乗り込む生徒たちから知り合いを見つけて、明日ねー、と声をかけた。
「明日、か」
「明日だねぇ」
「親にお別れ言わなきゃ」
「いつ、帰って来れるかわからないからね」
「ほんとね」
「凛はさ」
「ん?」
「元の町に戻りたい?」
「戻りたいよ、そりゃさ」
「今は?」
「今は……悪くないよ。慣れちゃったもん」
「そうだね。慣れちゃったもんね」
「じゃ、明日」
「うん、明日、8時にここで」
人間は慣れの生き物だ。
どんなに辛いことがあったって。
どんなに劇的なことがあったって。
それがいつか日常になれば、過去になれば、何にもなかったみたいに過ごせるのだから。
きっと、明日からの生活だって、私たちはいつか慣れていく。
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