第2部/

第32話:期末テストに向けての勉強会


「アハハハハ、そうなんだ!」

 人数分のお冷やとドリンク、それに勉強の為の道具が控えめに置かれた喫茶店のテーブルの向こう側で、飛島柚葵とびしまゆずきさんが楽しそうに笑った。

「でもそう言えばさ、面と向かってこんなにちゃんと話したのって、初めてじゃない?!」

 そんな飛島さんの隣で、ことりは微妙に僕から視線を逸らしながら、グラスを手に持ってアイスカフェオーレをストローで啜っている。


 飛島柚葵さん、……通称“ユズ”さんは、中学1年で同じクラスになったことりと直ぐに仲良くなって、それ以来の仲。

 ……と言う事は詰まり僕とも同じ中学校だったんだけど、確かに飛島さんが言う通り、こうして普通に話すのは初めての事だ。

 事務的な話や、何と無く話し掛けられた記憶もボンヤリと無くは無いけど、何しろ僕が自分の中に籠って外に目を向けていなかったからハッキリとはしない。

 これまで僕が辛うじて周りと繋がれていたのは、同じく1年の時にしつこく声を掛けてくれていた信行のお陰だと思う。

 感謝。


「確かにな。飛島と守が真面に話してるのなんて、見た事無いわ」

 ……と、僕の隣に座るその信行は笑いながら言った。

「じゃあ! 話も弾んだ事だし、そろそろちゃんと勉強を」

「でもビックリしたよ! 朝学校に行ったら、門の所で何かやってんだもん」

 手をパチンと打って今日の目的に入ろうとしたことりの言葉に耳を傾けずに、話し続ける飛島さん。

「そんな話になってたんだね。じゃあ守君、演劇部の期待のルーキーなんだ!」

「そうなんだよ。こいつ、部長にも目を掛けられててさ」

「へえ、凄いじゃん!」

 真っ向から褒められて照れ臭さに思わず視線を逸らすと、大きなメニュー表を開いていることりが視界に入った。

 アイスカフェオーレはまだ半分以上残っているし、食べ物でも頼むのかな。ケーキなら、この時間はセット料金に出来る筈。

「ユズが守達と一緒に勉強会しないかって言うから来たのに、勉強しないのなら、私、ケーキ食べちゃうよ?」

 メニュー表を元通りに立てたことりの顔は、何だか膨れている。

「ああん、ごめんって、ことり! ……じゃ、勉強しよっか」

 見るからにテンションが落ちた飛島さんは、口を尖らせながらテーブルの上のノートを開いた。


   ▽▽▽


 遅めの梅雨で雨が降りしきる、期末テストも2週間後に近付いて来た6月下旬の今日。


『何かユズが守達と勉強会したいって言っているから、清須君も誘って部活後にどうかな?』


 昼放課、ことりからそんなメッセージが送られて来た。

 丁度話をしていた信行にそのまま訊いてみた処「俺は構わないぜ?」と言ったので、こうして部活が終わった後の今、イオンと地下鉄駅の連絡通路を上がって外に出た所に有る喫茶店に4人で来ているのだ。

 ……夕飯が遅くなる事を母さんにメッセージで送っておいたけど、ちゃんと見ているかな。

 それは兎も角、注文したドリンクが来て一口飲むなり飛島さんが僕に向かって喋り始めて、既にそれなりの時間が経ってしまっている。……勉強会は何処へ。


 因みにその話題は、僕が校門付近で演劇部の先輩と2人でお芝居をしていた事。

 ……そう、来月の高校生演劇大会大会に向けての主役を賭けたエチュード勝負。

 辻エチュードと言ってしっくり来そうなこの勝負は、配役に納得出来ない時等の、うちの高校の演劇部伝統の勝負方法らしい。

 勝負を挑む方がお題を言って、それに沿ったお芝居をする。流れに区切りが付いたり、立会人の合図なんかで終わり。判定は、偶々そこに居た見物人。正当な理由が無い場合の勝負拒否は、不戦敗。

 今月初めに中村初江なかむらはつえ部長が僕を主役にするって言ったその翌日から放課や部活前後なんかに挑まれる様になっていたけど、今朝はそれを人が必然的に集まる登校時の校門前で挑まれてしまったと云う訳だ。

 っている間は気にならないけど、終わって素に戻った時に居た堪れなくなるから、もう少し場所は考えて欲しい。

 この事も有って一緒に登校する様にしている信行が“演劇部の稽古です”と書いた紙を掲げてくれていなかったら、一体どんな視線に晒されていたんだろうか。

 考えるだけでも吐きそうだ。

 ……でも。

 このチャンスは絶対に譲れないから不戦敗になる訳にはいかないし、やるしかないんだよな。

 因みに、今朝のお題は“犬同士の喧嘩”。……ねえ、何で?

 そりゃ、飛島さんじゃなくても驚くだろう。

 今日だってやり切って、途中で素に戻って笑い出した先輩には勝ったし、今迄挑まれた勝負も如何どうにか全部勝って来ている。

 流石に7月に入ったら役を決めて本稽古に入らないといけないと勝負の期限が今月一杯に決められているから、もう少しでこの勝負からは解放されはするけど。

 ……こう云う時こそ、気を引き締めないと。


 何でこんな形の勝負をしているのかと言えば、部活の時間は皆で台本を作って行かなきゃいけないからで、それもそのお蔭で粗方終わっている。

 代々の先輩方も、部活動の長くは無い時間を個人の為に使う訳にはいかないと苦肉の策で決めた勝負方法なんだろうな。

 尤もそんな勝負でも、長年働いている先生の中には楽しみにしている方も居るらしいし、そんな先生方の内の1人に話を聞いて来た報道部のミモには、校内新聞に書いて良いかの打診を受けた。

 断りたいと内心では思いつつも、演劇部、ひいては中村先輩の役に立てるだろうと、悩んだ末にGOサインを出しておいた。

 どんな記事になるか楽しみだ。


   △△△


 それにしても、何で勉強会の相手に僕なんだろう。

 ことり程じゃないにしても、飛島さんの成績だって僕と比べたら大分上の筈。

 ……信行も何気に成績が良いし、ことり経由で幼馴染の僕を誘ってその流れで信行も誘う為?

 あれ? ……そう云う事?

「ねえ美浜君、これ分かる? カエサルが“賽は投げられた”って言ったっていう川の名前」

「ああ、それならルビコン川だよ」

 ……問題集を見る飛島さんの質問が、偶々覚えている処で良かった。

 あのカモフラージュデートを頼む為にことりがうちに来た時にやっていた所だから、ここは物凄く記憶に残っている。

「あ、そっか! じゃあ、その時に倒しに行った相手は?」

「ポンペイウスかな」

「ああ、そうだったそうだった、ありがと美浜君! 何か、古代ローマって似てる名前ばっかで分かんなくなっちゃうよね」

「あー、あるある。大抵ウスとかアスとか似た様な感じで終わるし、それぞれの名前は憶えていても、どれが誰だっけみたいなね」

「そうそう!」

 ……それにしても、そう云う事なら僕に訊かないで信行に訊いた方が良いんじゃないかな?

 座る位置が悪かったかなと思ってチラリと信行を見たら何でかニヤニヤしながら問題集を解いている。

 ……と。

「ことり、何かちょっと顔色が悪いけど、大丈夫?」

 その向かいのことりの様子がおかしいのに気付いて、声を掛ける。

「え?! ……あ、ううん、最近はコンクールに出す絵も詰めの段階で気を張っているから、ちょっと疲れちゃってるのかな。お手洗いで顔を洗って来るね」

「あ、ことり、一緒に行こっか?」

「ううん、そんなにじゃ無いから大丈夫。ありがとう、ユズ」

 立ち上がったことりは、力無く手を振りながら行ってしまった。

 そう言えば、美術部で出すコンクール用の作品が今月一杯だって言っていたっけ。大変だな。

「大丈夫かな、ことり」

「うん」

「ま、本人が大丈夫だって言ってるんだから、俺達は勉強してようぜ」

 ことりの背中を見送る僕達を、信行の言葉が制した。

「そだね。じゃ、さっきの続きなんだけど、何かちゃんと覚える良い方法無いのかなあ」

「あ、俺も知りたい。今のままじゃ、定期的に確認しないと直ぐにごっちゃになっちゃいそうだ」

 ……僕だって知りたいけど。

「10年位前にやっていた、古代ローマのお風呂の建築技師が主役の映画を知ってる? あれが好きで繰り返し観ていたから、少しは名前の語感に慣れて覚え易くなっているかも。テスト範囲のハドリアヌス帝の時代の話だし、少なくともイメージはし易くなると思う」

「あ、それ子供の時に観て知ってるかも! テストまでもうちょっと有るし、観てみよっかな?!」

「最近も話題のドラマに出てた、あの現地の人よりも濃い顔の俳優のやつだろ? 試してみるのは良いかもな」


 ……何でか不意に、ことりとの小さい頃の約束が“2人で東大に行こう”じゃなくて良かったと思った。


   ○○〇


「あ、おかえり、ことり」

 それから暫く静かに問題集に掛かり切りになっていたらテーブルの横に立つ人の気配を感じたので、顔を洗いに行っていたことりが戻って来たのだろうと、声を掛けてから顔を上げた。

 ……と、そこには……。


「来ちゃった」


 そう言って笑う麻実が立っていた。

 ……いや、何でだよ。

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