第16話:ことりとのデート(仮)⑤ 美浜家・後編


 ……キィ。……キィ。

 ……キィ。……キィ。

 外灯だけが辺りを照らしている夜の公園に、並んだ2つのブランコの、錆び付いたチェーンが控えめに擦れる音が響く。

 夜の闇を抜ける涼やかな風が、火照った僕の頬の熱を攫って行って、気持ちが良い。

 隣でブランコを緩やかに前後させていることりも、同じだろうか。


 母さんが作った金平牛蒡ををおかずに晩御飯を食べ終えた後、「ちょっと、良い?」とことりに誘われ、近所の公園に来た。

 一昨日の夜に、今日の偽装デートの件を頼まれたのと同じ公園。

 違っているのは、僕とことりの間に有る空気。

 2人で「ちょっと出て来る」と言った時に麻実が「私も行く!」と縋ったけど、母さん達に引き留められていた。

 今頃はきっと、3人でサイコロを振って日本中を駆け巡っている事だろう。

 ……麻実、クラスでは大丈夫かな……。

 空気が読めないとか言われて、ボッチになっては居ないかな……。


「ねえ、まあくん」

 足を踏ん張ってブランコの動きを止めたことりは、徐に口を開いた。

「ん、何?」

「……さっきお母さんが言っていた事って、どこまで当たっているの?」

 ……まあ、その話だよね。

「えっと……」

「変に隠したりしないで。本当の処を教えてね」

 口を開き掛けた処で、ことりに機先を制された。

 …………全く。

「まあ、大体その通りだったかな。ことりの身体の事を皆が揶揄い出して、いつも2人で居る事を揶揄われる様になって。その矛先を僕一人に向けながら、ことりと距離を置く様になった」

 言ってしまってから、今ならもっと良い方法を取れるのだろうにと思った。

 ……でも、あの時の僕には、それが最善の方法の様な気がしていたんだ。

 それで、大切なことりを守れるんだって。

「……そう、だったんだね」

 そう溢したことりは、足元の砂を蹴った。

「…………今更だけど、ありがとうね。今思うと確かに、変に男の子達から揶揄われるのが減って行ったのは、まあくんとの距離を感じる様になってからだね…………」

 足元を見詰めながら、ことりは言った。

「いや、辛かったのは、ことりでしょ」

「……っ! ……ありがとう……」

 その言葉に身体が一気に熱くなったので、ブランコの板の上に立ち上がって、勢い良く漕ぎ出す。

 こんなに漕ぐのは小学校以来数年振りだけど、身体が風を切る感覚が心地良い。

「良いよ、今更。もう、全部昔の事だから」

「……うん。そうだね、全部昔の事……」

 ことりは僕の言葉を繰り返しながら立ち上がって、膝を屈伸させてブランコを大きく漕ぎ始めた。

「そう、昔の事なの! だから、あの時の真実が分かったからって、小さい頃に結婚の約束をしているからって、今『付き合って欲しい』とはならないの!」

 ことりは目に大粒の涙を浮かべながら、力強く叫んだ。

 ……住宅からは少し離れているとは言え、誰かに聞かれていないか、少し気にはなってしまうけど。

 でも、そんなの僕だって……。

「分かっているよ! だから、先ずは、変わろうと藻掻く僕を見て欲しいって! そう! 伝えたんだ!」

 ……言っている内容はアレだけど、2人で一緒にブランコを立ち漕ぎしていると、ずっと一緒に遊んでいた時の事を思い出す。

 ……懐かしいな。

「うん! 見るよ! 見るから! 今のまあくんの本気を見せて! 本気で、……私を、魅せて!」

 次第にブランコの勢いを増して行ったことりは、前に行った時に手を放し、大きく飛び出した。

 宙を舞うその姿はとても美しく、スローモーションの様に僕の瞳に焼き付く。

 綺麗な着地を決めたことりは、手を後ろに組んで振り返って、僕の顔を真っ直ぐに見た。

 僕もブランコを漕ぐ勢いを強め、飛び出す。

「あっ」

 その瞬間、声が出た。

 全然、届かない。

 ……こんな事をするのが久し振りだとか、そんなのは関係無い。そんな事を言い出したら、ことりだって、その筈だから。

「あぁあ。昔のまあくんだったら、私なんかより、もっと遠くまで飛んでいたんだけどなぁ」

 大袈裟に言ったことりは、態とらしく肩を竦めて大きな溜め息を吐いた。

 果たして僕が着地したのは、ことりよりも大分手前だった。

 飛んだその距離は、子供の頃とは、比べるべくも無い。

 片や、ことりはその距離を伸ばしていると言うのに。

「……だから、これからの、前に向かう僕を見ていて欲しいって……」

 口を尖らせて見せると、ことりはお腹を抱えてけらけらと笑った。

「だから! 見ていてあげるってば!」

 一頻り笑ったことりは、目尻に浮かんだ涙を手の甲で拭って、姿勢を正して凛とした声を出した。

「……でもね、いつまで見ているかは分からないよ? ……私、これでも、結構モテるんだから」

「結構どころか、かなりモテるのは知っているよ。……まあ、そのお蔭で今のこの時間が有るんだから、感謝しないといけないかな」

「そうだね。こんな言い方をすると怒られるのかも知れないけど、藤枝先輩には或る意味では感謝しないとだね。……麻実ちゃんに声を掛けて怖がらせた事は、絶対に許せないけれども」

「うん、それは絶対に許さない」

 2人で目を合わせて、クスクスと小さく笑い合う。

「でも明日からは、取り敢えず今迄通りだからね。急に馴れ馴れしく話し掛けて来られても……、……って言うとちょっと違うな。余り話しかけて来られても、“今みたい”には返せないからね? 友達の手前も有るし、美浜守君は只のクラスメートなんだから。仲良くするのは、せめてクラスの皆がまあくんを認めてからだよ?」

 態々気を遣ってやんわりとした言葉に言い直してくれるだけでも、今は嬉しい。

「うん、分かっているよ。取り敢えず接し方は今迄通りにするから、心配しないで。……ただ、1つだけお願いしたい事が有るとしたら……」

「お願い? 何?」

 素直に小首を傾げることりが、素直に可愛い。

「えーっと……。例えば、この前の授業中に僕が寝ちゃってた時が有ったじゃん?」

「うん」

「あの後みたいに、汚らしい物を見る様な目で見られると、心が抉られるから……」

「えっ?! 私、そんな顔をしていた?!」

 言い終える前に、ことりは驚きの声を上げた。

 ……無自覚かい。

「うん…………いや、何と無く今の反応と今日一日話した感じで、あの表情の理由が解ったから良いや」

「……へえぇ。……と言うと?」

 落ち着いて言う僕に、ことりは挑発的な目を向けて来た。……何でさ。

「昔の僕は輝いていたから……、……何か、自分で言うとアレな人みたいだな……、少なくとも、“あの時のことりにとっては”輝いていたから、情けなくなっている僕を見て、悲しかったんじゃ無いかな?」

「うん、多分そう」

「……多分って」

 あっさりと言ったことりに、つい、呆れた声で返してしまう。

 取り敢えず良くないのは、こう云う処かな。

「だって意識して無いんだから、仕方無いじゃないの。でも、まあくんがさっき言っていた時には悲しいなって思っていたから、他の時にも多分……、って……」

 俯き加減に言ったことりは、力無く肩を落とした。

 違う、悲しませたい訳じゃ無い。

「ごめんごめん。それが聞けただけでも充分だよ」

「充分?」

 再び小首を傾げて、その一言を繰り返して訊いて来る、ことり。

「うん、充分。取り敢えず、あの表情が僕を思いっ切り嫌っている事から来ている訳じゃなって事が解ったから」

「えっ?! まあくん、私が嫌っているって思っていたの?」

 僕の説明を聞いたことりは、心底驚いた様な声を上げた。

 ヤバイ、これだけで、もう泣きそう…………。

 ……でも、泣くのはまだ早い。

「う、うん……。中学の頃からはずっと、……それこそ、この間呼び出す迄」

「うわお」

 ことりのそのシンプルな一言に、思わず笑いが込み上げて来る。

 そのたった三音に、全てが詰まっている様な気がした。

「ねえ、……ひょっとしてだけど、僕に話し掛ける時とかって、感情を押し殺していたりした?」

「……うん。だって、泣いちゃいそうになるんだもん」

 その時々の気持ちを思い出しているのだろうか、眉間に皺を寄せることり。

「……でも、それでまあくんを傷つけちゃ違うし、ダメだよね。気を付けるよ」

 しかし次の瞬間には、そう言ってニッコリと笑った。


「あんまり遅くなると母さんたちが心配するかも知れないから、そろそろ戻ろうか」

「……あ、うん、そうだね」

「じゃあ、行こうか」

 ことりが頷いたのを見てそう言って歩き出したら、「まあくん!」と呼び止められた。

「ん? 何?」

 振り返って訊いた僕に、ことりは右手を静々とこちらに差し出して来た。

「まだ、『今日』だよ?」

「……ああ、そうだね」

 その手を取ると、ことりは腕を手繰り、昼の大須での時と同じ様にしがみ付いて来た。


 そんな僕達を、外灯のスポットライトが、静かに照らしていた。

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