生まれ変われるなら、生まれたくない
@mugimugi99
1話 夢を否定されるということ
私は、どうして働いているのだろう。
漠然とした虚無感に襲われると、思い出すのは自分の中で一番大きく思えた分岐点の記憶だ。靄がかかっているようで、それなのに強烈な、自分自身の心を潰した日の記憶。
大塚幸子は、絵を描くことが大好きな子供だった。高校生になるまでは、自分は絵描きになるものだと思っていた。描くたびに両親や先生から褒められていたから、自分がやるべきことは描くことなのだと思ったのだろう。得意なことがあれば、それで活躍することができると心から信じていた。
進学し、幸子は高校2年生になった。特に学科の区別のない普通高校だったが、当然のごとく進路を決める時期がやってきた。周りの学生たちは、ほとんどが大学進学。中には看護学校をはじめとする専門学校を目指す者もいたが、偏差値が比較的高い高校だったことも相まって、国公立大学への進学希望者が一番多かったのだ。
そんな中、幸子は絵を学べる学校への進学を希望した。帰りのバスの時間に間に合わない、という理由で美術部に入部できなかった私にとって、ハードルの高い選択であることは重々承知の上だ。
幸子はさまざまな専門学校や美術大学の資料を集め、心躍らせながら両親に進路の相談を持ちかけた。娘が望んだ道なのだから、当然のごとく両親は応援してくれると思って疑わなかった。しかし、幸子が両親に進学の話をし始めると、二人の表情は歪んだ。
「資料を見たけど、この学校って全部遠いところにあるじゃない」と母親は言った。
それがどうしたのだろう、他の学生だってほとんどが地元を離れ、一人暮らしや寮生活を送りながら勉強をしようと考えているというのに。
「そうだけど、それがどうしたの?みんなだって、一人暮らしするって言ってるよ」
幸子がそう言うと、母親の目がキッときつくなった。
「そういう家はね、親が一人暮らしのお金を出してやってるんだよ。あんたの兄さんの生活費を払ってるのは私たちなの。そこにあんたの分まで上乗せする余裕はないんだよ」
母親の言葉は止まらない。
「あんた、美術部すら入ってないじゃないの。それなのにいまさら絵の勉強始めたって、何の意味があるの?絵で食べていける人間なんて、たったの一つまみ程度なんだよ」
幸子のふわふわとしていて明るい気持ちは、一瞬で萎んで。自分の夢をすべて否定されるどころか、そもそもチャンスすら与えてもらえなかったのだ。幸子は震える声で反論した。
「じゃあ、生活費は自分で稼ぐよ。学費だって、奨学金をもらえばまかなえる。お兄ちゃんばっかりずるいよ。ただ学歴が欲しくて大学に行ってるお兄ちゃんより、夢を叶えたくて、勉強したいことがあって大学を目指す私のほうがよっぽどマシ」
すると、言い終わるか言い終わらないかのところで、父親が沈黙を破った。
「お前は女だ。兄さんと違って学は必要ない。それに、女の一人暮らしなんかさせられるか。お前は地元で就職しろ、いいな」
幸子の家は、昔から君が悪いほど父親の決定権が強い。父親の一言で、幸子の嘆願はあえなく潰されてしまったのだった。
行き場のないやるせなさを抱えたまま、幸子は高校3年生の秋、地元にある大手企業の支社の内定をもらった。両親は大層褒めてくれたが、幸子は少しも嬉しいと思えなかった。ここで働いて何になるんだろう、と、入社式の日も研修の日も、毎分のように思ってはどこか遠いところを見て過ごした。目の前の書類がすべて燃え去って、会社も自宅も、漫然と大学生活を送る兄も、果ては絵を学んでいる夢を持った人たちも、みな消えてしまえばいいと願っていた。
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