第32話 兄

 サガミと言われて思い出すのは、いつだって緑の風景だ。

 サガミは地下都市の緑地化に力を入れていたため、至る所に木や草々が生い茂り、日々の暮らしに彩りを与えていた。

 どこも生まれ育った場所と同じようなものだと思っていたから、サガミ以外の場所におもむいて、その埃っぽさ無機質さに大いに驚いた覚えがある。

 父はサガミ藩主としてこの土地を守護していた。

 家紋の六本槍はその名のとおり六本の槍を示す。

 代々受け継がれていたこの槍は昔、南からやってきた機蟲を祖先が打ち倒した時に、その六本の脚から作られたものだと言われている。

 機蟲の装甲をも簡単に貫けるほどの強度を誇り、サガミ家の当主は槍を振るい、サガミに害をなす機蟲から人々を守る盾としての役目を求められた。

 機蟲の被害ありと聞けば、六本槍の槍を掲げ隊列を組んで出立する姿は壮観で、そんな父を尊敬していた。

「いずれ家督を継ぐ兄を支えられるよう、よく学び、鍛錬をしなさい」

 父の言葉を心に刻み、家を第一に考えていた。


 母の顔は覚えていない。

 俺を産んだ直後に流行病で亡くなったと聞いている。そのかわり義理の母や兄が俺を愛してくれたから寂しくはなかった。

 思い出なんて当人が都合のいいように切り取って振り返るようなもので、しばしばあてにらならないものだが、兄との仲はよかったと思う。

 兄もまた元服とともに六本槍を継承し、父とともに戦いへと赴いていた。

「お前にはまだ早い」と機蟲がいる場所へは一度も連れて行ってもらえず、槍の真の力を目にしたことはなかったが、鍛錬で父や兄が槍を振るい、鉄の瓦を薙ぎ倒す姿は圧巻で、いつかあのようになりたいと願い励んだ。

 世界が俺を中心に回っていたと思っていたころは、こんな日々がいつまでも続くのだと信じて疑っていなかった。

 けれど、人工太陽がいつまでも地下都市を照らしてはくれないように、いずれ日の終わりとともに光は消え、闇が満ちていく。

 すべてのきっかけは「家督は兄ではなくお前に継がせることにした」という父の言葉だったと思う。

 馬鹿で無知で愚かな俺は当時、その言葉の重みを理解していなかった。ただ、尊敬する兄にもっと近づけると思った。何も考えていなかったのだ。




「兄さん、じっと見つめてどうしたの? 着物の着方間違っている? どこか変?」

「ん? ああ。馬子にも衣装だなと眺めていた」

 兄は、人の上に立つ器をそなえ、カラスの濡れた羽のような長い黒髪で、出会い頭でさえその存在をくっきり頭に残していくほどの美丈夫だった。

 その日は微笑みをたたえた目で、旧文明より伝わる、金色文様で彩られた伝統衣装に包む俺のことを見つめていた。

「晴々しい日まであと一ヶ月というのに、ひどい言い草すぎない? 拗ねるよ? ちょっとは褒めてよ」

「そうだな。七五三のようで可愛いぞ」

「俺、もう十二歳なんだけれど。そりゃあ兄さんみたいに身長なかなか伸びないし、いくら鍛錬しても筋肉もつかないし、いまだに女の子と間違えられることだってあるけれど、可愛いと言われたら舐められていると受け取って戦闘態勢に入ってもいい年頃だよ」

「冗談だよ、冗談。お前がもう元服なのだと思うとしみじみと感じてしまって、ついからかいたくなったんだ」

 むすっと拗ねた顔をすると、ふふっと笑うと真顔になり兄は片膝をつき、優雅に跪いた。

「この日を迎えたことを心より祝福します」

 え?と突然の行動に驚いている俺に構わず兄は続けた。

「我が身はサガミを守護するために生まれたもの。我が忠誠は新しき藩主に仕え捧げるため。どうぞあなた様の行き先を照らしますように」

「に……兄さん」

 兄は顔をあげ慌てふためく俺を笑った。

「ほら、儀式の練習練習。そんなに慌てていたら威厳も何もないぞ。もっとどっしりと構えてなくては」

 だって、と言いかけ口をつぐむ。記憶をたどり、兄の元服の光景を頭に浮かべる。

「我が心にカタチなければついするものなし。我が心は槍。決して折れず、この地ある限り、光となりて照らさん」

 本番の日には、この手にある六本槍の一つを持っているように掲げ、兄の肩に置こうとしてぴたりと動きが止まった。兄の左右どちらの肩に乗せるのか分からない。頭の中が真っ白になって固まっていると、ぷっと兄が吹き出した。

「右肩だ。当日は間違えるんじゃないぞ?」

「分かってるよ!……じゃなくて、分かっております。いや、分かっておる?」

「日本語が混乱しているな」

「うるさいなぁ!」

「ヨシツグ、ヨシナガ。ここなの?」

 声のする方向を見ると、長い黒髪の房をゆらしながら義母が扉から顔をだしていた。彼女は近づき俺の姿をしげしげ眺めると目に涙を浮かべた。

「とてもよく似合っていますよ、ヨシナガ。あんなに小さかったあなたがこんなにも立派になって」

「どこかの誰かには七五三みたいって言われたけれどね」

「ヨシツグ」

 義母にじろりと見られた兄は、観念したように手をあげた。

「告げ口は卑怯だぞ」

「そっちこそ口の利き方がなっとらんぞよ」

「語尾にぞよは流石にない。何か言葉を発するたびにみんなの腹筋を鍛えさせる気か?」

「ヨシツグ!」

 義母の叱責に、シーンと静まりかえる。二人して顔を見合わせ、兄がぷっと吹き出したのを皮切りに笑い声が室内に響いた。



「やはり、正妻の子であるヨシナガ様こそ正式な嫡男ですね」

 今思えば、父の宣言の日以来、兄と俺を比べる言葉が周囲の人間の口から放たれることが増えた。

 俺は正妻の子であり、兄は義母の子であった。

 物心ついた頃にはもういなかった血の繋がった母よりも、俺を育ててくれた義母の方が俺にとっての本当の母であった。

 けれど周囲はそうもいかない。兄を持ち上げていた人たちは、正当性を理由に今度は俺を持ち上げ出した。

 周囲の反応をよそに、義母も兄も俺のことを祝福してくれた。

 三人で笑い合った日々を思い出すたびに、その後の暗く、心に癒えぬ傷を負わせたドロリとした記憶が蘇る。

 兄がこっそり宝物殿に行ってみないかと誘ったあの日のことを。


「あそこは、サガミ家の元服した人間しか入ってはいけない場所でしょう?」

「でもお前はもう元服を控える身じゃないか。一ヶ月早いかどうか、だろう?」

 兄の悪戯な笑みは、俺と義母と兄の乳兄弟だけに見せるものだった。

 元服という言葉は大人として認められたのだと心をくすぐるものがある。

 ここ最近、何かと忙しそうに駆けまわり会える日もないほどであった兄が、俺にかまってくれる時間を作ってくれたという嬉しさもあった。

 前兆はなかった。見ようとしていなかっただけなのかもしれない。

 ただ俺は何も疑いもせず兄の背を追いかけ、禁断の場所へと踏み入れた。


 誰もいない廊下を歩き続けた先には、装飾を施された青銅の扉があった。

 兄は鍵を取り出し開けると傍にたち、視線で促す。

 手をかけると、選ばれし者にしか入れない開かずの扉はあっさりと開く。

 部屋の中は薄暗いが廊下の光でぼんやりと中を見通せた。壁には浮き彫り紋様が施され、それを台無しにするように上から白い札が無数に貼られている。白い札には読めない文字が書かれ呪いの札のように見えた。宝物殿というよりは、外部へ持ち出してはならないものを封じ込めているような印象だった。

 はやる心と本当に取り決めを破っていいのかという気持ちがごちゃ混ぜになるが、近くにいる兄の存在に、ここまで来て何を怖がっているのかと奮起し中へと進んだ。

 中心には六本の槍がそれぞれ槍掛け台で飾られていた。

 父や兄が振るってきた槍だ。魅せられたように歩を進めるが、残りあと三歩というところで不意に足が止まった。

 ――危険

 心の奥底から、その声は聞こえた。どこか気配だけ感じていたそれは今、初めて意味ある言葉ではっきりと警告を促していた。

 ――危険危険危険危険危険危険危険危険

 警告は鳴り止まず頭をガンガン鳴らし割れるように痛い。ともすれば体の主導権を奪おうと内から暴れまわっているようだ。急激に体から熱が奪われ、心臓がバクバクと脈打ち呼吸が早くなる。

「どうした、ヨシナガ?」

 背後にいる兄の声が遠い。

 兄は立ちすくむ俺のそばを通り過ぎ、槍を一本選びとると、こちらに向き直り、槍を差し出した。

「持ってみろ、ヨシナガ。藩主の証だ。それとも――持てないのか?」

 ちがう、という言うことができず、あえぐしかできない。ただただ槍の存在が身が震えるほど怖い。どうしてなのか理由が分からず頭が混乱した。

「これを振るう時、機蟲は戦わずにして逃げることがある。サガミが他の藩に較べ、機蟲の被害が少ないものこの槍のおかげだいう話もあるほどだ。よほどこの脚の持ち主は機蟲にとって恐ろしい存在だったのだろうな」

 兄は見たことのない冷淡な瞳で、俺を見据えた。

「ときおり、生まれながら機蟲に体を蝕まれた人間がいるという。お前はそうなのか?」

「何、言って……」

「ならばこれを持って証明してみろ」

 槍を手にした兄がずいと近づき、後ずさる。兄の言葉を否定したいのに、槍を拒絶する体はまるで言うことを聞かない。熱を持った頭に視界がぐらぐら揺れ、床に倒れた。顔をあげると槍の穂が鼻先にあった。

「い、やぁ……っ!」

 恐怖で目をギュッと閉じ顔を腕で覆うが、すぐに違和感に気づく。視界が腕で閉ざされているはずなのに、驚愕して目を見張る兄が見えていた。まるでそう。両目以外にも目があるようだった。

「ヨシツグ、その眉間の目はなんだ……?」

「眉間の、目……?」

 眉間に手をやると、視界に手が迫ってきた。震える指で周囲をなぞると確かにそこには目尻があり瞼があり目頭があった。いつの間に三つ目が眉間に生えていた。

「し……知らない。俺、本当に何も知らない……!」

 兄の顔に戸惑いが現れたのは一瞬で、露骨に顔を歪ませ、冷ややかに見つめた。

「お前がずっと邪魔だった。どうして俺ではなくお前が次期当主なんだ? こんな三つ目の化け物のくせに?」

 言葉が刃になって身を切り裂く。兄に憎まれていた。気づかなかった。

 父を兄を支えるために生きてきた。それが兄を苦しめていたなんて思いもよらずぼろぼろと涙があふれる。

「ごめんなさい……俺、にいさんのこと……全然分かっていなかった……」

「俺に弟なんて存在しなかった」

 兄が槍を振り上げる。煌めく穂が落ちてくる。ここで死ぬのだ。心から信じていた兄の手によるものなら、それもいいかもしれない。俺は化け物なのだから。

 最後をまつ。けれど切先が不意に目の前で止まった。長い沈黙が訪れた。

「……去れ。命が欲しければ二度とこの家の敷居をまたぐな」

 それが兄の最後の言葉だった。

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