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 週に一回の近況報告会は今日なのに、直前になってこんなことになるなんて。焦りと不安に苛まれる中、妙に冷静になっている部分で手紙の意味を今更理解し、左手がないことに違和感を感じていない状態に納得していた。それは同時に、自分の危機的状況をはっきりと決定づけるものだった。

 何度も読み返した手紙の最後にある『書き換えは予測不可能かつ死に至ることも多い。二十三歳になれますように。』という二文は脅しでも誇張表現でもなんでもない。過去を変えたら死ぬかもしれないという警告文。


 私の一言で私は死ぬかもしれない。




 左手がなくても私は器用に服を着替えられたし、「いつもどおり」の行動ができた。それが恐怖を煽る。夕方になり多少涼しくなったことで長袖を着ることが苦痛ではなくなっていた。しかし、毎度お馴染みの居酒屋で私を待っていた近況報告の相手は、長袖で誤魔化した左手に目があって二秒で気がついた。


「お前その手……」


 うまく説明する自信がなくて口角を上げてひとまずごまかそうとしたが、笑えているかわからない。何からどういう風に話せばいいか。結局口から出たのは、意味があるようで意味のない謝罪の言葉だった。


「ごめん、あっちのユウキ巻き込んじゃった」


 社交辞令や天気の話とほとんど同類のふわふわした私の「ごめん」は、ユウキのどういうことなのかちゃんと説明しろという目線に打ち抜かれ、そのまま宙に浮いて空気に溶けた。

 二十二歳のつじつま合わせの一年を唯一知っている祐樹。彼はこれまでも私以上に真剣だった。

 真剣な空気になんだかいたたまれなくなって「ごめん、っていうかどの世界でも仲良くしてね、ってこと、かな」と冗談めかしてカラカラと笑いながら向かいの席に座る。それでも祐樹はにこりともせずに、黙って私の目を見つめたままだった。こころなしか彼の顔も青白い。今度は一人で場違いなことをしていることにいたたまれなさを覚え、慌てて笑い声を引っ込めた。


「手が消えたのは今日なの。ほんとついさっき」


 衝立で個室風になっている細長い店内の角の席は、土曜日の夕方、私とユウキの指定席になる。この居酒屋の店長が祐樹の昔馴染みで、毎週空けておいてくれるのだ。いくら現実味のないファンタジーやSFのような話を真剣にしていても、気に留める人はきっといないだろう。

 全て順調だと思っていた。油断してはいけなかったのに。私の話を聞いた祐樹は無表情のままだった。


 むこうの私が二十二になった時は今の会話がなぞられるのだ。ちょっとずつ変わっていったらいつか全く別ものになるかもしれない。


 だから間違えてはいけなかったのだ。


 平行世界。どこか別の空間で確かに存在する、同じようでいて違う世界は、平行世界の名のとおり、平行にのびていて交わらない。

 それがどういうわけか一点で交わってしまった。その一点がピンポイントで私。小学校一年生の私と二十二歳の私。その間の出来事は共有され、同一人物として存在することになる。

 そんな趣旨の話が、小学一年生の時に私が受け取った古びた封筒の中の手紙には書かれていた。手紙に書かれた嘘のようで本当だという不思議な話。

 伝言ゲームのように別世界を渡る二十二歳の私の言葉。


 ミカの猫探しは、ユウキを誘ったことで何か変わっただろうか。左手を失う時点を何事もなく超えることができれば、私の左手も何事もなかったかのように帰ってくるはずだ。思わず店内の時計を衝立の隙間から確認した。今左手がないのは、左手が消えることが決定されたからなのか、まだその時点にたどり着いてないからなのか。


「左手がなくなったのっていつ?」

「さっきも言ったけど、ミカと会ったときだよ」

「それはなくなったのに気づいたときだろ」


 考えてみれば当たり前だが、ミカに指摘された瞬間に消えたわけではない。つまり、昨日ミカと別れた後から丸一日の間、その期間のいつなくなっていてもおかしくはないということだ。左手を切断するとなると事故の可能性が高い。それが起きる未来が作られたのは昨日の私の飼い猫の話の後、ミカが猫に興味を持った瞬間か、飼育係に入ることになった瞬間か。


「もしかして、小学校の時の友達に聞けばわかるのかな?」


 小学一年生のいつ私が事故にあったことになっているのか。それがわかれば軌道修正も夢じゃない。

 祐樹はなにかを考えるそぶりを見せた後「連絡つくやつにさっさと聞いたほうがいい」とテーブルの上に置いたスマートフォンを顎で指した。早いほうがいいというのは同意見だった。連絡先一覧をスクロールして小学校の同級生を探す。ようやく見つけたのは麻依ちゃんの連絡先だった。小学校中学校でよく一緒にいた友達だ。


「どーしたの? 何十年ぶりかってくらい久しぶりだけど」

「突然ごめんね。ちょっと急遽確認しなきゃいけないことができちゃって」


 ワンコールで出た麻依ちゃんは、事情がありそうだと察したのか追求することなく質問に答えてくれた。


「私が事故起こしたのって何月何日くらいだったか覚えてる?」


 質問に困惑したのか思い出すのに必死になってくれたのか、少し言葉に詰まった麻衣ちゃんは、落ち着いたトーンで言った。


「……運動会の前くらいじゃなかった? 昔すぎて日にちまではわかんないけど」


 私の通っていた小学校は運動会が毎年十月の一週目くらいにあった。今日は九月の二週目の土曜日。これからの二週間の何処かで事故に遭うということだ。

 「今度久しぶりに会おうねー」と言って電話は終わった。麻依ちゃんと今度ランチでもしたいな、と思いながらスマートフォンの画面を消したところで、はたと手を止めた。祐樹だって同じ小学校だった。しかも同じクラスで席まで隣。


「祐樹は記憶にないの?」


 わずかに沈黙が生まれた。いつの間に注文していたのか、運ばれてきたフライドポテトに手を伸ばして、祐樹は若干投げやりな口調で言った。


「小一とか昔すぎて覚えてないし」


 祐樹が何を考えているのか、私にはわからなかった。


「声漏れてたから勝手に聞いたけど、二〇〇五年九月の事故、調べてもやっぱり統計とかしか出てこない」


 仕切り直すように「二〇〇五年事故発生件数」と書かれたインターネットのページを祐樹は私に見せた。


「猫の話や飼育係になったことが原因だとしたら、事故もその条件がなかったらあるはずのなかったものってことでしょ? だから猫に近づかせないようにするとか、係の活動を外でさせないようにするとかすればいいと思うんだけど……」


 事情を知っていて、いつも冷静で頭の回転が早い祐樹が協力してくれたから、私はありえないような平行世界のことをどうにか飲み込んで対応してこれた。二十二歳になってから必ず毎週している近況報告会だって祐樹が提案してくれた。でも、今日の祐樹はいつもと様子が違うように感じる。その違和感は解消されることなく、解散まで残ったままだった。


 祐樹はあれから私の話に相槌を打つばかりで、他のことを考えているようだった。

 猫に関わるな。飼育係は安全なところだけで活動しろ。これをミカに伝えるのは難しいことだ。過去に私は言われたことがないのだから。祐樹に反対も肯定もされなかったこの案はどうにも実現性に欠ける。ソファーで寝っ転がり、手紙をぼーっと眺めても解決案は一向に降ってこなかった。

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