第30話 同盟

「え、ヒカル……?」

 驚いて画面を食い入るように見る。

 ヨコハマぶりに顔を見ることができ無事でよかったと安心したが、俺がかじってしまった左肩に包帯が巻かれているのを見て胸がズキリと痛む。一応、左手を動かせるようだがどこか動きはぎこちない。会って謝りたいが、ヒカルはどこにいるのか。そもそもどうして全国放送に登場しているのか訳がわからなかった。

『君のことについて聞いていいかい?』

 こちらに背をむけた画面端の男が言うと、対面に座るヒカルは弱々しく頷いた。

『はい。僕はスルガ藩に生まれたのですが、マチダ藩は日の本一安全な場所だと聞き、家族とともに移り住むことになりました。でもすべて上辺だけでした。他所からの移民は第一層に住まわされ休みなく働かせられ、病を患っても休ませてはもらえず、家族ともども機蟲のいる地上へと毎日向かわせられ、殺虫剤散布の仕事をさせられました。日々体を酷使され続け、毒を浴びなければならない最悪な労働環境の中、父は機蟲の犠牲になり、母は毒に体を蝕ばまれ亡くなりました』

 ヒカルの目がキラリと光る様子に、怪我をさせてしまった申し訳なさよりもツッコミたい欲がつのる。なんで一人称が僕なんだよ。ヒカルはスルガ藩出身じゃなくてマチダ第五層の人間だろう。持ち前の要領の良さで第一層でも稼ぎはかなりあったし休みたい時に休んで暮らしていたじゃないか。あれだけ嫌っていた散布剤の仕事をヒカルがやる訳ないし、母親は実家に帰ったと言っていたような。どうして彼がペラペラ嘘をついてるのか混乱した。

 嘘で塗り固めた話なのに、涙を堪えて体を震わせ見るものすべてに憐憫を抱かせる迫真の演技に、疑う人はまずいないだろう。現に、隣のヨノは涙を浮かべていた。騙されやすい。ミズキはあまり興味なさそうな顔をしている。人の心がない。ハヤクモは眉を上げている。おそらく俺を除いてこの場で唯一、ヒカルの嘘涙を見抜いている。相変わらず鋭い。

『父も母もなくし天涯孤独になった僕に、これからの生活と引き換えに持ちかけられたのが、第二層の機蟲実験場の仕事でした。ロクでもない仕事だと分かっていても、生きるために他の選択肢はありませんでした。ですが……実験場の実態は想像を遥かに超えた地獄でした』

 親がいなくて生活が苦しい、というセリフはヒカルが第二層で人の良さそうな相手に商売する時に使う常套句だった。隣で「なんて可哀想な子なんだ」と嘆くヨノのように、涙を誘うと色々と奮発してもらえることが多く、ヒカルは帰り道に「ラッキー儲かったぜ」とよく言っていた。俺には分かる。今のヒカルはありったけの同情を誘うことに徹底している。

『機蟲実験場はマチダでは存在していないとされる空白地域にありました。初めの方は簡単な事務作業を任されていましたが、やがて慣れてきた頃に最奥にある部屋での仕事を命じられました。その部屋では……』

 ヒカルは蒼い顔をして口をつぐんだ。

『一体、何が行われていたんだい?』

『……人体実験です。機蟲実験場で研究されていたのは機蟲だけではありませんでした。人間たちも実験対象だったのです。中には年端のいかない子供もいました。おそらく僕のように親を失い露頭に迷った移民の子だったと思います。僕ももう少し幼ければ同じような運命を辿っていたでしょう。ただ運が良かっただけなのです』

 そういえばヒカルがマチダで人体実験が行われていると言っていたこともあった。当時は眉唾に聞いていたが噂は本当だったのかと思いかけ、いや、ここまでの流れからしてこれも嘘なのではないかと思った。

『具体的に何が行われていたのかは、どうしてかあまり覚えていないのです。記憶に蓋をして心が壊れないようにしているのかもしれません。けれど今でもふとしたタイミングで悲痛の声が聞こえるのです。形のない悪夢を見ることもあります。もし何か失敗したら自分も実験動物として扱われるかもしれない恐怖もあり、神経がすり減らされるような地獄の日々を過ごしていました』

 ヒカルが口を震わせて話すのを止めると、男はもう大丈夫だよと優しく声をかけながら肩をさする。落ち着くと、ヒカルは息をついてまた話し始めた。

『マチダでの主な機蟲対策は殺虫剤をまくことでしたが、いずれ機蟲側にも耐性がつくことが想定されてました。そのため他の機蟲対策の研究がされていたのですが、あのスズメバチ型機蟲もその一つです。彼らをコントロールして対機蟲兵器として活用しようとしていたのです。ですがあの日……あの日に……』

『あの日というのは、マチダにスズメバチ型機蟲が襲来した日かい?』

 ヒカルはぴたりと動きをとめ時間が静止したかのように固まる。そして浅い呼吸を繰り返し、大きく口を開けた。

『いやあああああ!』

 ヒカルが絶叫して椅子から転がり落ちると映像が中断され、スタジオに戻った。

 やけに説明的だし、ここまでくるとオーバーだなと白けた目をして見ていたが、集会場の人たちの中には鼻をすする者もいて、一般的にはそうでもないようだ。可哀想な少年の物語が一度頭に刻まれてしまえば飲み込まれていくだけだ。これを見ている日の本中の多くの人たちも同じだろうと容易に想像できた。

『ひっどいもんや』

 男性アナウンサーも涙を溜めていた。

『この少年の証言によるとな、マチダは機蟲をコントロールして周辺国を制圧しよとしていたそうや。そして己の領地での実験をしたあと周辺国へと放った。この機蟲こそ、関東を襲っているスズメバチ型機蟲や。つまりな、ヨコハマもオウメの惨劇もみんなマチダが引き起こしたんや。このことをうけてマチダ藩への立ち入り調査をしたいと、わてらから提案したんやけど、うんともすんとも返事はのうて、いまだに沈黙を保ったままなんや。ほんまあやしいな。何から何までダンマリではらわた煮え繰り返るわ。みなさん、このままにしとってええと思いますか? 思いませんよね。そんなわてらの気持ちを代弁してくれはる人がおります――その人物こそヨコハマ藩の藩主さんです』

 てくてくと金髪の少女が左端から現れ、中央の壇上に立つとペコリと会釈した。精巧な人形のように整っている顔に赤いほっぺが浮かぶ。愛らしい口元は、微笑めばより魅力を際立たせるだろう。けれど今、口の端はキリっと引き締まっていた。

「この女の子がヨコハマの藩主?」

 思わずつぶやくと、ミズキが肩をすくめた。

「そうだよ。ちなみに中身は64歳のおっさんだ」

 見た目は子供、頭脳はおっさんということか。

『ヨコハマはスズメバチ型機蟲により多大な被害を被りました』

 凛と澄んだ声が響く。少女は画面越しの観客たちに向けて話し始めた。

『襲撃以降、民たちの心の傷は依然として癒えず、中には自ら命をたってしまう者もいます。これがマチダ藩の起こしたものだとしたら、到底許されることではありません。彼らとは対話を何度か試みましたが、そんな話はデタラメだと言い張り、調査を拒否し続けました。ならばこちらも手段を選びません。屹然とした態度で抗議を続けると共に、同盟の輪を広げ一丸となってマチダと相対することをここに宣言します』

 少女は向かって画面右へと体を向けた。そして手で入ってくるように合図すると、一人の人間がスタジオに入ってきた。現れた若い男の姿を見て、全身に冷や水を浴びたように体温が下がる。心臓が鷲掴みにされたようであった。

 その顔を見ることなんて二度とないと思っていた。

『ヨコハマが襲撃された時、私もたまたまその場に居合わせていました』

 中央にたつ男のバックに、ヨコハマ襲撃時の映像が流れる。逃げ惑う人々。飛び交うスズメバチ型機蟲。襲われ血を吹き出し絶叫をあげる哀れな被害者。人間たちがなすすべもなく肉団子へと変わりゆく姿。以前見た映像とほぼ同じ内容だったが、より凄惨さを印象づけるように編集されていた。

『人々が次々と襲われ死に絶えていく光景は、恐ろしい悪夢のようでした。中にはこの映像が映画ではないかと思う方がいるかもしれません。ですがすべて現実に起こったことです。そしてスズメバチ型機蟲による被害は、オウメ、ヨコハマと加速度的に広がっています。機蟲たちの行方は分かりません。このままでは第二、第三の犠牲となる藩が出てくるでしょう。もうこのような惨劇を繰り返したくありません。そのためにも――私はサガミ藩の藩主としてヨコハマ藩と同盟を組むことを宣言します』

 まじか、あの宿敵同士が、というざわめきが起こる。

 二人が向き合い握手する姿に、恐ろしい脅威を前にこれからどうなるだろうという不安が、この人たちに任せれば大丈夫という期待に変わる。すべて茶番だと分かって見ている俺でさえ、なんて頼もしいのだろうと思わせるから不思議だ。これを見てる全国の人たちも同じ気持ちになっているのだろうと思うと――恐ろしく感じた。

『さぁ、この日の本に恐怖を撒き散らしダンマリを決め込む、元凶であるマチダに正義の鉄槌を下すのです!』

 少女は高らかに宣言した。

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