クレイジィキャッツは止まれない。
岡 辰郎
第一章・突撃! 狂猫軍団(クレイジィキャッツ)
1
うぅ……重い……。また、娘たちが布団の上に乗っているんだわ……。重すぎ……。あまりの重さに、能天気な夢から引きずり出された。ただでさえ小さなオッパイが、これ以上ぺったんこになったらどう責任を取る気⁉
それにしてもバカバカしい夢を見たものね。猫が巨大化するだなんて……。働きすぎに気をつけなさいという〝神のお告げ〟ですね。
二十五才を過ぎたばかりのレディーにはふさわしくないと分かっていながらも、ぐわぁーと大きなあくびをひとつ。ぼやけた目をこすると……。
まん前で、ぐわぁーとでかいあくびをしている奴がいるじゃありませんか……。
大きく裂けた口、鋭い牙、魚臭い息、しましまで毛だらけの顔――。つんと釣り上がった目の縁に、きらりと目やにが光る。
その迫力に気圧されていきなり目が覚めた。がばっと起き上がろうとした――のに、やっぱり重い。首しか上がらない。
「よた……」
見間違えようはない。猫の与太郎だ。ブレッキーズのパッケージそっくりにでっかい目を開けて、肝をつぶしている私をぼんやり眺めている。私が動けないのをいいことに、ざらざらの舌で私のあごをなめてきた。
「痛い!」
のけ反った拍子に与太郎はベッドからずり落ちた。
まさか……。与太郎が巨大になってる……? あんた……虎?
茫然と見下ろす私の前で、与太郎はのっそりと伸びをした。尻を上げて前足を思い切り前方へ。そのまま、どたっと横に倒れる。直角に折れた短い尻尾で、こんこんとフローリングの床を叩く。と、髭を前に寄せて二度目のあくび……。
いつもの朝の挨拶だわね。全長四メートルに巨大化した他は、ノー・プロブレム。
不覚にもうめき声をもらしてしまった。
「あ……ああ……よた……」
と、これもいつもの朝のように子供たちの声が部屋に響きわたる。
「わーい! よたちゃーん!」
「わーい!」
娘が二匹――いや違った、二人、階段を駆け上がって寝室に転がり込で来た。与太郎の巨体を見てもたじろがない。
二人はばかでかくなった猫にがばっとのしかかり、その顔をぐりぐりこね回した。与太郎は迷惑そうな視線を宙に漂わせ、それでも黙って耐えている。二人は背中にまたがって乱暴に跳ねた。与太郎はころりと向きを変える。背中から滑り落ちた娘たちは、ぎゃはぎゃはと大笑いした。
これも、お馴染の遊びではあります。
な、なんだ、こいつら……。母親が我を失っているのに、呑気にふざけてやがって……。
小学校前の子どもの適応力には壁も天井もない。知っていたつもりだが、理解を越える。こんなでっかい生き物が怖くないの?
いつのまにか、ド派手なヒマワリ柄のエプロンをつけた亭主がドアに寄りかかっていた。のんびりと娘たちに注意をする。
「かじらせちゃだめだよ。血が出るから」
そりゃあ、そうです。身体がでかければ力も強い。遊びでも血ぐらい出るでしょう。
長女のいずみは上の空だ。今度は与太郎の口をこじあけて手を突っ込み始める。
危険回避は母親の務め。
「あ、だめ! やめなさい!」
いずみは平然と言った。
「やっぱりサバの骨がひっかかってた」
口の異物を取り出してもらった与太郎は、嬉しそうに喉を鳴らした。
次女のつばさは尻尾を引っ張ってけらけら笑っている。
亭主と目が合った。
彼は言った。
「おはよう」
おはよう……ですと⁉ なんで猫がでっかくなったのか、気にならないんですかっ⁉
私は、娘たちとじゃれる与太郎をあごで示した。
「あ……あれ……」
亭主は真剣な眼差しでうなずいた。
「変だよな……悪いものでも食べたのかね……おい、おまえ。あごがすりむけてるぞ」
言われて気づいた。与太郎になめられたあごが、ひりひりと痛む。しかし、些細な傷を気にしている場合じゃない。私はベッドから這い出て、ふざけ合っている娘と猫を避け、壁を伝って亭主の横にたどり着いた。
亭主は黒猫のパッションを抱いていた。
パッションは与太郎の兄妹だ。その証拠に、短い尻尾は与太郎と同じ形に折れている。目の色も全く同じ金色。性格は二匹とも穏やかだ。田舎住まいだから鳥やネズミは毎日獲るが、子供にけがをさせたことはない。娘の友達におもちゃにされても爪は出さない。
「パッションは普通なの……?」
亭主はにやりと笑った。
「とんでもない。な、パッション」
聞き覚えのない声が――。
「ええ。私も、変」
パッションがしゃべった……? まさか……冗談でしょう……?。
「あはは……腹話術? うまいわね……。いつ習ったの? ……そうでしょう? そうよね? そうだと言って……」
亭主は無言で肩をすくめた。
なのに、また女の声が……。
「母さん、おはよう。私、話せるようになっちゃった。うれしい?」
パッションはつやつやと光る真っ黒な身体をくねらせて、私の肩に乗り移った。いつものようにぎゅっと爪を立てる。
「痛てて……」
「あら、ごめんなさい。でも私、猫だもの。許してね」
腰が抜けた。
壁に寄りかかって座り込んだ私に、亭主が言った。
「朝ごはん、これから作るんだ。今朝は忙しくてさ……」
キッチンに下がる亭主に尋ねた。
「卯月は? あの子も何かやらかした?」
卯月は、与太郎たちが大人になってからもらってきたグレーのメス猫。目はやはり金色だが、尻尾は長い。先輩二匹になじむまで時間がかかったし、今でも仲は良くない。
パッションがひざに下りて鼻を鳴らす。
「『やらかした』なんて失礼ね。せっかく人間の言葉が話せるようになったのに。兄さんだって、大きくなっただけよ」
「それだけやらかせばたくさんでしょ!」
声がうわっずってしまった。落ち着かなくては……。
亭主はくすっと笑った。
「うづは今のところ変わりないよ。血筋が違うからかね」
「あなた……もしかして、楽しんでる?」
彼は娘たちを指さした。
「僕だけじゃないさ」
そりゃあ、連中は子供だもの。ゴジラが出たって、はしゃいでいるわよ。でもね、あなたは大人ですよ。少しは冷静に――。
「朝からこうだからね。慣れちゃった」
時計を見ると、もう十一時。
「近所の猫は……?」
「フリスキーとモーリスには会ったけど、いつもと同じ。変なのはうちだけみたいだ」
すると、原因はやはり血筋……?
パッションが私を見上げて言った。
「ゴジラって、どこに住んでるの?」
「は?」
亭主はとんとんと階段を下りていく。
「ゴジラ。いずみちゃんがビデオで見ている怪獣でしょう?」
「そう……怪獣だけど……。パッション! 母さんの考えていること、分かるの⁉」
「やだ。今までだって分かっていたわよ」
「だって、まさか……」
「人間って、不便な生きもの。言葉で教えないと何にも気がつかないんだから」
頭がくらくらしてきた……。
と、キッチンで叫び声。
「おい! うづが大変だ!」
やっぱり……。卯月だけが無事っていうのは理屈に合わないもん……二度あることは、って言うぐらいだし。いや、そもそもこんな事が理屈に――。
パッションがすねたように言う。
「行ってあげなさいよ」
卯月に嫉妬している。自分の尻尾が短いことが、きっと悔しいのだ。それに、朝のベッドに潜り込んでくるのは必ず卯月だと決まっているし。
「うん……与太郎を見ていてね。娘をかじらないように」
「いじめたことなんて、あった?」
「それはそうだけど……ま、頼みます」
私はあわてて階段を下りた。
卯月はキッチンの隅に置いた猫のトイレで、いきばっていた。長い尻尾がぴりぴりと震えている。目をのぞき込むと、恥ずかしそうに視線をそらす。
亭主が心配そうに言った。
「便秘かね……」
「便秘……でしょうね、誰が見たって。それで叫んだわけ?」
「いけなかった?」
いけなくはありません。でもね、なにもこんな非常時に……。
と、ぽたりと音がした。亭主はほっと溜め息をもらす。卯月はさらに踏ん張った。
カチン……。
ん? 金属的な音ね。まさか、便秘がそこまで悪化していたとは思わなかった。
卯月ははればれとした様子でトイレの砂を寄せる。私はその手もとをのぞき込んだ。きらり、と何かが光った。
「妙ね……」
トイレ用の火ばさみで砂をかき分けた。出てきたのは、金色に輝く〝謎の物体〟。臭いが全然しない。つまみ上げると、異常に重い――。
亭主が顔を寄せた。
「何だ、これ? うづのウンコか? 金みたいだな」
金にしか見えない。
金の卵を産むニワトリは小学生でも知っている。しかし、金のウンコをひり出す猫なんて、作家の私でさえ聞いたことがない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます