第40話 対面

 一つ下の階層は薄暗く湿気を帯びており、部屋中にガリガリと何かをかじる耳障りな音がずっと響き渡っていた。

 大きな室内の天井にはいくつもの正六角形の巣穴が並び、中には所狭しと幼虫たちがおさまっていた。彼女らはお腹を空かせて、今か今かとご飯を待ち受けていた。

 マチダの人々を食らってまるまると育った幼虫たちだと思うと嫌悪感はある。けれど彼女らは俺と同じ女王バチから生まれた妹たちで、何かボタンがかけ違えば、俺もあっち側であった。俺も昔、こうしてどこかの穴蔵で同じように餌を食らっていたのだ。それが人の肉ではなかったなど確かめる術はない。

「ミズキ博士が彼女たちを人の形態に戻せるか研究したいから命を奪わないで欲しいと懇願したが、残念ながら却下された」

 この幼虫たちの行く末はどうなるのだろう、ひょっとすると俺みたいに人の形態になれる個体もいるのではないかと考えていたところへ、まるで心を読んだかのようにヨシツグが静かに言った。つまりは――みんな殺処分されるのだろう。顔をあげると、巣穴にいた幼虫と目があった。俺を見て無邪気にご飯をちょうだいとアピールする。その姿にかつての俺と重なった。

 もともとは同じ存在なのにお前だけ助かる気か、人になれる可能性をすべて摘み取ってしまっていいのかという気持ちと、上の人たちがそう判断したのだから仕方がない、仮に助けたとしてこの数の幼虫たちをどう養っていく気だ、まるで現実味がない、それにもしまた同じような危険な事態を引き起こす事もあるかもしれないぞ、という考えがとめどもなく溢れる。行ったり来たりの想いがぐらぐらと揺れ、最後にエゴに傾いた。

「……埋葬、手伝ってもいい?」

 長い沈黙を経て、ようやく絞り出した言葉にヨシツグがうなずいた。

「ああ。一緒にやろう」


 さらに下に降ると廊下の先に扉が現れた。

 鍵がついておらず意を決して開くと、控えの間が奥へと続く。天井には先ほどの部屋と同じように巣穴が並ぶが、中にいるのがすべてサナギなのか息づかいだけが聞こえる。部屋の中心には男がいた。記憶にある姿よりもだいぶ老けてやつれていたが、すぐに分かった。父だ。父は俺の姿を認めると疲れた笑みを浮かべた。

「アヤメ。体は大丈夫なのか?」

 彼はヨシツグには目をくれず、ただ俺だけを見ていた。

 ――顔はますますアヤメさんの面影が強まったわ。だからさっきお墓の前で侘ずんでいたあなたを見て一目で分かったのよ

 義母の言葉を思い出す。実の父から間違われるほど似ているのだろう。

「俺はアヤメじゃない。ヨシナガだ」

「ヨシナガはヨシツグに殺された。あの日一緒に嘆いたではないか。子供たちの中で唯一育った女王バチだったのに、と」

 全身が凍りつく。俺が女王バチ。帝国を築ける力を有する者。可能性はあったが、こうして真実と告げられると重みが増した。

「あの子が生きていればアヤメの負担が減ったと言うのに……。ヨシツグはいつも私の邪魔をする」

 彼は吐き捨てるように言うと、俺の隣のヨシツグにようやく気づき驚いた顔をした。

「ヨシツグ、なぜここにいる?」

「この帝国を終わらせるためにだ」

「お前もか。お前も私からアヤメを奪う気なのだな。そうはさせないぞ、ヨシツグ!」

 父の背後からゆらりと影が現れた。スズメバチ型蟲人だ。二体の蟲人は翼を広げ、ヨシツグへと飛びかかる。

「チィ!」

 兄は六本槍で応戦する。ぐるぐる周りを飛びまわり、隙あらば連続して突き出される毒針を槍でいなし、叩き込む。槍と針がぶつかり合い、斬撃が飛び散った。

「女王バチには育たなかったが、今では頼もしい兵隊バチだ。さぁアヤメ。邪魔者は放っておいて子供を生もう。女王バチを育てよう。次こそは絶対に育つ」

「どうしてこんなことを続けるんだ?」

 近づいてくる父に対し、拒絶するように言い放つと彼は大きく目を見開いた。

「……本当にヨシナガなのか? 生きていたのか?」

 うなずくと、彼は凝視し続けた。

「ヨシナガ。今、私がどれだけ歓喜に打ち震えているのかお前には分からないだろう。無数に生まれた幼虫たちの中から唯一育った新女王バチよ」

「まるで分からないよ。人の屍でこんな巣を築き上げたのも、そうまでして女王バチを誕生させたい理由も」

「お前は日の本の希望なのだ、ヨシナガ」

 理解できないという表情を浮かべると、父は笑みを深めた。

「この日の本からあの憎き機蟲たちを駆逐することが私の長年の夢だった。桜の開花を喜び、突き抜けるような青空を見上げ、紅葉の華やかさを歌い、雪がシンシンと降る様子を家の中で眺め、雪解けの土の中からふきのとうを顔を出すのを見て春を予感する。そんな四季のうつろいを感じられる日常をずっと思い描きながら戦いに勤しんでいた。そんな時だ。アヤメが蟲人になってしまったのは」

 父は、ふうっと息を吐き出した。

「初めはとまどい、どうにか人間に戻れないか色々手を尽くした。けれどある日、彼女とその子供たちがどんな機蟲たちよりも強く、アヤメが蟲人の本能に従い生きることが私の夢へとつながるのだと気づいたのだよ。幼虫たちを育てあげ兵隊バチを増やしていけば、ウマノオバチなど目ではない。いずれこの日の本の機蟲たちを彼女らによって駆逐することができる。けれどそのためには、まだまだ数が足りない。もっともっと生み育てなくてはならない。だからこそお前の力が必要なのだよ、ヨシナガ。さぁ、第二の帝国を築こう。兵隊バチを従えて、日の本に蔓延る機蟲たちを駆逐するのだ。日の光を、そして地上を人々の手に取り戻すために。光あれ。産めよ増やせよ地に満ちよ。そしてその地を支配せよ」

 ――せっかくその運命から抜け出せたというのにわざわざ舞い戻ってくるなんてお前はバカなのか?

 ああ、そうか。兄が俺を追放したのは父の手から逃すためだったのか。

 もしあのままサガミにいたら尊敬する父の望むまま、お前はこの国の救世主だと上手くおだてられ、第二の帝国を作り出していたかもしれない。

 次期藩主として選ばれ浮かれていた俺をそのように仕向けるなぞ、赤子の手を捻るよりも簡単だっただろう。

「そのために誰かが犠牲になっていいと言うの? マチダの人たちは大勢殺されたし今も続いている」

「あやつらは愚かにもアヤメを捕らえ、子供たちに悪虐な仕打ちをしたのだ。その罪はこの土地に住まう者たちの死によって贖われる」

「スズメバチたちが機蟲たちをすべて駆逐した後はどうなる? 彼女たちが新たな日の本の脅威になるぞ」

「それの何が悪い? アヤメたちで満たされた日の本は素晴らしく美しいに違いない」

 父は熱に浮かされたような目をしていた。とても正気とは思えない。言動も矛盾の塊だった。果たして本当に父の意志なのか。まるで心に宿った機蟲に意志そのものを乗っ取られたようだった。

『アラタ! ハヤクモさんたちの様子がおかしい!』

 ヘルメットを操作し視界を切り替えると、長い廊下に四つの人影が映る。スズメバチは狂ったように手足を振り回して暴れまわり、ハヤクモとヨノは苦しげな顔をして目と鼻をおさえなんとか攻撃を避けていたが、どこか動きが鈍い。

「二人に一体何をした!?」

「あの愚かな侵入者たちのことか? なに、マチダ製の殺蟲剤を使っただけだ。効果はお墨付き。もちろん蟲人にもきく。毒から逃れようとスズメバチたちがはびこるこの巣の中で、機蟲形態を解除して人に戻ろうものなら、蜂の巣となるだろう」

 二人の動きがどんどん鈍っていくが、それでも懸命に抗っていた。

「巣の中にはスズメバチたちもいっぱいいるぞ。彼女たちも殺す気か?」

「多少の犠牲はやむを得まい。それに女王バチさえ無事であればまだ生める。アヤメとお前さえいればいい。さぁ、お前の務めを果たすのだ、ヨシナガ」

「断る。お前の野望を押し付けるな。それに俺はヨシナガという名前はとっくの昔に捨てたんだよ。俺はアラタだ」

「昔はあんなに素直だったのに、どうして聞き分けないのだ? ずっと手元に置いていたらこんなことにはならなかった」

「残念だったね。俺がお前の言うことをなんでも聞いてくれる道具じゃなくて。話が終わったならそこをどいてくれない? お前に用はない」

 男から赤子をあやすような表情が消えていく。かわりに浮かぶのは怒りと苛立ちだ。

「大切な体を傷つけたくないがやむを得まい。今のお前をアヤメのもとへ行かせるわけにはいかない」

 父は首を振り、そばに置いてあった六本槍を手に取り構えた。

「サガミ藩を護るため、何百匹何千匹もの機蟲を狩ってきたこの私に勝てると思うのか?」

「やってみないと分からないよ。俺だって少しは成長したんだ。そっちこそ、いつまでも昔の俺のままだと思っていると痛い目見るぞ」

 父は顔を歪め、斬りかかってきた。

 初めの数回こそ、機蟲の体にうち響く打ち合いであった。だがそれも時間が経つにつれ、キレと冴えがなくなり、息切れが聞こえ始めた。

 やつれて頬の骨が浮き上がった男の顔を見るに食事もろくにとっていなかったのだろう。鍛錬をせずに錆びついた体。それに体力の衰えは隠せない。もし全盛期であれば俺なんてひとたまりもなかったかもしれないが、今や兄と較べるまでもない。父の目に焦りが映るのを見て、ただただ寂寥感が込み上げる。

 ――あんなに強かった父がこんなにも弱くなったのかと

 父の渾身の一撃を跳ね返すと、槍が父の手から弾き飛ばされて遠くへと落ちた。

 勝敗は決した。あの父を超えた。なのに心には虚脱感が広がるばかりだった。汗水垂らしてぜいぜいと息が上げ頭を垂れている父の姿に、痛ましささえ感じる。

 その時だ。心の中の機蟲が危険だと騒ぎ、ざわりと鳥肌がたった。

 嗅いだ覚えのある臭いだと気づいた時には遅かった。

 吐き気が込み上げ、視界がぐらぐら揺れ足元がおぼつかない。目眩に襲われながら、頭にマチダでの薬剤散布の日々がよぎる。これは殺蟲剤だ。霞む視界にクリーム色の煙が室内をみたしていくのが見えた。とっさに煙が少ないところへ逃げようとしたところへ、槍が飛んできて思い切り横顔を殴りつけられた。

「ぐぁっ……!」

 続け様、腹部を強打され仰向けに床に倒れた。

『アラタ! 大丈夫か!?』

 ヒカルの心配な声が頭にぐわんぐわん響く。なんとか立ち上がろうともがいていると、右手に激痛が走った。

「い……たぁっ……!」

 右手に槍が突き立てられドクドクと血が床を流れていく。男は俺のそばで足をつき、槍の刺さった手と己の手を重ね合わせると微笑んだ。

「安心するがいい。殺しはしない。いずれ子供を産んでもらう大事な体だ」

『しっかりしろ!! アラッ――……』

 ヘルメットを無理やり取られ、足でバキリと踏み潰されると通信が途絶えた。

「私以外の男と話しているところを見せつけるなんて嫉妬で狂いそうになるよ、アヤメ」

 男の手で頬をなでられ、怖気が立つ。俺を俺だと見ていないその目には狂気が宿っていた。男に組みしかれ首筋に生温かい息がかかる。さらに体を密着させようとしようと、よろめいて体勢を崩した瞬間、左手で握ったヘルメットで男の頭を横ざまに殴りつけた。ガツンと骨と金属がぶつかった衝撃が腕に伝わる。力をふり絞りもう一発、男の顔面を目掛けて打ちつける。うぐっと男はうめくとうつ伏せのまま俺の体に倒れてきた。

 手から槍を引き抜きよろよろ立ち上がる俺を見て、男は何が起きたのか分からない様子であった。

「どうして……動ける……?」

「俺にはこの殺虫剤に耐性があるんだよ。マチダで薬剤散布に従事して二年ほど浴び続けていたから」

「な……」

「俺を待ち望んでいた? ずっと俺がマチダにいたのに気づかなかった癖によく言うよ。お前の敗因――それはサガミから離れてからの俺のことを、何も知らなかったし知ろうとしなかったことだ」

 男の頭から血が流れ床を赤く染め上げていく。苦しげな顔がやがて虚脱していった。

「……私はただアヤメと穏やかに暮らしていきたかった」

 朦朧としたまま男は言葉を紡いだと思うと、意識を失ったのか動かなくなった。

 どんな手を使っても母を守りたいという気持ちは本物で、紛れもなく父の意志だったのだろう。ただあまりにも多くのことを犠牲にしすぎた。

 妻を人へ戻そうと奮闘し、やがて機蟲に魅入られ、日の本をスズメバチたちの巣窟にする野望にとり憑かれた男は今、枯れ木のように干からび朽ちていた。

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