第9話:妹との買い物


「おっ買い物ー♪ お兄ちゃんとー♪ おっ買い物ー♪」

 元気に唄いながら、麻実は繋いだ手を前後に力強くブンブン振る。

 今はイオンの中を、目的のアパレルショップに向かって歩いている処だ。

 買い物中のお客さん達の、微笑ましい物を見る様な笑みが痛い。

「あ、あの、……麻実?」

「なあに、お兄ちゃん?」

 声を掛けると、麻実は立ち止まって手を揺さ振るのも止め、顔を覗き込んで来た。


 ……当然妹をそんな目で見たりした事は無いけど、こうして改めて見ても確かにその顔立ちだけは大人にも見紛う程整っているから、高校の前に居たら声を掛けたくなるのも無理は無いかも知れないし、さっき校門横で人垣が出来ていた事も、納得出来なくは無い。

 ……とは言え、中身はまだ中学に上がったばかりで未成熟な子供だし、配慮が足りなくて、怖い思いをさせてしまったな。


 けどまあ、それはそれとして。

「恥ずかしくない?」

 端的に訊くと、麻実は分かり易くキョトンとした。

「何で? 私は恥ずかしくないよ? だって、大好きなお兄ちゃんとだもん」

 …………こう言われてしまうと、二の句を次ぎ辛い。

「……あっ、ひょっとして、私と一緒に居るのが恥ずかしいの?!」

 そう云う意味じゃ無いから、そんなに絶望的な表情をしないで欲しい。

 ……胸が、痛むから。

「違うって。麻実は、僕の掛け替えの無い自慢の妹だよ」

 そう言って頭を撫でると、麻実は目尻に溜めていた涙を拭い、エヘヘと笑った

「……でも、それなら何が恥ずかしいの?」

「大声で唄うのとか、繋いだ手を大きく振るのとか……」

「なんだ、それなら最初からそう言ってよ!」

 頬を掻きながら答える僕に、麻実はそう言って頬をプクーっと膨らませた。


 うえぇ? ……これ、僕が悪いの?



「あ、お兄ちゃん、ここだよ、このお店! お兄ちゃん位の男の人に似合そうなの有ると思うよ!」

 麻実に手を引っ張られて入ったショップで、取り敢えず気になった服を手に取ってみる。

「こう云う服、好きだなぁ」

「え?! ……あの、明日はデートだよ? 部屋着としてだったら面白いけど、これは絶対に無いって!」

 何となく僕の口から洩れた言葉に、麻実は食い気味に反論して来た。

 ……そんなに?

「えぇっと、……ああ、じゃあこっちは?」

 酷評を受けた服を置いて、別の物を手に取ってみる。

「んー、その色とシルエットだと、お兄ちゃんの体格的に、老けて見える可能性が……」

 ……これは中々手厳しい。

 ファッションの事になると普段と違う雰囲気になるのは、流石はお年頃と言った処かな。

「じゃ、これは?」

「英文字が書いて有るのは似合わないかなぁ。 それにそう云うのって、訳してみると変な意味だったりするみたいだからちゃんと確認しないと」

「じゃあこれ?」

「お兄ちゃんの顔で『海人うみんちゅ』って言われてもなあ」


「宜しければ、一度、ご試着してみますか?」

 2人でああでもないこうでもないと言っていると、遠巻きに不安気に見ていた女性店員が声を掛けて来た。

「そうですね。このままだと決まるまでに時間が掛かりそうだし、一度自分のセレクトで全身試着してみたら?! 私も選んでおくからさ!」

 麻実にも促されたので、シャツやパンツ等数点を持って試着室に入って、カーテンを引いた。

 着替えている間、カーテンの外から、店員さんと麻実が話している声が聞こえて来る。


「先程聞こえて来たんですけど、明日はデートなんですか?」

「そうなんですよ! それなのに、着て行くまともな服が無いって言い出して……」

「ええっ? それは大変ですね。それで前日の今日、一緒に選びに?」

「はい! やっぱり、格好良くあって欲しいんで!」

「それはそうですよね! 彼女さんとしては、彼氏さんにはオシャレであって欲しいですもんね!」

「そうですね! 彼女さんとしては!!」


 ……気付け、麻実。

 お前としてはことりを思い浮かべて『彼女さん』って言っているかも知れないけど、その店員さん、お前を彼女だと思って喋っているぞ。

 ……と心の中でツッコミ終わった処で、着替え終わった。

「着替えたよー」

 さて2人の反応はと、ワクワクしながら、カーテンを開ける。

 楽しそうに笑いながら話していた店員さんと麻実は、そのままの表情でこっちに振り向いて、……固まった。

 空調の音だけが響く、凍り付いた時間が流れる。

 ……あれ?

 さっきカーテンの外で話が盛り上がっている様に聞こえて来たのは、幻聴だったのかな?

 ……って言うか、こう云う時は摩擦で火が起きそうな位に両手をすり合わせながら、『お似合いですね!』とか良い気分にさせて服を売り付けるのが仕事ではないのかね?

 ……仕事せいよ。

 

 ……仕事して下さい。

 ……お願いだから……。


 無言のまま麻実が自分のセレクトセットを渡して来たので、もう一度カーテンを閉めて着替え直す。

 先程とは打って変わって、カーテンの向こうからは何も話し声は聞こえて来ない。

 2人は一体、どんな表情で僕の着替えを待っているんだろう……。

「麻実のセレクトに着替えたよ」

 再びカーテンを開けると、2人は今度は顔を明るくした。

「わぁ、とってもお似合いですよう! 流石は、良く分かっている方のセレクトですね!」

 店員さんの右手は、摩擦熱が気になる程に高速で左掌の上を動いている。

「ですよね! 私以上に分かっている人なんて、居ないもん!」

「もう! そんなに惚気ないで下さいよ!」

 楽しそうなのは良い事だけど、僕も、その相手が僕の妹の惚気なんて聞きたくは無いな。

 ……相手が僕以外の男でも、聞きたくは無いか。

「ね、店員さんもこう言ってくれてるし、これにしなよ!」

 麻実は嬉しそうな顔をして、僕の着ているシャツを触り出した。

 店員さんの反応の差を見ると、確かに、僕セレクトよりも麻実セレクトの方が良いらしい。

 まあ、店員さんが言っているからと云うより、最初から麻実のセンスを疑っている訳では無いし、抑々麻実に選んで貰う為にここに来ている。

「うん。じゃあ、麻実が選んでくれたこれにするよ。裾も丁度良いし」

「良いですねえ、愛ですねえ」

「はい! 愛です!」

 ……どうして奇跡的にこの2人の会話は噛み合い続けてるのさ。

 店員さんの言う“愛”には『男女の』という意味が籠り、麻実が言うそれは『兄妹』が付く。

 アンジャッシュのコントか! …………あ。

「じゃあ、明日着るんだから、制服に着直してね」

 麻実がそう言ってカーテンを閉めたので、言われた通りに着替え直した。


「それにしても、僕が選んだの、そんなに悪かったかな?」

「うーん、お兄ちゃんが試着の時に選んだのは、1つ1つは悪くなかったんだけど、組み合わせが悪かったんだよ。アウターもインナーもボトムスも柄物だったから、派手×派手×派手でさ。……勿論、そう云うのが似合う人も居るんだろうけど、お兄ちゃんは偶々そのタイプじゃ無かったんだね」

 会計を終わらせてから麻実に訊くと、麻実は僕が傷付かない様に答えてくれた。

 持っていた袋を並んだ外側の手に持ち直して、麻実の手を優しく握る。

「えへへ? どうしたの、お兄ちゃん?」

 麻実は、僕の顔を見て擽ったそうに笑った。

 ……と、その時。

「お兄ちゃんって、……きょ、兄妹だったの?! 兄弟でデート?! 禁断の愛?! た、……滾る!!」

 店員さんの叫び声が、後ろの方から聞こえて来た。

「……ん? お兄ちゃん、『滾る』って、何?」

 首を捻りながら、無垢な瞳で訊いて来る、麻実。

 ……滾らなくて良いし、そんなの分からなくて良いよ……。


   〇〇〇


「そう言えば母さんが、『帰りが遅くなるだろうから、食べて来なさい』って食費もくれているんだけど、どのお店で食べる?」

「勿論、ラーメン!」

 下に降りるエレベーターに乗りながら訊くと麻実が瞬間的に迷わずに答えたので、B2Fのボタンを押した。

 ここのフードコートは地下2階に有って、麻実が言ったラーメン屋とは詰まり、つい先日信行と一緒に来たお店の事だ。

「私、ラーメンと、五目ごはんにミニソフトが付いたセット!」

 ……世の中には、“ラーメンにミニソフトのセット”ってどう云う事かと思われる人も居るかも知れないけど、現実に有るんだから仕方が無い。

「じゃあ僕は、特製ラーメンに、五目御飯とサラダのセットを付けようかな」

「あ、サラダちょっと分けて!」

 手を繋いだまま僕の前に回って来た麻実は、笑顔で言った。

「ソフトをちょっと分けてくれたらな」

 それならばと軽く言うと、麻実は「うん!」と明るく返事をして、もう一方の手も握って来た。


 ……麻実とこんなやり取りを交わす様になったのも小6以来数年振りで正直楽しいけど、いつまでもこの純粋な笑顔を見せてくれるのかな。

 そう思ったら、テーブルの向かいの席に座って出来上がりを教えてくれるベルを凝視して鳴るのを待っている麻実の頭に、自然と手が伸びた。

 そのままゆっくりと撫で始めると、麻実は、目だけをこっちに向けて、口許をニッと広げた。


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